7 カガリミの世界

 シーロンの家を辞し、かつての自分の旧宅に入ったモントサムーラ姫は、バーナと相談していた。


 たしかにシーロンの言う通り、先ほどの自分の発言は天帝の耳にも入るだろう。

 だからその前に何らかの手を打たないといけない。ましてやシーロンに関してはヴォーヨ将軍やギリシエロ警視総督がどんな裁断を下すか、それがどうも自分にもとばっちりが来そうだ。


「だから早くなんとかしなくてはならないのよ」


「なんとかとは?」


「だいじょうぶ。私に策略があります」


 モントサムーラ姫は、バーナを近くへと呼びよせた。

 言霊に出すと、互いを結ぶ糸を通して天帝に聞かれる恐れがある。そこでモントサムーラ姫は紙に文字を書いた。

 たった三文字である。

 だが、その三文字がおびただしい情報をバーナに伝達したのであった。


 その三文字が伝えた情報は……

 モントサムーラ姫はこれからカガリミの世界に昇り、「三賢者」に天帝の不祥事を直訴するつもりだということだった。

 モントサムーラ姫は「三賢者」の「ルーノ様」の直系であることから、それはそれほど難しいことではないという。

 もちろん同じ「ルーノ様」の直系であるシーロンに不利にならないような告訴内容にしなければならないが、それももう考えてあるということも文字は告げていた。


 バーナは絶句して顔を挙げた。

 あとは互いに筆談だ。

 バーナが震える手で書いたひと文字……

 果たして本当にそのようなことが可能なのかという疑問。


 モントサムーラ姫は二文字で答える。

 もともと彼女が初めて出現したのはカガリミの世界においてであって、そこからハセリミの世界に降臨して来たもの。だからカガリミに昇るのはわけない。

「三賢者」の「アラマンスノーン様」はカガリミの世界を統治するお方、その命には天帝とて逆らえない……。


 そして、あと二つばかりの文字を、モントサムーラ姫は書いた。


 ――あなたもともに来なさい。あなたはカガリミの世界には行ったことがないでしょうけれど、私の分魂、私と一緒なら問題ありません。あなたはずっと帝都にいて天帝のそばに仕えていたのだから、天帝に対しても思うところがあるでしょう。まずはあなたがそれを忌憚なく「三賢者様」に訴えるのです。そのあとで、私が考えていることを実行します。


 その二文字が伝えるその情報に、バーナは全身が震えているようだった。

 あまりにも大それたこと。だがモントサムーラ姫は優しく笑んで、バーナの全身を抱きしめた。


「あなたは私なのですから、何も怖がることも心配することもありません」


 そしてモントサムーラ姫とバーナは、すぐにカガリミの世界に向かって出発した。


 カガリミの世界は感覚的に、ハセリミの世界で見上げる瑠璃色の大空の上にあるという感じだ。

 そこはまさか瞬間に転移することも、背中の羽を伸ばして飛行して昇ることも不可能だ。

 モントサムーラ姫はバーナとともに屋敷の庭先に立ち、空を仰いで手を組み、強く念じた。

 するとモントサムーラ姫はバーナの体は光を発し始め、同じように周りの景色も光に包まれだした。

 そして美しく彩色に輝く雲の上に彼女らは乗っており、その雲は静かに上昇した。実際はものすごい速さで雲は飛翔していたのだけれど、乗っている彼女らにはゆっくりと昇っているような感覚があった。


 彼女らがたどり着いたのは、何から何まで光に塗りつぶされた光明の世界だった。

 すべてが黄金色に輝き、その眩しさに目も開けられないくらいだ。まさしく光の充満界だった。

 だが、すぐに周りの光景が見えるようになってきた。ハセリミの世界と同じように果てしない大地があり、遠くには山があり、木々が茂り、そして建物もいくつか見えた。

 この世界で暮らす存在も最初は光に包まれた意識体のように感じたけれど、次第に彼女らにとって自分らと同じ姿に見えてきた。


 そのまま少し進むと、目の前に巨大な宮殿が見えた。その屋根は天までそびえ、黄金色にまばゆく輝いていた。

 すぐにその宮殿の入り口の大扉の前に彼女らが立つと、扉はゆっくりと開かれ、やはり光の洪水のような大広間へとモントサムーラ姫たちは進んでいった。


 前に玉座があった。中央の玉座の上にはまさしく太陽のような光が放たれ、その光圧に立っているのがやっとだったモントサムーラ姫は、バーナとともにその御前に畏まった。


「ご苦労様です。早くお立ちなさい」


 玉座から大きな声が響く。


「かたじけのう存じます」


 姫が立ち上がると、バーナも同じようにした。やがて玉座の上の光の塊も、だんだんとその輪郭を現した。

 この方こそ、この世界の統治者、「三賢者」の「アラマンスノーン様」である。太陽のごときその光はこの世界すべてを照らしているようでもあった。

 その左右の座には「スーノ様」、そしてモントサムーラ姫の直系の祖である「ルーノ様」もいらっしゃった。

 お三方とも実に大らかな感じの慈愛に満ちた笑顔で、緊張して畏まる二人を見ていた。

 そのお姿に、モントサムーラ姫は懐かしさの涙を禁じえなかったし、その隣でなぜかバーナまでもが涙を流していた。


「モントサムーラよ」


 その「ルーノ様」が直接お言葉をくださった。


「そなたもご苦労であるな。カギリミの世界創造の折は水陸剖判で大いに功績をなし、今は“ろ”の国の諸々もろもろの事象を運行しておると聞く」


「恐れ入ります」


「さて、今日はわざわざ来られたのはどのような用件かな」


 替わって「アラマンスノーン様」からの御下問だ。


「ハセリミやカギリミの世界に何か不都合でも生じたか?」


「それはこの者からまずご報告申し上げます」


 モントサムーラ姫は隣のバーナを見た。バーナの膝は震えていた。


「さあ、早く」


 モントサムーラ姫に促されて、バーナはこわごわ目を挙げて初めて「アラマンスノーン様」を仰ぎ見た。だが、そのあまりのまばゆさにまた平伏していしまった。

 そしてそのままの姿勢で、震える声を発した。


「畏れ多いことでございます。我がハセリミの世界では、天帝陛下のご統治があまりにも苛酷厳格すぎて、誰もが耐えられずにおります。その影響はカギリミの世界にまで及び、人々は委縮して戦々恐々とした状態で生活をしております。ですから、とてもとても文明を興し、物を開発し、地上天国を建設するなどほど遠い状況となっております」


 バーナは我ながらこんなにも盛った話ができると思っていたが、どうも自分の口を使ってモントサムーラ姫が語っているような気がしてならなかった。

 「三賢者様方」の笑顔に少しだけ曇りが生じた。


「カギリミの世界にまで影響が及ぼされるようなら、これは一大事よのう」


 「アラマンスノーン様」がつぶやいたが、横の「スーノ様」は首をかしげていた。


「これまでそのようなことを申し出てくるものはおらなんだが」


「そのような申し出をして天帝陛下に知られたらどんな処罰を受けるか、それを恐れて皆黙しているのでしょう。それに、多くの者はここには来られません」


 たしかに、カガリミの世界とハセリミの世界は、誰もが自由に行き来できるわけではない。むしろモントサムーラとバーナの方が特殊なのだ。


 今度は「ルーノ様」がモントサムーラ姫に目を向けた。


「それが事実であるなら、モントサムーラよ、そなたが天帝を直接諫めてはいかがか」


「滅相もない」


 モントサムーラ姫は、大げさに自分の顔の前で手を横に振った。


「そのようなことを天帝陛下に申し上げようものなら、たちまち追放されて宇宙の藻屑と消えましょう。それに加えてこの度は大きな不祥事が」


 また「三賢者」様方のお顔が曇った。

 モントサムーラ姫に何の感情も入れることもなく、ほとんど棒読みに近い形で訥々とつとつととある不祥事を語り始めた。

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