第06話 10:00 キャロライン&マジョリカ


 やれやれ、自分でいた種とはいえ、立て続けに一見いちげんさんとは面倒だなと思いつつ、マジョリカは値踏ねぶみするようにキャロラインを見上げた。



 これはあれですね、転売すれば大きな利益を得られるなどと悪い奴の口車に乗ってくずをつかまされた口ですね。

 マジョリカは席を立って軽く会釈するとアレン大佐が座っていた椅子に手をのばし着席を促した。

 キャロラインは椅子に座りバッグをひざの上に置いた。



「まず商品を見ないことには」

 ゆっくり語るマジョリカの顔は商品を見る前から憐憫れんびんの色が浮かんでいる。今回の失敗にめげず強く生きてほしいとその目は語っていた。



 しかしキャロラインがバッグを開けて青い光りが室内に溢れ出したとたん、取りました顔が一変した。



 キャロラインが女神像を机に置くや否や、マジョリカは机上きじょうに身を乗り出して像に鼻先がつきそうなほど近づいた。

 そして金髪も白肌も照り返しで真っ青にしながら食い入るように像を見つめた。



「キャロライン、これが何だか知ってるの?」

 キャロラインは下手に答えたら価格に影響してしまうと思って押し黙った。そんな彼女の心情をマジョリカはすぐにさっした。



「盗人街で取引をするのですから過剰に構えてしまうのも理解できます。しかしわたくしは金貨に誓いを立てた身です。商いは信義にのっとり決して相手をペテンにかけず適正価格で取引します。もし商人の道を踏み外すような事があれば死んでもいいとさえ思っているのです。どう、信用していただけるかしら?」



 なんだかよく分からなかったがキャロラインはコクリと頷いた。

 自らの信条を宣言したマジョリカは、だからエナジーコアが如何なる物なのか律儀に説明した。



「これは女神の彫像をかたどっているけれど、中身はエナジーコアと呼ばれる、旧時代で最も重宝された動力核です」

 マジョリカは両手で彫像を包むとうやうやしく持ち上げた。



「エナジーコアの発明で人類は繁栄の頂点に達しました」

  マジョリカはエナジーコアをうっとり見つめながら言った。



「でも今、世界はボロボロじゃない」キャロラインは反論する。

 マジョリカはエナジーコアを机に置き「そうですね」と同意した。



「人造人間の反乱で世界は大混乱に陥りました。なんとかやつらを全滅させたものの人類側も大打撃を受け、その傷は100年経った現在も癒えることなく、むしろ衰退の一途を辿っている」

 そこまで言うとマジョリカの顔がぱっと華やぎ「でも!」と高い声を発した。



「エナジーコアがあれば世界中のエネルギー不足を解決できます!失われた文明を復興させることだって不可能ではありません!」

 マジョリカはキラキラした瞳でキャロラインを見つめた。

「で、これをいくらで売ってくださるのかしら?」



 これはいくらふっかけても払いそうな展開だとキャロラインは思った。だとしても物差しとなる金額すら分からないのでは具体的な金額を提示するのは難しい。

 なのでマジョリカからヒントをもらおうとした。



「エナジーコアに定価とかあるの?」

「ありません。そもそも値段がつかない代物なのです」

 どこまでも誠実なマジョリカであった。



 こうなったらしょうがない、とりあえず高額と思える金額を言おうと、キャロラインは緊張気味に口を開いた。



「金貨で、ひゃくま……」

「100万枚ですね! 払いましょう!」



 マジョリカは引き台から売買契約書をとり出した。

 慣れた手つきで必要事項を書き込むと、契約書をくるりと回してキャロラインにサインを求めた。



 どうしよう、金貨100枚と言うはずだったのに、その1万倍である金貨100万枚で契約が成立してしまった。



 キャロラインはまったく予想してなかった展開で途方もない金額が懐に入るという状況に頭がついてゆけず、身の内から恐怖が湧き起こるのを感じた。 

 ほとんど泣きそうになっていた。



「キャロラインにお願いがあります」マジョリカは切り出した。

「こういう取引の場合、あ、こういう取引っていうのはつまり、通り一遍いっぺんのお客さまが物を売りに来た場合ってことだけれど、即金が原則となっています。あなたも即金がいいですか?」



 キャロラインは首を縦にぶんぶん振った。

 教会の鬼婆が自分を追ってくるという想像がいまだ頭から離れず、早く女神像を売って遠くへおさらばしたかった。

「店の金庫に100万枚もの金貨はないのです」



 どういうことかと不満を言おうとしたキャロラインに向かってマジョリカは細い腕をのばして人差し指を立てた。

「1日、それだけ時間を頂戴。そうすれば首都にある銀行で不足分を工面することができます」



「そんな短時間で遠い首都から金貨を持ってくるなんて無理よ」

「普通の人ならそうでしょう。でもわたくしは違う」



 陸路なら休みなしで走りつづけてもでも片道3日はかかる距離である。しかしガンシップを使えば1日で往復可能だ。

 さっきの男性にガンシップを売却しなくてよかった。商売というのは何がどう転ぶか分からない。



 マジョリカはアレン大佐を近くに呼ぶと金貨の輸送を指示してから「信用しています」と最期に言い添えた。



「おれが行こう」マジョリカが小さく首を振る。

「わたくしの警護はどうするのです?」



「イソルダ曹長をつける。あいつなら戦闘能力も判断能力も俺に引けをとらない」

「わたくし、あの娘きらいです」



 アレン大佐は困ったように首を擦った。

「わかった、他の奴に行かせる」



 マジョリカは満足気に頷いた。

「それじゃあキャロライン。ここに署名をお願いします」

 契約書の署名欄を指でとんとんと叩いた。



「ちょっと待って、わたし待つなんて言ってない!」

 キャロラインが嚙みついた絶妙のタイミングを見計らって、マジョリカは彼女の手首をつかみ自分に引き寄せ、そして手のひらにずしりと重い袋を乗せた。



「これは1日待たせるお詫び、金貨が100枚入っています。もちろん代金とは別に支払います。これで問題ありませんよね?」



 キャロラインは巾着の重みにゴクリと唾を飲んだ。

 マジョリカの申し出を拒否する気は失せていた。そもそも彼女は女神像を金貨100枚で売ろうとしていたのだから。



「わかった、売る。でもエナジーコアは金貨100万枚と引き換えだからね。それまでは私が持ってるから」

「いいでしょう」



 キャロラインは席に座り直し契約書に大人しく署名した。

「これで売買契約は成立しました。いいですか、エナジーコアを他の人の売ってはいけませんよ。既に金貨100万枚の所有権があなたに移動したのと同様、エナジーコアの所有権はわたくしに移動したのですから」



「わかってるよ、そんなの」

「で、これからキャロラインはどうするのですか? 街に一拍するなら宿を手配します」



「お断りする。居場所が割れてるってどうも不安だから」

「殊勝な心掛けですが、くれぐれもエナジーコアを盗まれないようにしてください。なにせここは盗人街、もしも盗まれたら対価の支払いは当然無効。さきほど渡した金貨も返してもらいます」



「わかってる、何から何までわかってるって」

 ものすごく心配だったが、これ以上キャロラインにあれこれ指示する立場にはない。

 今日はこれで終了とばかりに立ち上がって彼女と握手した。



「お客さまがお帰りですよ」

 扉のほうを見るとメイドがいない。

 いつも顧客を店の入口からマジョリカの部屋まで案内し、商談中は彼女に情報を提供するため扉のそばにいるはずの彼女がいない。



 マジョリカはアレン大佐に歩み寄りメイドの行方を訊いた。

「少しまえに部屋を出て行ったが」



 エナジーコアの興奮で気づかなかった。

「仕方ありません。キャロラインを出口までご案内していただけますか」



 アレン大佐は快諾(かいだく)して、マジョリカの傍らを通りキャロラインに近づいた。

 すれ違い様、マジョリカは「尾行してください」と声をひそめて言った。アレン大佐はさりげなく頷くとキャロラインの横に立ち扉へと促した。



 ふたりが部屋を出て行ったあと、部屋にひとり残されたマジョリカは椅子に深く身を埋めた。

 いつもなら心地よい静寂につつまれるはずなのに、普段は耳に届かない窓の向こうの喧噪や壁掛け時計の秒針の音まではっきり聞こえる。

 神経が過敏になっている。理由は明らかだった。 



 メイドはどこへ行ったのか? 



 ふたを開ければ大したことない理由だろうと意識的に疑問を振り払ってみたものの、頭の片隅には言いようのない不安がなおも居座りつづけていた。

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