真夜中に食べる優しさ
後藤 鯨
赤いきつねと緑のたぬき
「やあやあ吉岡!」
「帰れ」
「そんなこと言わずにさぁ! ほぉら、きみの好きな緑のたぬきだよぉ!」
金曜日の23:47。そろそろ寝るかと思った矢先、けたたましく鳴らされたインターホンに怒りを堪えて扉を開ければ、何かと大学で絡んでくる山野が真っ赤な顔で機嫌良さそうに立っていた。
俺は不満と侮蔑を顔に浮かべて扉を閉めたが、すぐに手足を突っ込まれ、そのまま押し入るように部屋に入られた。強盗か何かかこいつは。
「誰が入室を許可した」
「私」
「誰の家かわかってんのか?」
「うーん……」
私? へらりと笑って自分を指差した山野のその人差し指を掴んで後ろに折る。「いたたただだ!」器用に身体を捩られたせいで指をへし折ることができずに、苛立ちで舌打ちした。
そのまま膝をついて睨み上げてくる山野を腕を組んで見下ろせば、彼女はまたこちらの機嫌を取らんとするべく、持っていたビニール袋を頭上に掲げた。
「終電無くなっちゃって。ほら、貢ぎ物もあるからさ、今晩だけ、ね?」
「随分安い宿泊料だな。しかも、お前これで何度目だ?」
「赤いきつねもあるよ!」
「そういう話してんじゃねぇんだよ」
山野はすっくと立ち上がると、俺を見下ろして眉尻を下げた。腹の立つ顔だ。
「吉岡……きみはお腹が空いてるから、そんなにピリピリしてるんだね?」
「お前の脳みそどうなってんだ?」
「すぐに作るから待ってて!」
「出て行け酔っ払い」
そう言って勝手に人の家のヤカンの水を汲み、コンロの火にかけ始めた山野。機嫌良さそうに鼻歌を歌いながら、二つのカップ麺の用意をし始めた。マジでなんなんだ、こいつ。
山野とは、大学でたまたま隣の席になったことからーー共通の友人がいてこともありーーなんだかんだ絡まれるようになった。正直、言動が俺の理解を越えているし、いきなり人の家に来てはこうして我が物顔で過ごして台風のように去って行く。
迷惑だと言って追い払おうにも先程のように話が通じなくて、最終的に押し切られる羽目に遭っていた。
山野が赤と緑の容器にお湯を入れ、いそいそとローテーブルに置いている。割り箸で蓋が開かないようにしてから、タイマーをセットしたスマホをその隣に置いた。
「ほら、吉岡も早く座って!」
「俺ん家なんだがな」
自分勝手なこいつの振る舞いに疲れた俺は、すっかり寝る気もなくなってしまって。タイマーが鳴る前に、緑のたぬきの蓋を開けた。
割り箸と一緒に蓋の上に乗せられていたスープの袋を切れば、山野があからさまに肩を落とした。
「せっかちすぎない? まだ一分あるんだけど?」
「うるせぇな。そのタイマー、三十秒長めにセットしてるんだろうが」
「くたくたの方が美味しいじゃん」
「俺は固めの方が好きなんだ」
スープを混ぜて天ぷらを乗せる。割り箸を割った直後、軽快な音楽がスマホから高らかに鳴った。素早くそれを止めた山野が、赤い蓋を剥がしてスープを入れる。途端に、狭いワンルームの俺の家に醤油と出汁の香りが充満した。
手元の器から湯気が立ちこめ、天ぷらがゆらゆらと揺れている。俺が手を合わせれば、横目で山野も同じようにしたのが見えた。
「いただきます」
「いただきまーす!」
器を手に取り、勢いよく麺を啜る。ずるずると音を立てながら、俺たちは目の前のご馳走を夢中になって食べた。喉越しの良い麺は風味が良く、ざくざくとした天ぷらの食感と交互に味わう。いつ食べても美味しいが、やっぱり夜中に食べるのは格別に美味しい。
小さな蕎麦の切れ端すら残さないよう、箸を置いて器に口をつける。傾ければ、少ししょっぱいつゆが口に広がり、溺れる程の幸福感を味わいながらごくごくと一気に飲み干した。うまい。
ほう、と空になった器を見下ろして息を吐く。ふと山野を見れば、湯気で眼鏡を曇らせ、フーフーと冷ましながら食べていた。そう言えば猫舌だったな、こいつ。
こちらの視線に気が付いた山野が顔を上げた。真っ白な俺の器を見て、目を瞬かせている。
「あれ? 吉岡、もう食べきったの?」
「お前が遅いだけだろ」
「えー? 私は普通だけどなぁ」
山野は眉を顰めてうどんに向き直った。それからゆっくり口元に笑みを浮かべて「それだけ疲れてたんだねぇ」と言うもんだから、俺の眉間に皺が寄る。
「どういう意味だ?」
「今日、朝から顔色悪かっただろ? 飲み会にも来なかったし。ここ最近、課題だバイトだーって、忙しくてまともにご飯も食べてないって聞いたよ」
吉岡、前にこれが好きって言ってたからさ。
そう言って、山野が俺の手元の緑の蓋を指差した。居心地が悪くなって、顔を背けた。
確かに、こいつの言うとおりだった。
テストが近いからと出された課題の量はいつもの倍近く、バイト先も売上が上がったとかで息つく暇もなかった。今朝たまたま遭った山野に飲み会に誘われたが、とても行く気にもなれなくて断った。帰ってきてから課題に追われ、気が付けばこんな時間だった。最近は……いや、今晩何を食べたのかすら覚えていない。それくらい、おざなりな生活になっていた。
久しぶりに温かい飯を食べた。美味しくて、味わう暇もないくらいがっついた。それでも、それはとんでもなく美味しかった。
そのことに気が付いたら、何故だか無性に胸の奥がむずむずして。俺はからかうように顔を歪めてから、鼻で笑った。
「それはそれは、お気遣い頂きどうもありがとう。こんな対して付き合いもない奴のことまで、ほんとによく見てるよな」
「当たり前でしょ。吉岡のこと、好きなんだから」
「は?」
「え?」
それが、俺たちが付き合う二ヶ月前の話。
真夜中に食べる優しさ 後藤 鯨 @gotou_kujira
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