第03話 07:00 ハネツグ&オズ博士
圧巻である。
物心ついたときから辺境の教会で育ったハネツグにとって、盗人街はもはや異次元の世界だった。
様々な民族、宗教、言語が広大な空間に集められた独自の混沌がそこにはあった。
もう空気からして混沌である。
薬品のような香りと食べ物の香りが混ざり合っておいしそうだけど食べてはいけない物の香りがする。
とりわけ大通りの混雑ぶりは壮大で、まるで蛇のようにのたくる巨大な人間の集合体だ。
人々の衣装もひとりとして同じものはない。太陽光から身を守るため衣服を何枚も重ねたスカベンジャー風の男性がいると思えば、全裸に近い格好で原色看板の店前に立つ
建物も同一性がまるでなく大小かたちも様々で互いが押し合うようにひしめいている。
弁士のごとき売り子の口上や酒気を帯びた男たちがジョッキをぶつけ合う音。ひときわ声の大きな場所を見ると、即席のステージで筋骨隆々の男ふたりが派手に殴り合っている。
歓声をあげる人だかりの背後には賭けの倍率が書かれた看板があった。
しかしどういうわけか、この欲望と退廃渦巻く空間に囲まれて、ハネツグは胸の内から歓喜が這い上がってくる感覚を覚えた。
見るもの聞くものすべてが新鮮だった。
あからさまでまやかすことなく、ただあるがままの人間であろうとする人々の姿がそこにはあった。
女神アルテミスの彫像を取り返す、その上で窃盗を働いた少女を教会に連行する。
そんな基本的な使命をしばし忘れて、ハネツグは欲望の街を見物して回った。
1時間くらい好きに歩きつづけ、屋台でいくつかの料理を食べ、キャラバンの人形劇を鑑賞し、手回しオルガンの曲に耳を傾けた。
気の向くままに角を曲がりつづけていたら、いつしか人気のない横丁に迷い込んでいた。
ふいに敷石を踏み鳴らす幾つもの靴音が聞こえて、隙間と呼んで差し支えない狭い通路から男たちが現れた。
彼らは大きなズタ袋を囲むように移動しており、先頭の男がうしろ手に袋の端を掴み、最後尾の男が他方の端を掴んでいる。残りふたりは袋の両脇にいる。
何かを恐れているのか、しきりに周囲を気にしながら足早に移動していた。ハネツグは不穏な空気を感じて、道を譲るため一歩退いた。
彼らがハネツグの横を通り過ぎようとしたとき袋の中から「だれが、助けてくれ!」と声が聞こえた。
もしかして、人さらいか?
ハネツグは男たちの前に立ち塞がった。
避けられる面倒事は避けるタイプの彼だったが、目の前に助けを求める人がいるのでは
急に道を塞がれてなんとか立ち止まった先頭の男がハネツグを睨みつけた。
「小僧! そこどけっ!」
精一杯覇気を込めて凄んでいるが、どこか腰が入っていない。
「あのう、袋の中身は何ですか?」
「早くどけって言ってんだよ!」
「いま、袋の中から助けを求める声が聞こえたんですけど。もしかして人が入ってるんですか?」
「人なんか入ってねえよ! いいから通してくれ!」
大量の唾を飛ばしながら大声で喚きたてるが、その声はもはや恫喝(どうかつ)ではなく懇願に近かった。
「おお、どなたか知らないが、助けてくれ!」
袋の中から再び声が聞こえた。男性のようだ。
「もうだめだ、時間がない!」
一番うしろで袋を握っている男が震える声で叫んだ。
直後、袋の両脇にいたふたりが腰に差した鎌を握ってハネツグに襲い掛かった。
勢いだけの単調な攻撃を、ハネツグは最小限の動作で回避してから冷静に忠告した。
「やめてくださいよ。そんなものが当たったら怪我をしてしまう」
先頭の男は完全に動転し、懐からナイフを抜くとハネツグに突進した。ハネツグは素早く男の懐に入り込み、ナイフを握った腕を掴むと同時に身体を反転させ思いっきり前に折った。
男の身体がハネツグの背に乗った次の瞬間、上下逆さで宙を飛んでゆき建物の壁に衝突して頭から地面に落ちた。これでしばらくは動けないだろう。
残った3人はハネツグを倒さねばどうにもならないと悟ったらしく、各々が武器を手にして彼ににじり寄った。
ハネツグは少しばかり悩んでいた。
鎌のふたりは難なく回避できるとして、彼から一番遠くにいる、さっきまで袋のうしろをつかんでいた男の拳銃をどうしたものか。鎌のひとりを楯にすれば簡単だが、怪我人を増やすのは避けたい。
何か遮蔽物がないかと3人を牽制しつつ周囲に視線を走らせていたとき、どこからともなく金属が擦れるような音が聞こえた。
建物に挟み込まれた細い辻々から姿を表したのは、人の形をした機械だった。
ドラム缶に似た身体から細長い鉄の手足が伸びており、その上を配線がいくつも走っている。
バケツをひっくり返したような頭部には手のひら大の円盤がカチャカチャと回転し視覚センサーのレンズを代えている。見たところ外部電源用のプラグもなく自立稼働しているようだ。
機械人形は通りから次々と現れた。
そのうちの一体がハネツグの前に立ち「きみか! 助けてくれたのは!」と、明らかに人間の声で言った。
しかも袋の中から聞こえてきたものと同一だった。ハネツグは袋に目を落とすが口は閉まったままである。
どういうことだろう?
ほかの機会人形たちは袋を運んでいた男3人をとりまいた。男が悲鳴をあげながら機械人形に発砲したが、甲高い音がして人形は少し上半身を反らしただけですぐに体制を正し、すばやく3人を捕まえると両腕をかためた。
気を失った男も身体を引っ張り上げられている。
ハネツグに話かけた人形が袋を開けた。
中から現れたのは、やはりというか機械人形だった。人形は立ちあがりストレッチのように身体のあちこちを伸ばした。
捕まった男たちは悪態や
ひと通り身体を伸ばした機械人形はハネツグに近づいた。
「君もついてきてほしい。お礼がしたい」
「いや、お礼なんて」
謙遜しつつ、2体の機械人形からおそらく同一人の声が出ているという得体の知れない状況をどう理解していいか分からないでいると、機械人形は頭部の円盤を回してより感度のいいレンズで彼を見た。
「きみ、謎がいっぱいって顔しているね」
ハネツグの思考を読み取るような台詞を言った。
「わたしは外部からクラボットたちの知覚シーケンスにアクセスしているんだ。本当の私はここから少し離れた場所にいる」
「クラボット?」
「いま、君のまえにいるテレコムだよ。クラボットたちは本来インフラ整備用の労働力なんだけれど、たまにこうやって外部の人と交渉するときに使ったりする」
詳しい話は道々教えるからと、クラボットはハネツグの腕をつかんで先に行った集団を追うように移動した。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
一行は乱立する建物のあいだをずんずん進んだ。
途中、何人かの人とすれ違ったが、みなこちらを
「あいつらにはほとほと手を焼いていたんだ」
となりを歩くクラボットが顎を上げ捕縛された男たちを示した。
「クラボットを解体して鉄や鉛、電気回路なんかをジャンク屋に売ってしまう。盗人街のインフラはすべてクラボットが担っているのに、まったく、あいつらときたら何も創造せず、壊して消費するばかりで始末におえない」
細い通路を抜けると視界が一気に開けて大きな広場があらわれた。
立ちこめる人いきれと湧き上がる喧噪が再びハネツグの周囲を満たしてゆく。
クラボットたちは群衆のなかを
見えてきたのは地面にぽっかりと空いた巨大な穴だった。さしわたし100メートルはあろうかというその
穴の内壁に沿って事後的に増設されたらしき螺旋階段があるところを見ると、昇降用の床は機能していないようだ。
穴に近づくにつれ男たちの抵抗が激しさを増し、連行しているクラボットもやや強引に彼らを押さえにかかった。
そんなゴタゴタを尻目にハネツグを案内しているクラボットは立坑を下りてゆき、ハネツグも後に従った。
「彼らをどうするつもりなの?」
「消費者ではなく生産者になってもらう」
そうか労働させるってことか。
盗人街には国家の統治がない。法の支配が存在しない。ゆえに誰のどんな行為も罪にはならないし、行為に対する罰もない。
それは同時に攻撃を受けた側がいかなる報復をしようと咎められないことをも意味している。
この街は主観や感情が関与する危なっかしい秩序の上に成り立っているんだ、しかし今回の例に限っていえば相応の始末のつけ方ではないかとハネツグは思った。
そう思った数秒後だった。
とぼとぼ階段を下りるハネツグの視界の片隅に立坑を高速で落下する何かが映った。
瞬時に視線を動かしたとき、わずかであるが見えたそれらは明らかに盗人4人の姿だった。
彼らは叫ぶでもなく暴れるでもなく、まるで無機物のように落ちてゆき、あっという間に眼下の闇に吞まれていった。
「い! いま!」ハネツグはクラボットの背中を見た。
「落ちた! 泥棒たちが落ちてった!」
クラボットは足を止めることなく、「落ちたのではなく、殺して落としたのだ」と言った。
理解できないとばかりに、ハネツグは階段を駆け下りてクラボットの背中に詰め寄った。
「働かせるんじゃないの? 生産者って言ってたじゃないか!」
クラボットは立ち止まり、頭だけ真後ろに回転させて彼を見た。
「立坑の底には家畜用の豚がいて、彼らには豚の餌になることで食料生産に一役買ってもらうのさ。わたしの言った生産者とはそういうことだ」
ハネツグは愕然とした。
「いつも、こんなことしているの?」
「盗人街っていうくらいだから、豚の餌には事欠かない」
彼らがあんなに焦って逃げようとしていた理由がようやくわかった。いかなる行為も罪にならないと同様に、いかなる報復も罪にはならない。とはいえ生命まで奪うのはやりすぎではないか。
自然、ハネツグの顔つきは険しくなった。口には出さないが抗議の意思がその瞳には浮かんでいた。
反面、クラボットのレンズからは当然というべきか、何の感情も読み取れない。
そこでハネツグはようやく気づくのだ。
ここは自分の慣れ親しんだ常識など通用しない場所なのだと。その気づきは怒りを沈静化させ、代わりに疑念を増大させた。
クラボットを操っている人物と自分との間には共通する部分なんてないのかもしれない。
のこのこついて行って大丈夫だろうか。
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