第05話 09:00 マジョリカ&アレン大佐


 部屋にはマジョリカとアレン大佐のふたりが残された。

 大佐は机に近づき、さきほどまでユートが座っていた椅子に腰を下ろした。

「なんで売らなかった? 結構な利益になったと思うが」


 あなたの目が売るなと言っていたから、とはマジョリカは言わない。

 それが一番の理由だったが、唯一の理由というわけでもない。だから彼女は二番目の理由を言った。


「わたくしはこの街の多額の投資をしています。それが利回りのいいリターンとなって店の屋台骨やたいぼねを支えている。もし外敵がここを占拠したら、それがすべて破壊される。たしかに金貨で1万枚は魅力的ですが、永年かけて構築した集金システムを手放すほどの価値はありません」


「ほう、俺はてっきり盗人街に惹かれているのかと思った」

「あなたまで変なこと言わないでくださる? 誰がこんなゴミ溜めにひかれるものですか、金貨1万枚どころじゃなく、もっと莫大な資金が手に入ればこんな街すぐにでもおさらばします」


 マジョリカがいつもより多弁であるようにアレン大佐は感じた。

 何かを気とられまいとする心理の表れか、あるいは単に思い過ごしか。いずれにせよ会話がつづく限りは彼女の近くにいられるのだから、大佐にとってはありがたい状況だった。


「莫大な資金って具体的にはどのくらい?」

 なんとなく訊いてみた。

「すごくいっぱいです」


「いっぱいって?」

「いっぱいはいっぱいです」

 具体的な金額は想定していないらしい。


「たとえそれが天文学的な金額だろうと、あなたは手に入れるだろう。今までだって商うことで欲しいものは何でも手に入れてきたんだから」


 アレン大佐は優秀な傭兵であると同時に、勘所かんどころをわきまえた幇間ほうかんを演じる器用さも持っていた。


 こういった雇い主の虚栄心をくすぐる細かい配慮が優良顧客との良好な関係を持続させ、彼の所有する傭兵団ワイルドギースの財政基盤を盤石なものにしている。


 ゆえに彼はマジョリカから高飛車な笑みを引きだせると予想したが、なぜだか彼女は「そうでもないです」と言った。

 どこか寂し気だった。


 大陸で一二を争う名家の血筋であるマジョリカは生まれたときから人生を一族の繁栄のために費やすことが定められていた。

 食事や衣装、住居から結婚相手まで自分の意志が入る隙間がない。


 自立の精神が旺盛ゆえ、そんな生き方が嫌でしかたがなかった彼女は違う未来への糸口を金貨に見出した。


 早々に家柄とは決別してキャラバンであちこちを巡っては雑用で金をため、15歳で自分の露店を持ったのを皮切りにみるみる事業を拡大させていった。



 わたくしが金貨を裏切らないかぎり、金貨もわたくしを裏切らない。



 彼女のモットーは誠実な取引として顕在化し、あこぎな商人たちに辟易へきえきしていた人々の信用をたちまち勝ちとった。

 その姿勢は盗人街に本拠を構えてからも変わることなく、海千山千の商人たちを尻目に毎期々々売り上げを更新し続けている。


 しかし、そんな彼女をもってしても、目の前にいるアレン大佐を手に入れる術が見つからない。

 そもそも告白するという概念がない。


 若いころから商売一筋の彼女は経済的な繋がりでしか人間関係を構築したことがないため、利害を抜きにして人と繋がるにはどうしたらよいのか分からないのだ。


 唯一得意とする財力を使って彼の気を惹こうと理由なく報酬を上げてみたが、結果は身辺警護の隊員が増え、店の守りが拡充されるばかりであった。


 その状況はアレン大佐も同じだった。両親を戦禍で失い。傭兵団に貰われた彼の半生は、そのまま戦争の歴史である。

 いつ死ぬか分からない。だから今を精一杯生きる。そんな刹那的な欲望自然主義がまかり通る傭兵稼業にあって、彼は部隊に家族的な繋がりを求めた。


 隊員同士の信頼を深め、戦闘の際は互いに守り合うという、一見すると傭兵業と矛盾する新機軸を打ち立てた。

 ところがこれが組織的な戦力の向上を促して、旗揚げ間もないワイルドギースは大陸でも屈指の傭兵団へ成長した。


 アレン大佐が初めてマジョリカに会ったとき、彼女はまだ駆け出しの小商人に過ぎなかった。

 それから数年の間にふたりは協力して商売を大きくしていったが、ふたりの距離はなかなか縮まらなかった。


 覚醒者ゆえか、あるは門閥もんばつ出身の気位きぐらいの高さが無意識に滲みでているのか、マジョリカにはどこか個人を超越した雰囲気があった。

 人とのつながりを持とうとしているよりは、むしろ厚い壁を設けて仕切り、自分ひとりで前人未踏の高みへ向かおうとしているようにアレン大佐には思えた。


 しかし同時に大佐は彼女の背中に孤独の影を見つけてもいた。

 いつかあの厚い壁を越えて心を通わせ、寂しげな影を取り去ってあげたい。そして代わりに自分の居場所にしたい。

 そんな仄かな思いが大佐にはあった。


「大佐はどうなのです? ほしい物はあるのですか?」

 買える物なら何でも買ってやるつもりで訊いた。

 アレン大佐はしばらく首をかしげていたが「物ってわけじゃないのだが」と歯切れ悪く言った。


 彼のような傭兵の身分にあっては、思う存分に酒を飲み、多くの女性を抱くことくらいが実現の許される精一杯の夢である。

 しかし、大佐の夢は他の傭兵たちのそれと規模と方向性において一線を画していた。


「こんな時代だからさ、一から国を興すっていうのも可能なんじゃないかと思うことがある」

「それは新政府みたいなものですか?」


「ああそうだ。ワイルドギースを国軍にして新しい政治や法律をつくって、俺はそこの王になることを時々想像することがある」

 言ったあと恥ずかしそうに笑って「子供っぽいだろう?」と付け加えた。


 ところがマジョリカは思いのほか真剣な面持ちで「そうですか、あなたは王になりたいのですか」と腕を組んで考え込んでいる。


 ふと気づくと、薄く開いた扉からメイドがふたりを隙見していて、 

 こちらの視線に気づくなり「お邪魔でしたか?」と平坦に訊いた。


 マジョリカは睦言むつごとを聞かれたような恥ずかしさを覚えて「まったく邪魔じゃありません。ぜんぜん暇ですよ」と必要以上に否定した。


 だからだろう、そのあとメイドから本日二度目の飛び込み客が来たと告げられたときも「お通しして、ぜんぜん暇ですから」と不本意な道を走りつづけてしまった。


 メイドが通路に消えたあと、心の動揺を治める暇もなく扉が勢いよく開き、20歳にも満たない短髪の少女がずかずかと部屋に入って来た。


 彼女は椅子に座るアレン大佐のまえで立ち止まり、彼を睨むように見つめて、わたしの名前はキャロラインと胸に手をあてながら自己紹介した。


「あなたは盗人街で一番大きな店を持っていて、一番信用できる取引をすると聞いたわ。あなたに買い取ってもらいたいものがあるの。とても高価なもの」と口早に言った。


 アレン大佐は席を立って彼女に譲りつつ、商人はあっちとばかりにマジョリカに手をのばした。

 キャロラインはマジョリカに視線を移すと一瞬だけ意外な顔をしたが「そうか、魔女だから女性か」と小さく言った。

 それからアレン大佐に披露した自己紹介を、マジョリカに向かって繰り返した。

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