第6話

 翌日、那衣は瑞穂と一緒に鏑木に会うことになった。

 夕方までに、鏑木が報道部門の同僚から話を聞き、その内容を那衣達に教えてくれる手筈になっていた。午後17時に、札幌駅近くのカフェで、待ち合わせすることになった。

 ひと足早く、那衣と瑞穂は店内窓際の席に座って待っていることにした。

「鏑木さんに会わせるのは、特別なんだからね」と、瑞穂は膨れ面でいる。

 自分から彼氏と那衣を取り持ったが、やはり彼氏と会える少ない時間を2人きりで過ごせないことに不満を隠せないでいた。


「お待たせした」


 カフェからすらっと伸びた背格好の男が、現れた。


「鏑木さん」


 瑞穂が嬉々として、立ち上がり、鏑木に抱きついた。


「昨日ぶりだね、瑞穂。それとそちらの女性が…」

「砂川那衣です。本日は貴重なお時間を頂き、ありがとうございます」


 那衣も立ち上がり、鏑木に挨拶する。


「ああ、どうも」


 こちらには目もくれずに、瑞穂を自然に引き剥がしてから、鏑木はコーヒーを注文した。鏑木と瑞穂が席についてから、着席した。


「この時間からコーヒーを注文なさるのですか」

「仕事に戻らないといけないのでね」

「今日は一緒にいてくれんじゃないの」


 瑞穂の顔が濁る。明らかに不機嫌そうな声色だった。


「すまないね、明日には休めるから。我慢を頼むよ。愛してる」

「あたしもよ」


 2人は店内にも関わらず、接吻した。

 その様子を那衣は眼前で目撃した。寒気がした。理解できない。

 店の中はどよめいていた。2人は気にする素振りもない。同じ席にいるのが恥ずかしく思い、目を逸らしてから、話を進めようとする。


「それで、石狩市花川殺人事件のお話を聞かせて頂きたいのですが」


 コーヒーを店員から受け取って、一口啜ってから、鏑木は口を開いた。


「それはできない」

「は」


 思わず声が出た。


「どういうことですか。報道部門の方から情報を得られなかったということでしょうか」

「僕はそんなに無能に見えるかい。情報は勿論、持っているさ。ただ話さないと言っているんだ」

「条件があるとおっしゃりたいのですか」


 鏑木は空のカップを片手に店員を呼び止めて、再びコーヒーを注文した。それから、那衣を見下すように頬を緩めた。


「交渉のテーブルに着く以前の問題だ。僕は君に興味本位で、会いにきただけさ。関係のない素人が殺人事件に首を突っ込みたいなんて珍しいのでね。だが、君も冷やかしで事件に首を突っ込みたいだけの厄介な野次馬だとすぐにわかった。もう用はない。コーヒーを美味しく頂いたら、すぐに出ていくよ」


 もう行っちゃうの、と甘い瑞穂の声が聞こえる。


「待って下さい。情報は持っているんですよね。私が出来ることなら、なんでもしますから」


 鏑木から笑みが消えた。眉をきつく締めて那衣を睨んだ。


「馬鹿だろ君。野次馬根性を露呈しているぞ。私に出来ることなら、だと。保険を掛けているのが、その証拠だ。挙げ句の果てには、情報所持の再確認をする始末。では逆に問おう。信用していない相手から提供された情報に何の意味がある。暇つぶし以外ないだろう。その魂胆が透いてみえる。もうそれ以上言葉を吐くな。不愉快だ」


 表情を戻して、鏑木はコーヒーを再び啜る。

 何なんだこいつは。どうなってるの、と那衣は瑞穂に視線を向けるが、

「鏑木さん、ここのケーキも美味しいらしいわよ。食べてみたらどう」

ともはや話を聞いてすらいない。

 瑞穂の男だと言うから、一筋縄ではいかないだろうとは頭の片隅には思っていた。思っていたが、これは規格外だ。

 確かに珍しいもの見たさで、首を突っ込もうとする気持ちがあったことは認める。だが、それだけじゃないことも確かだ。

 昨日、夕暮れの中でおぎわらに会いたいと思った気持ちはただの興味本位だけではなかった。テレビの映像を見たときにも、体に電気のようなものが走った感覚があった。

 こいつは、おぎわらの情報を持っているんだ。目の前にあるんだ。簡単に手放してたまるか。

 那衣は呼吸を整えてから、鏑木の顔をしっかりと見据えた。


「いくらなら情報を話して頂けますか」


 この言葉は叱責されることも覚悟した。鏑木の仕事への侮辱にもなる可能性があったが、金を引き合いに出してでも、対等の立場になりたかった。情報が欲しかった。


「ほう、金を持っているのか」


 意外にも感心したように、鏑木が真顔になった。


「とても持っているようには見えんがな」


「いくらですか」と、すかさず追撃するように那衣は言葉をぶつけた。

 そうだな、と鏑木は顎をさする。


「200万で手を打とう。プロ相手に格安だろう」


 払えるわけがない、と口から溢れそうになったところで、鏑木が試すような目で訴えてきていることがわかった。


『君の気持ちはそんなものだろう』


 ふざけてやがって。舐めるなよ。


「用意します」

「そうか。珍しい野次馬だな。来たかいがある」


 心なしか鏑木の表情から固さがとれたように思えた。

 二杯目のコーヒーを飲み終えたところを見計らって、瑞穂が何やら鏑木に耳打ちをした。途端、鏑木が笑いだした。


「それは本当かい」

「親友から見て間違いないわ」

「そうか。ならば、少しくらいは話してみてもいい。馬にも犬にも殺されたくはないからね」

「ありがとう、大好き」

「僕もだよ」


 完全に2人の世界から取り残されて、那衣は呆然とした。瑞穂がこちらを見て目配せをしてきた。意味は分からない。


 すると鏑木が、

「金は用意出来たら、この口座に振り込んでくれたまえ」

と口座情報と連絡先を記したメモを寄越してきた。


「それから気が向いたので、少しだけ話してやろう。あの事件の犯人は荻原真紀で間違いはないのだが、息子の聡之には冤罪の疑いが残っているのだそうだ」

「冤罪ですか」


 瑞穂が説得してくれたのだろうか、突如喋りだす鏑木に違和感を覚えながらも、内容を逃すまいと那衣は必死で話を聞いた。


「そうだ。夫の洋司の死体は消えたのだ、と聡之は一時期、弁護士に主張していた。実際、自宅内で殺害されたと思われる死体は近くの公園で発見されていた。だがすぐに聡之は主張を撤回したそうだ。自分が死体を移動させた。気がどうかしていたとな」

「公園って…。もしかしてこの写真の公園ですか」

「以上だ。失礼するよ」


 那衣を無視して、鏑木は席を立ち上がった。瑞穂に挨拶を済ませたあと、早々に店を出て行った。

 那衣は緊張から抜け出して、全身から一気に体の力が抜けていったのがわかった。

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