第22話 02:00 サンダンス&ブッチ


 腹部から絶え間なく流れる血を両手で押さえ地面に倒れているという、紛れもない現実をブッチは信じることができないでいた。


 生来せいらいの覚醒者気質に呪いの反射的効果も相まって、およそどんな銃弾も避ける自信があった。

 しかしサンダンスに撃たれるなんて全く予想していなかった。


 サンダンスが自分に銃口を向け、銃弾が放たれ、被弾した一連の流れをその目で余すところなく見たにもかかわらず、それらを否定する何かがあるのではないか疑ってしまう。

 相棒サンダンスが自分を撃つなんて、それ程ありうべからざることだった。


 女の叫び声が聞こえた。


 ……いま、父さんって言ってなかったか? 


 ブッチは目だけ動かしてサンダンスを見た。

 サンダンスは仰向けに倒れ、女がかたわらに屈んで彼の傷口を必死に押さえている。


 ふたりの関係を理解し、呪いの効果が頭をかすめたとき、悪夢ともいえる確信がブッチを襲った。

 小さく漏れたうめきが尾を引いて慟哭どうこくへ変化してゆく。


 俺は……、なんて事しちまったんだ。


 愛するものとの惜別せきべつの悲しみを相棒に味あわせたくなかったのに、図らずも彼と娘を生と死で分かつ状況を演出してしまった。


 だから彼は、ふらつく身体をひきずってキャロラインのもとへ向かおうとしているハネツグが視界に入ったとき、懇願こんがんするように声をかけたのだ。


「よう……、助けてくれよ」


 ハネツグは最初、どこから声がするのか分からなかった。再び聞こえた声を辿ってブッチを見つけたときは肝をつぶした。怪我や火傷で酷く損傷していて死体にしか見えない男が喋っている。

 しかもよく見ればこの男、忍者と一緒にキルボットたちを蹴散らしていた猛者もさではないか。


「助けてくれ……、お願いだよ」


 ハネツグは不思議に思えてならなかった。

 あの戦いぶりから察するに、己が生命などドブに捨ててかえりみる事などなさそうな男が、どういうわけか涙を流して命乞いのちごいしている。


 もちろんブッチの真意は違う。

 呪いがどの程度の同調性をサンダンスとブッチの間にもたらすか分からないが、自分が生きていればそれだけサンダンスの生命も永らえて、娘との邂逅かいこうを引き延ばすことができるかもしれないと考えたのだ。


 彼がサンダンスにしてやれる事は、もうそれしかなかった。


 やがてブッチの視線はハネツグから逸れて虚空へと移った。「息を、しなければ……息を」喘ぎながら自分に言い聞かせる。

 一方、サンダンスは自責の念で泣きながら自分を介抱するキャロラインを懸命になだめていた。


「あんな撃ち方では地面を撃っても空に当たる。これは呪いなんだ。お前が悪いんじゃないよ」

「……呪い?」


「ああ、お前が撃たなくても、他の誰かが撃っていたさ。私は悪事をいっぱい働いたから、ツケがしっかり回ってきたんだ」


 サンダンスは息を大きく吸ってから「だからね、キャロライン……」とつづけた。

 光が見えてきた、そろそろ限界だ。残ったわずかな力で娘に何かを伝えたい。


 サンダンスは折にふれ、そんな事は一生ないと思いつつも、例えば娘に会ったならどんな言葉をかけるべきかというお題目を自らに問うてきた。


 「大きくなったな」という月並みな表現から始まり「母さんに似てきれいになった」や「長いあいだ放っておいてすまなかった」など、様々な言葉を浮かべてはコネくり回してきた。

 しかし実際に口をついて出た言葉はそれら全部をすっ飛ばした別のものだった。


「私なんか真似ないで、自分の道をさがしなさい」

 それは語る本人の心に突き刺さる、正しくも悲しい自己否定であった。


 ハネツグはブッチの瞳から生命の輝きが失われる瞬間を見た。同時にキャロラインの痛々しい叫びを耳にした。


「やだよ死なないで……、父さんっ!!」


 そしてこれまた同時に小石を躍らせる振動を地面から感じた。ブリキの通信途絶に反応して、エレファントが大通りを折れてこちらにやってきたのだ。


 ハネツグはすぐさま駆け出し、エレファントの鼻『100㎜砲』が放つ砲弾が背後で着弾して土の雨を降らすなか、サンダンスの横でうなだれるキャロラインを素早く抱きかかえた。



         ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 ハネツグは路地を曲がってもなお走りつづけた。

 キャロラインは彼の首に腕を回し胸元に額をつけて小さく細く泣いていた。艶やかな髪ときれいなつむじがハネツグのすぐ下にあった。


 盗人街ではそこかしこで住民と新政府軍が血戦を繰り広げており、街全体が狂瀾怒濤きょうらんどとうの様相を呈していた。

 照明弾の明かりが一瞬陰ったのに気づき、ハネツグは空を見上げた。すると彼のはるか上空を飛んでゆくマジョリカの後ろ姿が見えた。


 その手には青く輝く女神像があった。

 つづいて空を埋め尽くさんばかりの鳥たちが彼女を追いかけて通り過ぎていった。 


 貧者に金貨を降らせ、愛を乞う者に恋人を与える女神の像。


 あれを取り返すことはハネツグにとって至上命令だったが、もはや遂行する気は失せていた。

 そんなことよりも、彼の腕に身体をあずけてしくしく泣いているキャロラインを早く安全な場所へ避難させねばという使命感が先に立ち、それだけが彼をつき動かしていた。



         ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 スローターハウスを抜けだしたマジョリカは南へとまっしぐらに飛んだ。

 背後から雲霞うんかの如き鶏の大群が迫る。長い金髪を風になびかせてぐんぐん速度をあげてゆくと、不意に身体が軽くなる感覚を覚えた。


 いままで当然と思っていた身体の重みが実は見えない荷物を背負っていて、それが突如として消えたような浮遊感にも似た感覚。

 その原因を彼女は眼下に発見した。

 大通りからひとつ入った枝道で殺し屋ふたりが死んでいたのだ。


 死と闇に長けた覚醒者ふたりが死んでいる。

 マジョリカには信じがたい光景だった。あのふたりを殺せるのはあのふたりだけだと思っていた。


 しかし血肉をひとつにするほど昵懇じっこんのふたりが殺し合うなんてありえない。ゆえにふたりを殺すことはできない。

 ところがどうだろう。上空から見たかぎり、ふたりはまるで一騎打ちでもしたような状況で倒れている。


 覚醒者ふたりが死んだことで彼女が無意識に感じていたプレッシャーから解放された。身体が軽くなったのはそれが原因にちがいない。


 目の上のたんこぶがなくなったのだから手放しで喜ぶ状況だが、今のマジョリカにそんな余裕はなかった。下手すると彼らの二の舞になりかねない。


 鶏の鳴き声が真後ろで聞こえ、即座にライフルを反転させて猛スピードで後退しながら発砲を繰り返す。弾幕を免れた鶏は抜いたスピアで貫いてゆく。


 その間に背後を何度も振り返って方向を確認する。

 このままではいずれ鶏たちに呑みこまれてしまう。そうなったら防御領域を発生させるしかないが、あれとて長く使えるわけではない。


 どうしたものかと思っていると、視界に自分の店が入った。屋上にアレン大佐の姿もある。

 マジョリカは方向を変えて店に接近した。


「手伝ってください!」


  アレン大佐もマジョリカの飛来に気づいて彼女に向かって手をのばす。大佐をライフルに乗せて前方を確認してもらい、その間、彼女は鶏の攻撃に専念すれば窮地を脱することができる。


 もう少しで手をつかめると思ったとき、空気を震わす爆音がして永年コンクリートが破裂した。

 大佐はそばにいたイソルダ曹長が屋上から落下する様にすぐ反応して彼女のもとへ飛び、マジョリカの手は浮遊する大佐の栗色の髪をほんの少し撫でて空をつかんだ。


 マジョリカが掴み損ねたのは大佐の手だった。


 しかし、そのとき彼女はもっと大事な何かを掴み損ねた気がした。

 

 旋回する余裕などない。

 こうなったらひとりで鶏に対処しようと決意したとき、眼前にエレファントが現れた。

 この巨大な移動要塞は動きが緩慢ゆえ、突然飛来したマジョリカや鶏たちにまったく対応できていない。

 マジョリカは鶏を使ってこいつを倒してしまおうと思い立った。


 急速に高度を下げてからエレファントの脚の間をすり抜け、腹に頭をぶつけそうな高さで直進して股を抜けてすぐ上昇した。


 彼女を追う鶏たちは超硬合金の脚に次々と衝突し、次に彼女の動きに合わせて高度を上げエレファントの底面にも玉突き衝突のように連続でぶち当たってゆく。


 元々装甲の薄い低面はあっという間に穴が空き、精密機器が並ぶエレファントの内部に大量の鶏が押し寄せた。それらは砲塔や機関部にも迷わず特攻をしかけ、エレファントは内部から爆発して地面に崩れた。


         ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


 残骸だらけの荒野と化したスローターハウス周辺に照明弾が白くて強烈な光りを落としている。

 ユートの所属する第10重装機甲歩兵旅団が盗人街に侵攻しているのだ。

 事実、南の方角から銃声が轟き、その範囲も徐々に広がっている。


 そんな中、ユートはメイドを一心不乱に捜し続けていた。瓦礫と瓦礫の間を伝い、建具や機材の残骸で埋もれた部屋をひとつひとつ丹念に調べた。


 時おり見つける遺体はどれも酷い有り様で、稀に原形を保っていても真っ黒に焼け焦げていた。

 その度にドキリとしながら近づいては細部を眺め、彼女と断定できる特徴を捜した。それでもやはり見つからない。


 やがて傷の痛みと疲労がユートの気持ちに影を落としていった。なんだか無為な作業に思えてきたのだ。

 位置的に考えてもメイドはスローターハウスの爆発で熱を感じる間もなく消滅してしまった。

 そんな考えが頭に浮かんで離れなくなってきた。と同時に旧指令塔から見下ろしたメイドの顔が鮮明によみがえってくる。


 マジョリカの店で初めて会ったとき、彼女は大きな瞳と白い肌が美しい、けれど感情に起伏のない機械染みた女性という印象を受けた。


 しかしそれは身分を隠すための仮の姿であり、ついさっき旧指令塔から見た困惑と恐怖が同居した複雑な表情の彼女こそが本物なのだ。


 ユートは盗人街で潜伏していたメイドの孤独を想像した。そして自分が現れたことで共闘者を得た喜びを想像した。

 途端に胸がいっぱいになり、張り裂けんばかりに膨張した悲しみが嗚咽となって口から漏れた。


 旅団に合流しようと思った。

 骨の髄まで疲れきっていて身体もあちこち痛い。もう限界だった。


 けだるい気持ちで立ちあがったとき、ふと彼はメイドが大爆発から生還していたらどうするだろうと考えた。

 真面目な彼女は任務であるエナジーコア回収のためスローターハウスへ向かうに違いない。そう思った直後には立坑を下りる決意を固めていた。


 大きく削れた立坑の縁に立って下を覗きこむ。

 照明弾の光りがあってもなお穴の底は暗く、闇が手をのばして足首をつかんできそうな恐ろしさがあった。当然螺旋階段は吹き飛んでいる。


 どうやって降りればいいか分からないし、よしんば降りられたとして今度はどうやって上がればいいかもっと分からない。


 とりあえずロープでもないかと振り返ったとき、地面が急激に背後へ傾いた。

 重力に引かれて身体がのけぞり、よろめくさまに後ずさった先に床はなかった。


 ユートは悲鳴の尾を引きながら、井戸に放られた小石のごとく立坑の奈落へ吸い込まれていった。

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