12 婆様との別れ
婆様は、拓也さんの車で、拓也さんのお母さんとともに富士の麓の樹海の中の自宅に帰ることになった。なんとか高速道路も郊外からは復旧したという。
見送りに出た俺たちに、婆様は言った。
「あなた方の任務はまだ終わっていませんよ」
俺はハッとした。
たしかに、本来だったらなかったかもしれない日常を謳歌している人たちの姿に、俺達はもうやるだけやったのだという油断があったことに気づかされた。
「あなた方が本当にもう分魂としての任務をすべて終えたのなら、あの岩戸からお出ましになった国祖様を護衛していたあなた方のご本体様が、分魂のあなた方をあの時点で収容したでしょう」
「え? そうなったら、僕たちはどうなったのですか?」
悟君が不安そうに聞く。
「魂はご本体様と一体となって再び
「天応山で待っていた僕たちの
杉本君も質問する。
「あなた方の肉体は……まあ、ちょうど今頃、遺体となって発見されたでしょうね」
いたずらっぽく婆様は言うけれど、俺たちみんな背筋がぞっとした。
「分魂が地上に降ろされている間はご本体様といかなる接触もしてはならないことになっています。だからあなた方は、ご本体様が国祖様を警護しつつお出ましになる直前に再び現界の肉体に降ろされたのです。私もそうです。私のご本体が隠遁の地を出てあの神都の宮殿に到着する直前に、私はもう現界に帰ってきておりました」
それで当時の天帝の
「ということは、僕らにはまだ任務が残っているということですか?」
島村さんが聞く。婆様はうなずいた。
「この世に降ろされた魂は、たと大部分の人類のように普通の人霊であっても皆それぞれに任務を背負って生まれ出てくるのです。あなた方のように御神霊の分魂の場合は、その任務が特殊任務だというだけです」
「では、僕たちのこれからの特殊任務とは?」
婆様はまず島村さんを見て、それから俺たち全員を見回した。
「ご存じのように神霊界ではまた政権が変わり、国祖様を真中心に火の眷属と水の眷属が十字に組んで手を携えて人類界を導くいわば十字文明の幕開けです。これから世界は大きく変わっていくでしょう。愛と調和に満ち、東洋の精神文明と西洋の物質文明が十字に融合する新しい時代です。幾憶万年にわたった夜の世、陰光・
そう、その話はすでに聞いている。
「世の中一切が段々です。夜から朝になるのも段々明るくなるでしょ? もし夜から一気にぱっと朝になったら、みんな頭が変になります。階段を昇るのも一段ずつ段々で、それを何段も一気に昇ろうとしたら足を踏み外して転倒して、頭を打って脳震盪とやらを起こすでしょ?」
たしかに。
「今の物質一辺倒の夜の世は、段々と終わっていきます。それが本当の終末です。世の終わりとは物質文明の終わりという意味だったのですよ」
そこでエーデルさんが顔を挙げた。
「でも、終末にはメシアが現れると、私たちの民族には伝えられています」
「メシアとはどういう意味ですか?」
逆に婆様がエーデルさんに聞く。
「はい。正しい発音はマーシアッハ、つまり油を注がれたものという意味で、救世主を指します」
そこへ島村さんが話に入った。
「それをそのままギリシャ語に置き換えたのがクリストス。つまりキリストで、終末にメシアが現れるという思想はキリスト教ではキリストの再来と考えていますね」
「終末といえば」
今度は悟君も話に入る。
「“大正新脩大蔵経”という経典の“経集部”には“弥勒下生経”というのがあって、終末の世は弥勒菩薩が下生して人びとの救済に当たると」
「弥勒菩薩の原名は?」
「マイトレーヤーです」
婆様に聞かれて悟君は即答した。でも、婆様はにこやかに微笑んでいる。
「それはサンスクリット語ですね。パーリー語ではなんというか知っていますか?」
「いえ、そこまでは」
「メッテイヤです」
婆様に言われて、悟君も島村さんもハッとした顔をした。
「メシアの本当の語源はここにあるのですね。ミロクもメシアも語源は一つです。しかし言霊的に本当のミロクとは、五六七と書いて“ミロク”と読む“ミロク
「あ」
俺は思わず声を挙げた。山武姫神の宮殿で遭遇した光の渦の中の光の塊のお三方……。
「あの方々は五次元
話が難しい。
「そのミロク大三神がメシアともなるのです」
「では、そのメシアが間もなく降臨するのですか?」
エーデルさんは目を輝かせて聞く。しかし、婆様は静かに首を横に振った。
「すでに降臨していますよ」
皆が「え?」という顔をした。
「あなた方のことです」
再び「え?」で、俺たちはみな顔を見合わせた。
「まだまだ続くあなた方の任務はメシアとして、この世を物質一辺倒から霊を主体とした十字文明の世に切り替えること、そのミロクの世の基礎を築いていくことです。そういった任務がないのならば、あなた方が肉体をもってこの世に生まれさせられた意味がありません」
たしかにそうだ。
「ただし!」
ぴしゃりと婆様は言った。
「これまでも再三申してきましたように、くれぐれも新しい宗教を打ち立てて、その教祖になろうなどとは考えませんように」
「もちろん、それは承知しています」
俺が代表して答えた。
神霊界の実相を実体験として見てきた俺たちは、実際の神霊界も御神霊の働きも、現界の人知で作られたいわゆる「宗教」などというものとは全く関係がないことを身に染みて知っている。
「宗教」は究極の救いにはならない。だから、「宗教」など立ち上げるつもりはない。
「あなた方はいずれ学業を終えて社会に出るでしょう。そうしたら、それぞれの生業を通して、少しずつ段々に世の人々を導いていけばよいのです。やがて、これも段々にですが、超太古のように御神霊が人類とコンタクトをとって、直接導いてくれる時も来るでしょう」
それだけ言うと、すでに運転席で拓也さんが待っていた車に、婆様は乗り込んだ。
そして俺たち九人に見守られて、婆様を乗せた拓也さんの車は大通りの方へと発進していった。
婆様はただ、樹海の中の自らの家に帰るだけである。
それなのに俺の目からはなぜか涙がこぼれ出ていたし、気が付くとほかの八人もみななぜか泣いていて、それぞれ自分がなぜ泣いているのかを不思議に思っているようだった。
その日以来、ニュースを見ても戦争の話は全くなくなったし、また全世界で多発していた地震や地殻変動、火山の噴火や津波などの自然災害もピタリと収まった。
もはや大地はびくともしていない。
俺たちはというと、あの時運命を共にした十二人の仲間が集まることはほとんどなくなった。
だが俺にとってチャコだけは同じ大学に通っているし、そしていつの間にか恋人同士になってほとんどの時間を一緒に過ごすようになっていた。
チャコと美貴は家が近いせいもあって、時々会っているようではある。
それでも俺たちのLINEグループはそのままだし、連絡はかなり頻繁に取り合っていた。
世の中もだいぶ落ち着いてきて、あの大地震からもほとんど奇跡といえるほどの早さで復興していく。
だが、今年の大学の学祭である彩実祭は、残念ながらまだ地震の後遺症もあるとのことで中止となった。
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