第4話
予約を入れているホテルへの道筋を辿る途中、門番の様に左右に立ち並ぶビルの間から、北海道庁の赤れんが庁舎が見えてきた。
夕日が赤れんがに優しく差し掛かって、よりレンガの赤色が際立っていた。
瑞穂はもう少し近くで見てみようと、寄り道をすることにした。
庁舎近くに来ると、夕方だからか観光客はちらほらといる程度だった。
「ありがとうございます」と庁舎前から声が聞こえてきた。視線を庁舎前に戻すと、カップルが、男性に写真を撮って貰っているところだった。ちょうどカップルが離れたタイミングで、自分も写真を撮ってもらおうと那衣は、男性に声を掛ける。
「すみません。写真を一枚撮っていただきたいのですが、よろしいでしょうか」
いいですよ、と男は微笑みを返した。
「何で撮りましょうか」
落ち着いたよく響く声だった。整った髪型に、明るく柔らかな表情。シンプルな黒のジャケットも良く似合っている。那衣から見て、これは女が放っておかないだろうな、という印象を受けた。
「あの…」
男は少し困った様子で、那衣を見ていた。慌ててバックからスマホを取り出し、カメラアプリを起動してから、男に渡した。
「すみません、これでお願いします」
「はい」
また元の柔らかい表情で、男は応えた。那衣は男の元から、庁舎側へと離れた。庁舎側に体を向けたまま、半身を男の方へ捻る。準備が出来たことを伝え、男性へ声を飛ばした。
「お願いします」
男は慣れた様子で、「撮りまーす」と掛け声を発した。
「3、2、1。OKです」
那衣は男の元へ駆け寄った。
「こんな感じですが、どうでしょう」
那衣は男の手の中にあるスマホの画面を覗いてみる。
逆光で黒く塗りつぶされた背中越しの那衣のシルエットと、夕日に照らされて濃くなった赤レンガの色が対照的に収められていた。とても綺麗だった。
「ありがとうございます。こんなに綺麗に撮って頂けて嬉しいです」
「それはよかった」と男はスマホを那衣の手に返す。
「写真には人の思いが宿るものですから。良い写真になったようで、何よりです」
「人の思いって…」
つい口走ってから、那衣は口に手を当てた。男も突っ込まれるとは思っていなかったようで、些か茫然としていた。慌てて言葉を取り消すように、那衣は喋り出す。
「すみません、つい気になってしまって。なんでもないです」
男は一考した様子で、少し沈黙してから、ゆっくりと口を動かした。
「写真を撮る行為には、必ずその場を切り取り、残しておきたいという動機がありますから。それは誰かと共有する為か、自分の為だとか、なんでも良いと思います。人の思いを託してこそ、画像は写真になるのだと僕は考えています」
「だから人の思いが宿ると仰ったのですね」
「すみません、持論をペラペラと。お恥ずかしい。あなたが写真を見てとても喜んでくださっていたので、つい余計な事を申し上げました。忘れて下さい」
男は照れくさそうにして、視線を下に落とした。
「いえ、そんなことありません」
那衣は顔の前で、手を振る。
「私もそう思います」と、那衣は男の顔に真っ直ぐ視線を向けた。
男は顔を上げ、那衣の表情を認めると、笑みをこぼした。それ以上はお互い何も言わず、「それでは」と挨拶だけ残して男は去っていった。
那衣は立ち止まったまま、自分が写真を撮りたいと思った理由を自問自答してみる。
この日をきっと忘れないため。
ただの旅行写真に何を大袈裟なと、自答した結論を頭の中で掻き消す。
おぎわらの写真にもあるのだろうか。那衣から見れば、なんでもない景色には、おぎわらの思いが宿るのだろうか。
手に持っていたスマホが小さく震えた。
画面を見ると、アフィニティノートからの通知だった。
急いで画面ロックを解除して、アプリを開く。おぎわらからの返信だった。
『実は北海道にずっと住んでいたわけではないので、そこまで詳しい訳ではないのです。
なので私の好きな場所の1つを、ご紹介します。
札幌市にある北海道庁の赤レンガ庁舎です。特に夕日の差し掛かった時、レンガの色が普段よりも深くなるところが好きです。
もし北海道を訪れることがあれば、是非立ち寄って見て下さい』
那衣は固く、スマホを握りしめていた。衝動に駆られるような強い気持ちが溢れて止まらなかった。
当たり前だが北海道と沖縄は遠く離れていて、相手の顔も、気持ちだって分からないのに。
いまこの瞬間に同じことを考えていられたのが、無性に嬉しくて。だから溢れて止まらなかった。
気づけば那衣は直ぐに返信を打っていた。
『私、いま北海道に旅行に来ているんです。明後日には帰る予定です。迷惑でなければ、少しだけお会い出来ませんか』
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