第19話 23:00 ユート&ディープスロート
新政府軍二等通信兵ユートの意識は深い眠りに沈んでいたが、それでも自分が旧司令塔にある医療施設のベッドで横になっていることは理解していた。
ワイルドギースが自分をここまで運んでくれたことを夢うつつに覚えていたのだ。
彼がディープから指示されたふたつの任務、すなわち空の脅威と陸の脅威を排除するという任務は彼の努力とは無関係に達成され、この街でやるべきことはなくなった。
そういえばディープは最後にもうひとつ任務があると言っていた気がするが、どんな内容だったかさっぱり記憶にない。
たとえ覚えていたとしても実行できるとは思えない。
ゆえにさっさと諦めてこのまま23日ぶっ通しで惰眠を貪るつもりだった。
ところが意に反して意識が眠りの底から浮き上がってきた。
なんらかの外的要因が眠りを妨げているのだ。
不本意にも目を覚ましたとき、かまびすしい銃火砲火のアンサンブルが一気に耳の中になだれ込んできた。
いくら盗人街が物騒な場所とはいえ、夜中に対空砲や機関銃の咆哮が切れ目なく続いているのは異常だ。
ぼんやり気味の頭を抱えて起き上がり、自分の身体を見おろす。
上半身は裸であちこちに包帯が巻かれ、下半身はズボンの右太ももから下が切り取られて添え木が包帯で固定されている。
こりゃひどいなと嘆きながら、それでも身体はなんとか動かすことができた。
うめき声を漏らしてベッドから出た。
よたよたと窓際に寄って外を眺める。
眼下は居住区らしく木造の家々がひしめき合っているのだが、これが妙な按配だ。
ほとんどの家屋に明かりが灯り、住人たちがそそくさと荷造りをしている。
盗人街から逃げようとしているのだ。延々と続く銃撃の音は盗人街にあってもやはり異常事態なのだと知った。
そこでやっとユートは第10重装機甲歩兵旅団の盗人街占領作戦を思い出した。
旅団と盗人街の武装勢力が市街戦を繰り広げているのかもしれない。たしか作戦開始の予定時刻は午前0時だが、部屋のどこにも時計がないので判然としない。
銃声は彼がいる窓側とは反対の廊下側から聞こえているようだった。
ユートは足を引きずりながら廊下へ出て窓に張りつき、そこで目にした景色に圧倒された。旧司令塔の正面にぽっかり空いた巨大な穴からキルボットがわらわらと地上に出てきており、それらを傭兵団ワイルドギースが大きく囲んで銃撃しているのである。
マジョリカも空飛ぶライフルの上に立ち傭兵団の攻撃に加勢している。
それだけでも驚いたのに、更に驚くべきは津波のように押し寄せるキルボットたちの真っ只中に男がふたり孤島のごとく取り残されているのだが、このふたり、背中合わせに立ってキルボットたちの猛攻を尽く跳ね返している。
その修羅のごとき荒々しさは遠くから眺めているユートの目にも強烈に感じ取れた。
しかもよく見るとふたりの内ハンマーを振り回している赤くて丸っこい男は数時間前に屠殺人の殺しを依頼した殺し屋ブッチではないか。
何が起きているのだろう。
しばらく考えてみたがさっぱりわからない。
混乱した頭を鎮めようと視線を落としたとき、橙色の光りが灯る街灯の下、捨て置かれた廃車にぴたりと身を寄せるひとりの女性を認めた。
あのロングドレスとエプロンには見覚えがあった。マジョリカの店にいた情緒的表現の乏しいメイドだ。
しかし記憶にある印象とは違い、いま目にしている彼女には不安気でまごついた雰囲気があった。
メイドは周囲にいくつかの器材を並べ、時おり車の影から大混戦を盗み見ている。やがて車の陰に身を屈めて器材をひとつ膝のうえに置いた。そして指先でいじり始めた。
ユートの背後で馴染みの音が鳴った。部屋に戻るとそれはベッドの枕元に置かれた小型通信機から発せられていた。
もしやと思い、部屋に戻って通信機を手にしてから再び廊下の窓辺に立った。
『わたしだ』イヤホンから聞こえてきたのは仁丹の香り漂う渋い声だった。その言葉とメイドの口の動きがぴたりと合致していた。変声機能を使っている。
諜報員ディープ・スロートの正体はメイドだった。
声を変えているのは名前を伏せているのと同様に素性を隠すためだろう。
『君には尊敬の念を禁じ得ない。まさか最後の任務まで完遂してみせるなんて』
なんだろうこの既視感は。
またしてもあれか、自分の任務が自分の行動とは無関係に達成されたというやつか。
『作戦を指示した上層部ですら成功の可能性はゼロに近いと踏んでいた3つ目の任務を、きみは疑う余地なく完遂した。上層部は君が世の大事を為したと口を極めて褒め称え、君のためにポストを新設する計画まで立てている。あるいは政治の方面から誘いがあるかもしれない。
いずれにせよ、君はいまや新政府の英雄だ』
「俺は何をやったんだ?」
情けないことに今回は任務の内容すら知らない。
『それは私が訊きたいくらいだ。一体何をしたら盗人街の3つの勢力を互いに戦わせて街全体の戦力低下を図るという実現困難な任務を成しえたんだ?』
いま街で展開されている市街戦は俺がつくり出したものだというのか?
違う、俺は旧指令塔でぐっすり寝ていただけだ。
『さて、今度は私が君の功績に報いなければならない。もうすぐ第10重装機甲歩兵旅団が盗人街に攻撃をしかける。その前に片付けなければならない仕事がある。君の任務ほど困難ではないにせよ、はたして達成できるか、正直、自分でも分からないよ』
メイドは力なく肩をおとした。
「どんな任務なんだ?」
『詳細は言えない。諜報部の人間は嘘や秘密が大好きだからな。ただ、これから私が言うことはすべて真実だ』
メイドは背筋を伸ばし、まるでそこにユートがいるかのように、膝の上に置いた通信機に真摯な眼差しを向けた。
『君が今回の作戦を知るずっと前から、私は諜報部の密命で盗人街に身を置いていた。クラボットの修理を独自に体得し、学者の信頼を得て懐に入り込んだ。その後、学者に進言して魔女の店に従業員として潜伏した。つまり私は魔女の店で働きながら魔女の情報を学者に伝えるスパイであると同時に、魔女と学者についての情報を新政府の諜報部に伝えるスパイでもあった』
『そうやってあちこち騙していても、私は基本的に臆病者でね。恐怖と不安の毎日だったよ。そんなとき、ようやく盗人街占領作戦が形を成して君が現れた。同じ場所に同じ志を持った人がいてくれることがこんなに嬉しいとは思わなかった。
しかも与えられた任務をすべて完璧にこなす信頼の置ける存在だった。要するにだな、私が言いたいのは……』
メイドは一度マイクロホンから顔を離した。
そして大きく深呼吸してから再び顔を近づける。
『君にありがとう、と言いたいのだよ』
メイドは通信機に手を伸ばした。スイッチを切ろうとしている。ユートは咄嗟に「待って!」と叫んだ。
「俺は何もしていない。すべてが偶然の連鎖であって俺が為し得たことじゃない。お願いだから新たな任務を与えてくれ。今度こそ俺ひとりの力で立派にやってのける」
『上層部から君への指示はない。あえて言うなら早く盗人街から退避することだ』
「じゃあ、あんたが指示を出してくれ。身体は傷だらけだがまだやれる」
『怪我をしているのかい?』
「どれもこれも唾つけてりゃ治るやつだ。いくらでも動ける」
『ここから先は私ひとりの任務だ』
「さっきあんたは任務を達成できるか分からないと言っていた。俺が協力すれば達成できる可能性は高まる」
『もう弱音は吐かない。臆病者が迷い込む袋小路から君は私を救い出してくれた』
「それは嘘だ。今だってあんたは不安で押し潰されそうになっているじゃないか」
メイドは凍りついたように動きを止めた。数秒後、通信機から目を離して周囲をゆっくり見渡した。
『ユート、どこにいるのだ?』
「旧司令塔からあんたを見ている」
見上げる彼女と目が合った。
ユートが手を振ると、メイドは困ったように眉を八の字にして、それでも口元には笑みを浮かべながら小さく手を振って答えた。そして通信機のつまみを調整してから、
『声、偽ってごめんなさい』
彼女に似つかわしい端正な声だった。
『あなたが捕まったり、裏切ったときの保険だったの』
空から雷鳴に似た爆音が轟き、ユートは反射的に腰を屈めた。
恐々と空を見上げたとき、自分の目に映った光景が信じられず何度も瞬きした。市街戦の中心たるスローターハウスの上空に、まるで天から吊るされたように男がひとり浮遊している。
男は確固たるエネルギーを漲らせながら両手をひろげて身体を反らした。すると身体のあちこちから青い放電がバチバチと音をたてて発生した。
「
大喝して手を振り下ろした直後、ぴんと伸ばした指先から稲妻が放出され、それは葉脈状に分裂して地上に落ちると強烈な閃光を伴って周囲の物一切を弾き飛ばした。
ワイルドギースも負けじと反撃するが、銃弾も砲弾も男に接触する直前でなぜか失速して地面に落ちてゆく。
攻撃がまったく効かないことに隊員たちは浮足立っている。
「……なんだ、あいつ?」
悪魔が地の底から姿を現したのか、それとも神が人に罰でも与えにきたのだろうか。
『人類を滅亡寸前まで追いやった人造人間の生き残りよ』
メイドが説明した。再び彼女に視線を戻すと地面に置いていた器機をせっせと身体に装着している。
「あれってみんな破壊されたんだろう?」
『でも生きていた。親派の人間があれをスローターハウスに匿ったの。あるいは人造人間が親派の人間を匿うため一緒にスローターハウスに隠れたのかもしれない。私の任務は人造人間を破壊して、あれが内部に装着したエナジーコアを回収すること』
人造人間の指先から放射される稲妻は激しさを増してゆくが、それとて身体から漏れ出る漏電に過ぎず、彼の本領は身体の中で飛躍的に質量を増大してゆき、直下にある石ころや砂が引き寄せられて浮遊するほどである。
人造人間は巨大な一撃で盗人街を灰燼に帰すつもりだとユートは直感した。
そんな彼の目の端に颯爽と空を舞うマジョリカが映った。
マジョリカはスピアを前に突き出して人造人間に突撃した。
人造人間は両手の指さきを彼女に向け稲妻を放射したが、そのすべてが彼女の直前で奇妙に歪んでからあべこべな方向に飛んでいった。彼女が周囲の空間を歪めているようにユートには見えた。
人造人間は可視的なまでに高まった防御領域を展開し、直後、マジョリカの展開している空間転移領域と衝突した。
互いを激しく拒絶しながら、尚も距離を詰めてゆく相容れない領域は、いつしかふたりの周りに不安定な竜巻を発生させ、その竜巻を突き破るように稲妻があちこちに落下してワイルドギースもキルボットも関係なく薙ぎ払ってゆく。
外見こそ人間のふたりだったが、戦う様はもはや人間同士のそれではなく、神話で語られる神々の戦いを想起させた。
この時点でワイルドギースは完全に統制を失い、烏合の衆と化してばらばらに潰走をはじめた。
ユートはメイドに向かって叫んだ。
「あんなのと戦うなんて無茶だ!」
『最終戦争は人類の勝利で終わった。だから私も勝利する』
メイドはスカートをふわりと翻し竜巻に向かって駆けて行った。
金属のリュックを背負い、奇妙な外見のロケットを右肩で構えている。メイド然とした衣装にちぐはぐなメカメカしい外装だった。
戦闘と爆発と強風のごたまぜになった大混乱の中をメイドはひたすら走り抜け、人造人間の背後へと迫る。
傭兵の流れ弾を避け、襲い来る半壊の機械人形を蹴り倒し、すべてを吹き飛ばしそうな強風を極度の前傾姿勢で耐えながら、それでもメイドは走りつづける。
集中力が頂点に近づき、周囲の音が遠くに聞こえるなか、思考の片隅でユートのことを浮かべていた。
彼は私のことを心配してくれた。
私が死んだら彼は悲しんでしまうのだろうか。
それは少し嫌だな。
やはり姿を見られたのは失敗だった。
人造人間が防御領域を一気に拡大してマジョリカを弾き飛ばした。
竜巻が消滅して視界が晴れた。メイドは足を前に突き出してスライディングのような形で停止すると、ロケットの照準を人造人間の背中に合わせた。
落下してゆくマジョリカは必死に対物ライフルを呼び戻すが、すでに人造人間は彼女に指先を向けて稲妻を放射する準備を完了していた。
彼が決めの一撃を発しようとしたそのとき、メイドの放ったロケットが彼の防御領域に到達した。
通常ならそこでロケットは速度を失い落下するはずだが、メイドのロケットは領域の表面に到達する寸前にぐしゃりと自壊した。
と同時にロケットの内部から光る液体が飛び出して人造人間の背中にかかった。
人造人間は背中にべったり付着した液体を手で触り何であるのかを分析した。どうやら身体に危害を加えるものではないらしい。ならば、これを放った者の意図は何なのだろう。
人造人間が思考しているうちにマジョリカは引き寄せた対物ライフルにしがみつき、地面と衝突する直前に上昇して難を逃れた。
数秒後、人造人間の体内にある生命維持プロトコルが危険を知らせたとき、もはや彼に回避する時間は残されていなかった。
旧時代、対人造人間用に開発された圧縮型ミラニウム弾はターゲッティングされた対象に秒速500mという超音速で接近する。
当時の研究者たちは人造人間の形成する防御領域の構成要素が銃弾や砲弾の接近をいち早く察知して生成される多重構造の金属防壁であることに気づいていた。
ゆえにこのミラニウム弾はどんな金属も溶解するほどの圧力を防御領域表面に発生させ、人造人間に直接破壊的な攻撃を加えることを可能にしている。
しかしミラニウム弾の運用には欠点があった。防御領域を溶解させるほどの圧力を加えるには超音速で領域に衝突する必要がある。
そのためにはブースターを装着するだけでは速度が足りなかった。
そこで研究者たちは重力の力を借りることにした。
ミラニウム弾を装弾した軍事衛星「プロキシマ・ケンタウリ」を建造して宇宙空間に飛ばしたのである。そこからミラニウム弾を人造人間に向け落下させ、ブースターの加速も加えて防御領域溶解に必要な速度を獲得した。
しかしそうなると今度は攻撃の精度が問題となった。
そこで再び研究者たちは知恵を絞り、ミラニウム弾を目標へと誘導するパルス液とその発射ロケットを開発した。
ロケットは人造人間の生成した防御領域の手前で自壊しパルス液を放射する。ロケット消滅により危険は去ったと認識した防御領域が霧散する隙間を通り抜け、パルス液が人造人間の身体に付着する。その液を目標にしてミラニウム弾が降り落ちてくるという算段である。
プロトコルが上空から接近する危機を告げ人造人間が空を仰ぎ見るのと、ミラニウム弾頭が防御領域の天井に接するのはほぼ同時であった。
弾頭は風船を上から指でつくように防御領域をぐにゃりとへこませ、人造人間もろとも猛烈な速さで立坑内部へ押し下げた。
回避不可能を察知した人造人間は立坑に消える直前、キルボットに最後の指示を出した。
刹那、地上で戦っていた数百体のキルボットたちが足の裏から炎を噴き上げ天高く飛んだ。
人造人間が立坑に消えた数秒後、スローターハウス周辺の地面がせり上がり、水面に波紋が広がるような地殻変動のうねりとなって盗人街全体に広がった。
高い建物は横倒しになり、床面積の広い建物はぱっくりと割れた。驚く間もなく今度は耳を聾する爆音とともに立坑から火柱が吹き出してドーム状に膨らんだ。爆炎は半径100m以内の建物を消失させ、爆風は500m以内の建物を粉砕し、衝撃波は盗人街すべての窓ガラスを割った。
上空高く舞い上がるキルボットたちのほとんどがミラニウム爆発に巻き込まれて塵となり、他の機体も爆風で蠅を叩くように吹き飛ばされた。
しかし数体は宇宙空間に到達することができた。彼らは軍事衛星プロキシマ・ケンタウリの躯体を貫いた。
予備のミラニウム弾を大量に搭載したプロキシマ・ケンタウリは動力低下と演算機能喪失により周回軌道面を大きく逸れた。やがて高度を落としてゆき数分後には遠洋に没した。
結晶構造の不安定さゆえ、パルス液の入ったロケットを照準通りに飛ばすには人造人間を視認できる距離まで接近する必要がある。
となると射手がミラニウム爆発に巻き込まれることは避けられない。
旧時代の研究者はその点についても画期的な観点から解決策を見い出していた。
メイドのメイドたる所以、メイド服がそれである。
一見したところフリルのついた可愛いロングスカートのドレスにしか見えないが、その実、高度な技術で開発された強化炭素繊維によって驚くほどの高耐熱性、高強度高弾性を獲得しており、それは人造人間や覚醒者が用いる防御領域と能力において遜色ないものだった。
パルス液を人造人間に命中させてすぐ、メイドはスカートの裾を両手でつかんだ。そして、えいっ! という可愛いらしい掛け声とともに両足を曲げて飛び跳ね、同時に両手を頭上にあげた。
するとお猪口のようになったスカートの裾が急速に閉じて彼女の上半身を包み、またスカートの下のペチコートもあっという間に裾が閉じて両足を包んだ。
メイドが着地したときには人間大の毬のような外観になっていた。直後の爆発で彼女の入った毬は周囲の諸々と一緒に吹き飛ばされた。
あちこちにぶつかり、様々な物が衝突し、その間ずっと超高温に晒された。
爆発の混乱が収まるのを待って、メイドは服をいつもの仕様に戻した。
瓦礫の荒野にゆるりと立ち周囲に視線を巡らせる。
ありとあらゆる物が破壊されて眺めがよくなっているが旧指令塔だけは躯体の強固さゆえに依然と変わらぬ様子だった。
よかった、ユートは大丈夫。
メイドは立坑の縁で立ち止まり、背負っている金属製リュックからコントローラーを引っぱり出して起動ボタンを押した。
静かな排気音がしてリュックの底部からジェット噴射が起こり、メイドの身体が少し浮いた。
身体を傾けて立坑の中央へと移動したあと、彼女は徐々に排気量を落としてスローターハウス内部へと身を投じた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
スローターハウス内部はミラニウム爆発で大きく破壊されていて、ひしゃげた鉄骨や断線した配線が立坑に飛び出していた。
それらの残骸に混ざってキルボットの欠片が引っ掛かっていたり、あるいは熱で溶けて壁に張りついている。
どれくらいの距離を下りただろうか。やがて眼下に残り火に照らされた水面の光りが見えた。
スローターハウスの最下層に降り立った。
爆発による送水管の破損か、地下水がコンクリの割れ目から湧き出たらしく、足首のあたりまで浸水していた。
メイドはスカートをたくし上げて太ももにある小物入れから拳銃と小型ライトを取り出した。
拳銃を持った右手をまっすぐ前にのばし、左手は逆手に持った小型ライトをこめかみの横あたりで構えながらしばらくその場に留まり付近の様子を窺った。
かつては家畜の餌場だったスローターハウス最下層は、今ではその面影もないほどさっぱり消滅し、し尿とすえた臭いだけが微かに残る殺風景な伽藍洞と化していた。
メイドは小型ライトをかざしながらゆっくり身体を回転させるが、水面がライトの光りを反射する以外は何も見えない。
周囲は真空のような静寂に包まれていて耳を澄ましても最初は何も聞こえなかった。
が、少しするとほんの僅かだけど水が跳ねる音が聞こえ、慎重に音のするほうへと進んだ。
やがて彼女は小型ライトが照らすぼんやりとした景色の中にそれを見つけた。
ほとんど炭化して真っ黒。四肢もすべてが途中で欠損している人造人間が水の中を這って移動している。普通の人間ならばとうに絶命している姿のものが、尚も動いている。
メイドはこの世のものではない何かを見た思いがしておぞ気づいた。
そしてさらに不思議なものを見た。
黒く焼け焦げた人造人間の皮膚が少しずつではあるが赤みを帯びはじめているのだ。最終戦争のときミラニウム弾は人造人間を完全に灰にしたと聞く。やはり完成型の人造人間は量産型より頑丈にできているのだろうか。
人造人間は背後からの光りにようやく気づき、動きを止めて肩越しに振り返った。
その顔は皮膚がすべて剥がれ筋肉の筋があらわになっている、瞼のない眼球は感情を出せず、ただギョロリとこちらを見ていた。
「おお! 生きていたのか!」
人造人間は身体を反転させメイドに向き合った。
胸のあたりから青い光りが浮かんでいるのがろっ骨や筋肉を通して見てとれた。
「ミラニウム爆発にやられた。撃ったのは魔女の一味ではない。いくら羽振りのよい魔女といえど救世軍専有のあれを持っているとは思えない。たぶん新政府軍の仕業だ」
人造人間はミラニウム弾を誘導したのがメイドであるとは気づいていない。
「魔女と争い、殺し屋たちと反目したとたん新政府軍が出てくるのはタイミングとして出来過ぎている。
色々と考えたいところだが、とにかくこの身体を回復させなければ、こんな身体で、しかもキルボットが全滅した現状で敵に攻められたらエナジーコアを容易に奪われてしまう。
あと少し時間があれば手足も再生するし、遠隔操作で家畜武器も使えるようになる。その前に敵が来たらお前がなんとかしのいでくれ」
と、これからエナジーコアを奪い取ろうとしているメイドに向かって人造人間は言うのである。
メイドは意を決して人造人間に近づいた。
右手に持った銃を彼の胸元に向けようとしたとき、彼女は立坑から仄かな光りが降り立つのを目の端にとらえた。
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