2 自在の世

 オラドゥーラ姫はストレチタ姫とともに、彼女の家の前へと瞬間転移した。

 緑美しい小高い山の麓の、森に囲まれたオレンジ色の屋根を持つ家だった。それは家というよりはむしろほとんど宮殿に近かった。

 規模こそは天帝の宮殿には遠く及ばないまでも、その華美においては引けを取らない贅沢な造りだ。

 それもそのはずで、彼女は天帝の嫡男でありカギリミの世界の人々の創造、統治にいちばんの功績を挙げた皇太子テーロ将軍の娘であり、そしてその夫君は天帝の次席ともいうべきヴォーヨ将軍である。

 この宮殿はその夫君の邸宅とは別に、特にストレチタ姫のために造営されたものであることもオラドゥーラ姫は知っている。

 絵画や彫刻、そして色とりどりの宝石のちりばめられた部屋の一室に通されたオラドゥーラ姫は、その中央のソファを勧められると、多くの宮女たちに茶菓でもてなさられた。

 それだけでなく、何人かの女たちによってさまざまな楽器の音が奏でられ、合わさって室内に響き続けていた。


 そのオラドゥーラ姫の向かいのソファに腰を下ろしたストレチタ姫は、彼女に茶を勧めながらも自らもそれをたしなんだ。しかし、実際に口をつけて体内に流し込むわけではなく、その気を吸っているのである。


「あのう、先ほどはありがとうございました」


 まずはオラドゥーラ姫は、シーロンの執拗な求愛に閉口していたところ、そこから脱するきっかけをくれたストレチタ姫にあらためて礼を述べた。ストレチタ姫はにっこりと笑った。


「あの方のしつこさには困っております。何とかあきらめていただける手立てはないでしょうか」


 オラドゥーラ姫の目は、その訴えの切実さを物語っていた。


 手にしてカップをテーブルに置いたストレチタ姫は、にっこり微笑ほほえんだままオラドゥーラ姫を見た。


「まあ、あのかたをそう邪険になさらなくても」


「いえ、邪険にしてるわけではございません。ただ、このような愛情って許されるものなのでしょうか」


 ストレチタ姫は微笑んだまま、ただ聞いていた。だから、オラドゥーラ姫は一方的に続ける。


「これは天の規律に反することでしょう?」


「あらまあ、なぜそうお考えに?」


「だってそうでしょう。本来結婚というものはカガリミの世界の賢者様とか我が祖父の天帝陛下が勅命によって定めるもの。私の母のユーナと父のユラリーとの婚姻も私の母の父、つまり私の祖父であります天帝陛下の命によるものでした。ストレチタ姫とヴォーヨ将軍様の場合も、たしかカガリミの賢者様の勅命でございましたわよね」


「まあ、たしかにそうでしたわ」


「結婚というのは一大事ですから、賢者様や天帝陛下がお決めになる、これが秩序であり、規律でございますわよね。それをシーロン殿は天帝陛下のお許しがあったわけでもなく、自らの欲望で勝手に私に求婚するなど、これは天の規律をないがしろにするものでしょう?」


 それでもストレチタ姫の微笑みはぶれない。ぶれないまま、目だけは鋭くオラドゥーラ姫に言った。


「もはや創造の世は終わって、統一の世でもなく、今は自在の世が到来しているのですよ」


「それは重々わかってはいるのですが」


 オラドゥーラ姫は、心なしか目を伏せた。確かにこの世界は、ものすごく変わってきている。かつての秩序は大きく揺らぎ、みなそれぞれ自由に行動している。

 本来は『大根本様』から高次元のカクリミの世界、カゴリミの世界、カガリミの世界、そしてこのハセリミの世界まで縦に貫く一本の糸でつながっていた。

 実際は一本ではなく数えることは不可能な数の糸なのだけれど……。

 その縦の糸の中にこそ本当の意味で「自由」があり「秩序」がある。すなわち、秩序あってこその自由なのだ。規律、天則などは皆、横の関係ということになる。


「ストレチタ姫は、なぜこのような自在の世になったのか、何かご存じなのですか?」


「いいえ」


 静かにストレチタ姫は首を横に振った。


「天帝陛下はカガリミ三賢者様たちから何かお聞きになっているようですけれど、教えてはくれません。私の父もあなたのお父様のユラリー宰相様にもお話はされていないようです。おそらくはカガリミの世界以上の秘め事なのでしょう」


 つまりは、トップシークレットということのようだ。ただ気になるのは、そのような変化が、多くの人々が暮らすカギリミの世界まで及んでいるらしいことだ。

 例の縦の糸はカギリミの世界のすべての人々までつながっている。だからそれによって天帝はカギリミの世界の何十万、何百万のすべての人々を一人ひとり見ていることは不可能であるにしても、そのすべての人々の行動、想念、運命をことごとく把握している。そのために多くの眷属が配置されているのだ。


「今、カギリミの世界の人々との糸までもが混線していて、カギリミの世界は大変なことになっているようですね。ストレチタ姫は、それを何ともお思いにならないのですか?」


「私にはよくわかりませんわ」


「そんな……。天帝陛下の命で、カギリミ世界の創造に共に働いた私たちじゃありませんか」


 それでも、ストレチタ姫は優しく微笑んでいる。その微笑みの向こうにある意思を、なぜかオラドゥーラ姫は読めずにいた。


「それよりもあなた、シーロン殿のことで私に相談があるのではなくて?」


「あ、そうです」


 オラドゥーラ姫ははっと気づいたような顔をした。


「あの方の執拗な求愛は、どうしたらいいのでしょうか? ストレチタ姫のお力で何とかなりませんか?」


 心なしか、ストレチタ姫は目を伏せたように見えた。だがすぐに目を挙げ、元の笑みでオラドゥーラ姫を見た。


「私が思いまするに」


 オラドゥーラ姫は息をのんで、ストレチタ姫の次の言葉を待った。


「シーロン殿はカガリミの三賢者のルーノ様の直系、いわば水の眷属の頂点におられる立派な方。そんなシーロン様のような立派な方と夫婦になれば、オラドゥーラ姫、あなたもきっと幸せになれるはず。邪険にしないで今すぐにでもシーロン様にその求婚を受け入れる旨、お返事差し上げるべきですわ」


 オラドゥーラ姫は言葉を失った、ただ驚きに目を見開いて、じっとストレチタ姫を凝視していた。ストレチタ姫はまた今までの微笑みのまま、テーブルの上のカップを手に茶の気を吸った。


 もはやこれ以上、ここにいてもしょうがない。

 オラドゥーラ姫はゆっくりと立ち上がり、目に涙を為ながら恭しくストレチタ姫に一礼した。


「ご馳走になりました。また、ご忠告、ありがとうございます」


 それだけ言うと、まだ何か言いたそうにしていたストレチタ姫を残して部屋を出て、外に飛び出した。

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