6 追いつ追われつ

 モントサムーラ姫は辺境の地から天帝のいる帝都に現れて、最初に向かったのはシーロンの屋敷だった。

 だが、シーロンは不在だった。いや、今不在になったということは明らかにわかる。しかも故意に。

 もちろんさっと遠くに転移して逃げることは可能だ。だが、シーロンはそんなことできないと、モントサムーラ姫にはわかっていた。

 シーロン本人がいなくなっても、家を預けている従者を全部連れて行って家をもぬけの殻にすることなどできるはずがない。

 だから従者はいる。従者がいる以上、モントサムーラ姫のことだから自分の行先を聞き出そうとするに違いないとシーロンは判断するだろう。何よりも姫が居座って自分の帰りを待ってたりしたら、自分が帰宅できなくなってシーロンは困るはずだ。

 だから、シーロンは本当に留守にすることはできないはずだ。


 実際、シーロンは不在に見せかけ、庭の片隅に植え込みにどかして隠れていた。

 彼もまたモントサムーラ姫が来そうな気がしていたのだ。

 宮殿で天帝のお口からモントサムーラ姫の名前が出た。しかも彼女は自分に執心だという。

 もちろんそのことは初めて知ったわけではないけれど、その天帝のお言葉と何かしら因果関係があって、モントサムーラ姫は自分に会いに来ると思った。

 なにしろ古い付き合いである。互いの心の内もよく読める。

 だけれども、今は困る。

 シーロンの心の中はオラドゥーラ姫でいっぱいだ。いまさらモントサムーラ姫が自分に思いを寄せても、自分の心の中にそれを受け入れる隙間などない。


 古い付き合いで互いの心の内もよく読めるというのは、モントサムーラ姫にとっても同じだ。彼女はたちまちシーロンが隠れているところを見つけた。


「これはこれは姫様、ごきげんよう」


 庭に立ったまま、開き直ったシーロンはにこやかな表情で丁寧にあいさつした。


「あらまあ、はるか遠く辺境からわざわざあなたに会いに来た恋する乙女と、庭で立ち話のおつもりかしら」


「誰が恋する乙女……」


「何か言いました?」


「い、いえ、何でもありません。どうぞ、家の中へ」


 にこやかに、でも内心渋々、シーロンはモントサムーラ姫を家に招き入れた。

 実はモントサムーラ姫も、オラドゥーラ姫に負けない美貌の持ち主ではあった。だが、オラドゥーラ姫にない強さがある。その強さに魅力を感じる男もあるだろうけれど、シーロンには邪魔な要素だった。

 オラドゥーラ姫が天帝の孫娘という高貴な身の上にも負けず、モントサムーラ姫もシーロンと同様カガリミの世界の「三賢者」の直系なのだ。天帝の孫娘という立場にも引けを取らない。


 そのモントサムーラ姫は客間のソファに座り、シーロンと対座するや否や身を乗り出してほほえましく切り出した。


「あなた、私と結婚しなさい」


 シーロンは少し黙っていた。だが、驚いてはいない。この姫なら言いそうなことで、しかもそれが今回わざわざ現れた理由だったのかと納得しているシーロンの想念は、簡単にモントサムーラ姫に伝わってくる。


「あなたのような美しい殿方には、私のような美しい女性が必要。それにカガリミの世界の賢者様の直系のあなたが、ハセリミの娘となど釣り合いが取れませぬ」


 シーロンは笑いだした。モントサムーラ姫は露骨に不快な顔をした。だが、シーロンは愉快そうに笑っている。


「何がおかしいのです?」


「いや、失礼。ただ、あなたは本当に気位が高いお方だ。つり合いが取れぬというのなら、私にとってあなたのほうがずっと釣り合いが取れない。あなたのような高貴なおかたには、私では釣り合いが取れないでしょう」


「そんなことはありませぬ」


「いえ、もし私があなたと結婚するというのならば、私がこのハセリミの世界を統治する、いわば天帝の地位にでも昇らない限り無理ですな。でも、そんなことは現実的ではない。夢のまた夢。いや、夢ならまだしも、これはもうお笑い草だ」


 シーロンはまた高らかに笑った。


「わかりました!」


 モントサムーラ姫はぴしゃっと言った。その言葉の激しさに、シーロンは思わず笑いを引っ込めた。ただ、姫が分かってくれたのかと、ほんの少しだけ安堵の表情を見せた。


「シーロン殿のお気持ちはよくわかりました」


 ――おお、姫も私をあきらめてくれるのか、よかった。これで自分はオラドゥーラ姫に専念できる……


 しかし、姫の言葉は真っ逆さまだった。


「あなたは私と結婚するには天帝の地位が必要と言いましたね。いいでしょう。私が必ずあなたを天帝の地位につけて差し上げます。その時には、先ほどの言葉、決してたがえないでくださいましね」


 シーロンの顔は青ざめた。


「何を言われます。私はもののたとえで言ったまで。それをあなたがそのような発言をなさるとは、いくらなんでも度が過ぎます。ものごとには言っていいことと悪いことがあるのですよ。たとえ冗談だとしても、そのような発言は思慮深いモントサムーラ姫様のお言葉とは思えません。慎まれた方がよろしいかと」


「私は本気ですよ」


「そのようなことを言霊として発してしまえば、恐ろしいことになります。天帝陛下のお耳にも必ず入りましょう。そうなると、反逆罪にも問われかねない」


「最初に言いだしたのは、あなたではありませんか」


「ですから私はもののたとえで……」


「天帝の耳にはいったらとかいうなら、あなたが天帝になってしまえばそれで万事解決でしょ」


「いえ、この際ですからはっきりと申し上げておきます。私の心はもはやオラドゥーラ姫でいっぱいなのです。オラドゥーラ姫のことしか考えられない。私と夫婦になるのは、大千三千世界広しといえどもオラドゥーラ姫以外には考えられないのです」


「でもオラドゥーラ姫は嫌がって逃げ回っているのに、あなたがしつこく追い掛け回しているだけだと聞きましたけれど」


 ――いったいどこから聞いたのか……。それに嫌がるかの姫を私が追いかけまわしているなどと、どの口が言うのだろうか。


 そんなシーロンの想念は、モントサムーラ姫には伝わっているだろう。それでもいいとシーロンは思った。そしてきっぱりと言った。


「とにかく、今後一切に私にはかかわらないでいただきたい」


 するとモントサムーラ姫はすっと立ち上がり、シーロンが座っているソファのそばまで来て畏まった。そしてさっとシーロンの手を取って固く握りしめ、目はまっすぐにシーロンの目を見上げた。


「私がきっとあなた様を天帝の地位につけ、このハセリミの世界すべてをあなたに差し上げますわ。その時は、私を拒絶することは許しません」


 シーロンはほとほと困った顔をしていたけれど、今度はモントサムーラ姫が高らかに笑った。


 ――自分が天帝になんて話は現実的ではなさすぎて真に受けない方がいいだろうけれど、でもこの姫は何かしでかしそうで、それが面倒なことになりそうな予感……


 シーロンはそれでも困った顔をしていた。

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