第8話
北海道旅行も本日で最終日となった。
那衣は近くで開催されている写真展へと足を運んでいた。
昨日の帰り際に、新條から友好の証にと写真展のチケットを譲り受けた。必要ないと断ったのだが、半ば強引に押し付けられた形で貰ったものだった。
新條とはのちに、サクラ調査の件で、色々とやり取りが発生するだろう。その時に、
「写真展どうだった」
と聞かれるに違いない。
行っていないとストレートに答えるのも、楽しかったと嘘をつくのも憚られた。面接官の質問を想定し、自然な回答をする対策を取るようにして、那衣は写真展に来ていた。
ガイドポールの置かれた入り口で、チケットを渡す。受付の女性に千切られた半券と案内パンフレットを受け取り、奥へと進んだ。
ギャラリーの広さはひとまわりするのに15分もかからないくらいだった。客は4,5人ほど、四角い箱の壁に等間隔で並べられた写真に沿って、徐々に進んでいる。
那衣は他の客と同じようにして、左の展示物から順番に見ていくことにした。
パンフレットを目を通しながら、ひとつひとつの写真を追っていった。"刹那に想い、馳せる"というのが、この写真展のテーマだった。
赤子が誰かの小指を握る写真、山岳から見る雲海から太陽が登る瞬間。雪解けた地面の中で、露を垂らした黄色の花が開花する。泥に汚れた野球部員が、ナイターの光に照らされて、練習する姿。
誰かにとって想いを馳せるほどの大切な一瞬が切り取られて展示されているのがわかった。
自分にもあるだろうか、と那衣は過去の記憶を遡ってみる。
ちゃぶ台の上に当たり前のように、並んでいたゴーヤチャンプル。知らない観光客が我が物顔で、大きな笑い声を出して街を濶歩するさま。塾帰りに横切る公民館から道を照らすほど漏れ出す大きな光と影。
残念ながら、ロクなものがなかった。そんなものがあれば、地元でこんなにも、ぐだぐだした生き方はしていない。
誰にでもあるものじゃない。特別なんだ。恵まれているのだ。後から思い出して、大切にできる。心の支えとも呼べるべき、刹那の瞬間があるのは。
投げやりな気分に支配され、展示半ばで帰ろうかと思った、そのときだった。
那衣は足を止めた。
「何でこれがここにあるのよ」
眼前に飛びこんできたその写真は、何度も目にしたおぎわらによって投稿されたモノだった。
しばらく何も考えられず、立ち尽くすことしか出来ずにいた。順路を進んできた客が次々と那衣の後ろを通り過ぎて行く。
「——お嬢さん、お嬢さんってば」
後ろから肩を叩かれて、ようやく何度か声を掛けられていることに気付いた。
「はい」
振り返ると、また驚いてしまった。一昨日、北海道庁前で写真を撮って貰った男性が、目の前にいた。
「お嬢さん、大丈夫か。写真の前で魂抜かれたようにぼーっとして、心配するぜ」
一昨日とは別人かと思うぐらい、男の口調は異なったものだった。
「大丈夫です。すみませんでした、ご心配をおかけして」
「いいってことよ。…嬢ちゃん、どこかで会ったか。いやナンパ的な意味ではなくてだな」
男は言葉の途中で、咄嗟に肩から手を離して、気恥ずかしそうにしていた。
「一昨日、写真を撮って頂いた者です。北海道庁前で。先日はどうもありがとうございました」
「あー、一昨日、夕方の。完全に思い出した。よく来てくれたな。ようこそ、歓迎するぜ」
やはり口調が違い過ぎるのが、気になった。同一人物だということは間違いないのだが。
男は池田 翔吾と名乗り、この写真展の企画兼運営者だった。知り合いの写真家の作品を集めて、自費で今回初めての写真展を開催したらしい。
「旅行で沖縄から来たのか、そりゃ遠路遥々と。嬉しいね」
自己紹介を済ませ、旅行で北海道へ来たことを伝えると、池田は大いに喜んでいた。
写真展目当てで来た訳ではないが、とりあえず黙りを決め込むことにし、愛想笑いで応えた。
「それよか、嬢ちゃん。そんなにこの写真が気に入ったのか」
すっかり頭から抜け落ちていた。那衣は、慌てておぎわらの写真を指差した。
「これって誰が撮ったものなんですか」
「嬢ちゃん、見る目あるな。題名は“半生“というんだ。いい写真だろ」
「そうですね」
質問には答えなかったが、池田は嬉しそうに話していた。
いい写真とは思わなかったが、適当に合わせて相槌を打っておいた。頭の中には写真の感想など今は微塵もありはしなかった。
「普通、こんなメッセージ性のない写真はスルーされちまうんだが、嬢ちゃんには何か感じたのか」
池田の言葉を受けて、那衣は黙りこんだ。
おぎわらの写真の意味を、ずっと考えてきていた。北海道に来る少し前から。北海道に来てからは常々考えていた。この写真展のテーマと合わせて、その考えはもう考えることなく口から発せられていた。
「1枚目はおそらく北海道での写真。撮影日は同じですが、2枚目は北海道から移動した場所で撮られたものでしょう。3枚目はともかく、4枚目も北海道で撮られた写真では有りませんね」
「嬢ちゃん、すごいな。よく見てる」
池田は感心したように、二、三度手を叩いた。ここまでは瑞穂の見解を述べただけだ。ここからが那衣の考えだった。
「この写真はおそらく、ある1人の男性が過ごした場所と遍歴を現したものではないでしょうか。
撮影日が同じ1枚目と2枚目は北海道から別の日に引っ越した日付を表しているもの。1枚目以降、北海道の写真がないものと仮定すると、北海道から転々と引っ越しを行い、代わる代わる過ごした場所の当人にとって思い入れのある場所を納めたもの。
それが、その当人を色濃く表す写真になっているのではないか。それこそ、その方が終わってしまったと思う人生を振り返ったときに、半生と呼べるほどの瞬間を並べているように思えました」
那衣の話を静かに聞いていた池田の目の色はもう既に変わっていた。瞬きの中には、歓迎の色はなく、強い疑いを持った目つきになっていた。
「嬢ちゃん、何者だ。事件のことも知ってるような口ぶりだ。記者か、それとも…」
那衣は無言で鞄からスマホを取り出して、アフィニティノートを開いて見せる。
「私はおぎわらさんの知り合いです。彼に会いたくて北海道まで来ました」
画面を覗きこんで、おぎわらのアカウントを確認すると、池田は1人で納得したように頷く。
「なるほど。嬢ちゃんが、そうか。合点がいった」
「どういうことですか」
「悪いが、嬢ちゃん。これはそんな大層なモノじゃない。過ごした場所と遍歴なんか表しちゃいないんだ」
「何であなたにそんなこと分かるんですか」
思わずムキになって言い返した。おぎわらのことをわかったような口ぶりが気に障ったからだ。
「嬢ちゃんは、この作品に5枚目があるのを知らないだろ。見ていないの方が正しいかもしれんが」
池田は“半生“が展示された写真に沿って歩き出し、すぐに止まって、ある写真を指差した。
そこには、子供が3人写っていた。
男の子2人と女の子が1人。仲良く肩を組んで、ピースサインを画角に向けていた。
「これは…」
5枚目の写真を前に、唖然とする那衣の隣で池田は小さな声で呟くように告げた。
「嬢ちゃん、返信出来なくて悪かったな。俺がおぎわらだ」
那衣はその場で、ぶっ倒れた。
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