3 大峠越え

 婆様は俺たちを部屋の中の、ソファーに座るよう勧めてくれた。それに向かい合うように、婆様は車いすを動かして移動した。


「山下さん。立派になっとうなあ。今ではもう?」


「はい、大学生です」


「そうですか」


 婆様は嬉しそうに目を細めた。いかにも旧知の者の成長を喜んでいるという感じだ。

 何度も繰り返すが、あくまでこちらの世界では俺と婆様は初対面なのだ。それなのに婆様はかつて並行世界で俺と会った時の記憶をはっきりと持ち出している。


「それに杉本さん、朝倉さん、幸野さん、皆お元気で何より」


 チャコたちは、明らかに困惑の表情を浮かべていた。

 どうしてこの婆様は、自分たちの名前をすらすらと言えるのだろうかと、とにかくいぶかっているようだ。

 無理もない。この三人はこの世界で婆様と初対面なのはもちろん、俺がいた並行世界でも婆様とは会っていない。たしかそうだった。

 もしかしたらそれぞれが別の並行世界を生きたことがあって、そこで婆様と会っているのか……。もしかしたらもっと高次元でとか、過去世でとか……?


 婆様はもう一度俺たち一人一人の顔を見て、笑顔のまま厳かに言った。


「今日はようおいでくださいました。今日お集まりいただいたのは、皆さんにどうしても頼みたいことがある。皆さんのお力が必要だからです」


 なんだか婆様が俺たちを集めたような。俺たちは俺たちの意志でここに来たつもりだったが……。

 だが、婆様が俺たちの名前をすらすら言ったということで、婆様が単に出まかせを言っているのではないらしいということは容易に察せられる。

 それでも、老人特有の例の状況ではないのかという常識的な考えも拭い去り得ない。


「山下さん。私は老人特有の状況ではありませんよ」


 ぎくっとした。

 考えていることもすべて婆様には伝わってしまっている。

 俺は大きく息をついた。

 これだけ十分に驚きを重ねてきたのだから、これから婆様がさらに突拍子もないことを言おうとももうすべて受け入れられるような気がしてきた。 


「あなた方には、これから大きな仕事をしてもらわなければなりません。この世界を大きく変革し、きたるべき大峠に供えて、この世界を救済する者になってもらいたいのです」


「そんな……俺たちなんかにそんな大それた……」


 俺が本音をつぶやくと、婆様はまたにっこり笑った。


「明治維新を成し遂げたのは、たった百人足らずの志士だったのですよ。ですから全世界にその百倍の一万人もの志ある人がいたら、世界維新も決して夢ではないのです」


「俺たちがその一万人に含まれていると……」


「そもそも」


 杉本君も話に入った。


「なんでこの世を変革しないといけないのですか? 来るべき大峠とは?」


「今が狂った世、異常な世であることははっきりしていますでしょう? 常識というものが通用しなくなっています」


 たしかに昨今のニュースを見ても人々の心は乱れ、凶悪犯罪は多発し、しかも従来では考えられなかった精神状態による犯罪が増えている。それだけでなく、異常気象も従来の概念が通用しなくなっているし、想定外が当たり前のことにように起こる。気候変動、地殻変動、感染症の流行などもそうだ。

 日本は一応平和だが、世界ではあちこちで戦争やテロ、政治的圧政、暴動が繰り返されている。


「私が高次元のエネルギー体とのコンタクトで得た情報では『現代は噴火山上に酔夢しているか、乱舞しているにすぎない』というのです」


 またしても突拍子もない話が始まったけれど、なぜか俺たちみんな自然とそれを受け入れていた。

 俺たち自身がすでに、普通ではあり得ない体験をしているのだ。


「現代という時代では、天・地・人ともに大揺れに揺れだしています。医学、政治、教育、そして宗教までもがひっくり返って揺れ動いているのです。このあたりで人類は大きくUターンしなければならないのです。今やこんなことは私が言うまでもなく、新聞にも同じようなことが書いてありますよ」


 たしかに人類は芯を失っていると思う。だからこんな状態になったのではないか……。

 そんなことを考えながら、俺はふっとひらめいた。

 そして上着の下のシャツにつけていたバッジを、婆様に見せた。例の楯の形の中に太陽がデザインされたバッジだ。

 俺がそうしたので、チャコも美貴も杉本君も同じバッジを見せた。


「実はこのバッジのことで、今日はお訪ねしたのです。実は俺たち、ってか僕たちはずっと前からこのバッジをそれぞれ持っていまして、去年の秋ごろにある天使から異世界へ召喚されました。その天使が言うには、このバッジは『高い山のふもとの緑の木々の大海原の中に住むお方』からいただいたものだと」


「私ですよ」


 にこやかに婆様は言う。


「これは私が高次元のエネルギー体からの指示で作ったもので、高次元界と霊波線がつながっています。私が孫を通してあなた方に授けました。あなた方に大仕事をしてもらうためです」


「でも、どうして私たちなんですか?」


 チャコがもっともな質問をする。


「あなた方の魂が、因縁の魂だからです。ご縁があったということですね。今はまだそれ以上は詳しくは申せませんが、そのうち追々明らかになってくるでしょう」


「お孫さんというのは?」


 美貴が口開いた。


「都会で学校の先生をしていますから、ここにはいません」


 そうなのだ。俺は知っている。

 俺が並行世界ではここにいる三人とは同じ高校の同じ部活だった。その顧問の先生から、このバッジをもらったのだった。


「名前は拓也といいますけれど、私よりも拓也の方があなた方と年も近いし、いろいろ詳しく話してくれるでしょう。あなた方は拓也を訪ねるといいです。私が連絡をしておきます」


 たしかにその人とは並行世界では親しく付き合っていたけれど、こちらの世界ではまだ会っていない。俺はどうしても、早くその人と会いたくなった。


「私も会ってみたいです」


「私も」「僕も」


 皆、口々にそう言っていた。婆様はにっこりと笑った。


 やがて婆様の息子らしい例のおじさんが、俺たちを呼びに来た。


「もう昼だべ。昼食用意したから、食べて行くべえよ」


 どうやら昼食をご馳走になれるようだ。


 昼食は名物のほうとうだった。その美味に舌鼓を打っていると、息子さんの奥さんが食卓で不意に言った。


「今まで長い間ここに遠い外国から来なさった女性の方が住み込んでいろいろ歴史のことを研究なさっていたけれど、今朝がた拓也に会いに行った。どっか途中ですれ違ったべ」


「え?」


 俺は来る途中のサービスエリアで見かけたオーラが光り輝いていた女性のことを思い出した。遠目だったからよくわからなかったが、どうも外国人のような気がしていた。


「拓也のところに行ったら、会えるかもしれにゃあべ」


「その方にもバッジを渡しておきましたよ。その方を車で乗せて行ったこの近所のお寺の小僧さんにも」


 婆様が付け加えるように言った。

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