第一章 序章 蘇る②

 そして大粒の雨に打たれながら龍斗は恐る恐るまぶたを開ける。


「…………っ!?」


 最初に龍斗の視界に飛び込んできたのは綺羅きらが雨に打たれ悲しげに涙を流しながら遠くを見据えている姿だった。

 綺羅を見つめていた龍斗は突然、思い出したかのように辺りを見渡しはじめる。

 先ほどまでいた御寺は見るも無惨なほどに壊されており、雨の中だというのに嗅いだことのない異臭を放ちながら青黒い炎が燃え広がってた。

 寺中で逃げ惑っていた者たちは、血を流し泣き叫ぶ者、青黒い炎で包まれ動かぬ者、悶え苦しむ者で溢れていた。

 龍斗は辺りの光景を目の当たりにして血を流している母の姿が脳裏に浮かぶ。


「かあ……さ……。かあさん……。母さん!! うわっ!?」


 母を呼びながら走りだした途端、何かにつまずき体勢を崩す。

 なにに躓いたのか龍斗は足元に視線を向けると目を見開いて駆け寄った。


「母さん! 母さん!! 良かった……」


 母を抱き抱え呼吸していることを確認すると龍斗は安堵し母をその場に寝かしなおす。

 すると、聞き覚えのある声が龍斗のことを振り向かせる。


「龍斗……。俺はこんな世界を生きていくのに疲れたんだよ。俺は皆の期待に応えられなかった……。誰も救えなかった……」


 それは綺羅の悲しくも後悔しているような声色だった。

 龍斗は激しい剣幕で綺羅を睨みつける。


「綺羅にぃっ! どうしてこんなことをしたんだっ!!」


 綺羅は龍斗の問には応えず話を続けはじめる。


「龍斗。お前なら鬱化デプレ化した人たちを救ってやれる」


 龍斗は綺羅が何を言っているのか全く理解ができなかった。

(俺が人を救える?)


 龍斗が思案している間も綺羅は話を続ける。


「この世界は酷く醜い人間で溢れかえっている。

 人間が持っている純白の心を同じ人間が漆黒の心に染めあげ鬱病デプレにしていく。

 鬱病デプレになった者は、人間を恨み、世界をも怨み、抑えきれなくなった漆黒の心から黒いもやが溢れ出ると鬱化デプレ化となる。

 鬱化デプレ化した者は、人間を襲い、街を、いや世界を破壊しようと暴れ狂う。

 被害者だった者が加害者に一瞬で変わる理不尽な世界だ。

 笑ってしまうほどに救いようのない無慈悲な世界だった。

 何故、人間は一人の人間を集団で痛めつけて笑っていられるんだ。

 何故、人間は他人との優劣を付けようとするんだ。

 何故、人間は自分のことしか考えられないんだ。

 何故、…………………………………………。

 …………………………」


 突然話を続けていた綺羅が口を噤む。

 龍斗は綺羅のようすを伺いながら疑問を投げ掛けた。


「なにをいっているの……っ!?」


 龍斗が声をかけた瞬間、綺羅は髪の毛を掻きむしりながら奇声をあげる。


「何故……。なぜ? ナゼ! 何故! 何故っ! 何故なんだっ!!」


 突如、錯乱状態になった綺羅は人間とは思えない咆哮をあげると静かに龍斗の方に顔を向ける。

 龍斗は初めて見る綺羅の姿に恐怖の余り身体が震えその場で立ち尽くしていた。

 そして綺羅が思いがけない言葉を口にする。


「龍斗が持っているその性格ちからはこの世界の人たちを救ってあげられるんだ」


 先ほどまでの綺羅はどこにいってしまったのかと考えさせられるほど、冷静な綺羅の態度に龍斗は困惑する。

 龍斗は自分の身体が震えていることに気がつく。

 それは狂気とも寒さとも違う色々な感情が入り混じって心の奥底から湧き上がるようなそんな感覚に包まれていた。

 龍斗は震える身体を無理やり抑え込むため両手で頬を叩く。


「俺はこんな性格ちからいらないんだよ……。これは人を救う為のものじゃない! 自分が生きていくためだけに身につけたものだ!! 人間なんか大嫌いなんだよ!!」


 龍斗は綺羅に対して感情をぶつける。

 綺羅はそんな龍斗を見守るように見つめていた。


「知っているよ。元々人間が大嫌いで学校に馴染めていなかったことも、なにより


「なら、なんで綺羅にぃは俺なんかに人を救えって言うんだ……。人間が大嫌いなのに救えるはずがないじゃないか。俺が救いたかったのは……うぅっ……」


 龍斗は今にも泣きそうな表情を浮かべ俯く。


「龍斗……。泣くな」


 それは龍斗にとって久しぶりに聴いた綺羅の優しい声だった。

 龍斗が顔をあげるとそこには綺羅が立っており穏やかな表情で頭を撫でた。


「綺羅……にぃ……。うっ……ぐすんっ」


「龍斗は相変わらず泣き虫だな。男ならなにがあっても泣くな」


 龍斗は空を見上げ我慢していたであろう涙はしだいに激しさを増しやがて大粒の雨へと変わりゆく。


「綺羅にぃ……。俺が救いたかったのは綺羅にぃだ! なんで……なんで……死んじゃったんだよ……っ!! 俺の性格ちからが人を救えるんだろ? だったらなんで俺は綺羅にぃを救えなかったんだっ!!」


 龍斗はまだ幼いこぶしで綺羅を叩きながら訴える。

 綺羅は困ったような顔をしながら微笑んだ。


「龍斗……? 死んだ俺はいいんだ。その気持ちだけで……。今のお前なら皆んなを救ってやれる。だから……ぐっ!!」


 綺羅は胸を抑え苦しみながら龍斗を遠ざけるように後退りしていく。

 龍斗はその後を追うように一歩踏み出した。


「龍斗! 俺に近づくなっ!! 母さんと雫月なつきを連れて逃げろ。はやクしろ!!!」


「嫌だ……っ!」


 龍斗は涙を流しながら綺羅の元へと走っていく。


「俺は綺羅にぃを救いたいんだ!!」


「クルナ!」


 綺羅は右手から黒いもやを放出させると龍斗に向けて放つ。

 龍斗は目の前から迫ってくる黒い靄を避けたはずが身体に強い衝撃が走りその場に倒れ込む。


「ぐっ……! がはっ!!」


 綺羅は胸を強くわしずかみにしながら意識を保とうと必死に足掻いていた。

 龍斗は身体に走る痛みを耐えながら地面をっていく。


「綺羅……にぃ……。俺にしかできないのなら救ってみせるから……。だから、行かないでっ!!!」


 龍斗の言葉を聴いた綺羅の目は大きく見開き、目からは涙が静かにこぼれ落ちる。


「成長したな……。龍斗からそんな言葉を聞けるなんて。あぁ……生きてるうちにその言葉を聞きたかったな」


 涙を流している綺羅の身体から黒い靄が溢れはじめる。


「今になって、死ンダことを悔いタヨ。生キテいればヨカッタ……」


 龍斗は意識が段々となくなっていく。


「まっ……て……」


 黒い靄に全身を覆われてゆく綺羅は龍斗に最後の言葉を告げる。


「龍……斗……。アリガトナ……」


 龍斗はかすれゆく意識のなかで聴いた綺羅の最後の言葉だった。

 視界が暗闇になった龍斗は大粒の雨が降りしきるなか意識を失った。



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