《天の巻》
第1部 壮大な戯曲
1 オラドゥーラ姫
目くるめく光の世界。
その溢れる光の洪水の中にも、意志を持って動いている存在がある。
たしかに黄金の光に塗りつぶされたような世界だけれど、実際は大地もありそこに咲く色とりどりの花や小川のせせらぎ、そして無数の橋。
山はなく、どこまでも果てしなく広がる花咲き乱れる大地が存在している。空は瑠璃色だ。
すべてが明るすぎるほどまぶしく輝いている。だからやはり光の洪水の中の世界なのだ。
その上を行きかう巨大な意識体は、それぞれが光を放つ男女の若者の姿でもある。皆光り輝く白い衣を身にまとい、誰しもが満面の笑みでその喜びを表している。
オラドゥーラ姫とそれを取り巻く娘たちもそんな光の中で、喜びのうちに群れいていた。
彼女らを見おろすのは上の世界のいくつかの階層で、こちらのハセリミの世界からも上層のカガリミの世界が遥か上空に霞んでいるのが微かにわかる。
ほかに天まで届くような巨大な階段がずっと上まで続き、その上には天帝のおわします黄金の巨大な宮殿がそびえている。もちろんここからでもその存在ははっきりとわかる。なぜならそこから、大いなる陽光がこの世界を隅々まで普く、隈なく、そしてまばゆく照らしているからである。
「あ、オラドゥーラ姫様」
ともに戯れていた少女の中の一人が、急に顔を曇らせた。
「バーナ、どうしまして?」
「またあの方が」
オラドゥーラ姫の顔が曇る。喜びに満ち溢れているはずの笑顔からは光が放たれるが、その顔が少し曇ると光の世界にも少しだけ陰りが生じてしまう。
たちまち天の一角が光ったかと思うと、その光の中にまた光が生じ、やがてそれは意識体としての姿を現しものすごい速さで降下してくる。
何よりも特徴は、背中から延びた巨大な白い羽であった。
その羽を大きく羽ばたかせてオラドゥーラ姫の前まで飛来してくると、たちまち羽も消えてその姿は若者の姿になり、姫の前に立っていた。
光り輝くその体と容姿は凛々しく、オラドゥーラ姫とともに戯れていた少女たちが胸をときめかせている波動が伝わってくる。
オラドゥーラ姫は少女たちを一瞥し、その視線で意思を伝えた。少女たちは畏まり、恐縮して姿を消した。
バーナだけがその場に残っていたが、彼女だけはオラドゥーラ姫と心で同調している。
オラドゥーラ姫は若者に背を向け、その場を去ろうとしたがそれよりも早く、若者は姫の衣の袖をしっかりと握っていた。
「どうかかねてからの話のお返事を。あなたはハセリミ世界一の美女、そのお相手にはこのシーロンこそがふさわしい」
「お放しになってください、シーロン様。どうかそのようなお心はお持ちにならないよう。天の規則に反します」
シーロンは高らかに笑った。
「何が天の規律ですか。そもそもすでにそのようなものにとらわれる必要はない」
「アラマンスノーン様」を芯とし、シーロンが属する水・月の系統の祖である「ルーノ様」や火・日の系統の「スーノ様」によるカガリミの世界の「三賢者」のみ
そのことを告げるシーロンの言葉の途中でも、オラドゥーラ姫はとにかく逃げたかった。
すぐに黄金に光り輝く龍と化して大空を馳せ巡り、一つ上の大地に飛んだ。そこは枝に花が咲き乱れ、多くの果実がたわわに実る木々が果てしなく広がる世界、なんとも言えない香りも充満している。
だが、その場所に転移した姫の隣にはしっかりとシーロンはいた。
「たしかに自在を赦したるは我が祖父の天帝陛下。でもそれで天の規律がなくなったわけではありません」
姫はそれだけ言うとまた、違う場所へと転移した。ほとんど森となって木々が茂る光景が果てしなく続き、多くの鳥の美しい声が聞こえる。
「あなたが何を言おうと、私のこの心は止められません。あなたがいけないのです。あなたがあまりにも美しすぎるから」
また姫は転移した。大きな池があり、美しいアーチ状の橋が架かっている。そのほとりには風に枝を揺らす木が並び、すべてが明るく輝いている。
もちろん、シーロンもそのまま追ってきている。
「それではまるで私が悪いようではありませんか」
「そう、あなたが悪い」
「どうして正しいとか悪いとかいう、これまではなかったことが生じているのでしょう? これまでこの世界はすべて秩序正しく、善も悪もない善一途で、そのすべてを
「ごらんなさい」
シーロンは姫に池を見るように促した。すると池の水のその下には、少女たちと戯れ、そこに最初にシーロンが現れたあの世界がはるか下に見える。それだけではなくこの世界すべてが見渡せる。
だがそこは秩序正しい規律が整っている世界とはいえなかった。まさしく混沌の世界と化している。
さらに遥かずっと下の方には、人々が暮らすカギリミの世界までもが見える。
もはやそこは権勢欲、物欲にうごめく人々が、争いまでも始めている。カギリミもこんな世界ではなかった。もちろん天帝の孫娘たるオラドゥーラ姫だから、そうなってしまった理由も知らないわけではない。
姫は視線をシーロンに戻した。
「あなたは本当に私を愛しているのですか? 純粋な愛ではなく、私を手に入れたいという愛欲からだけでしょう」
いちいち聞かなくてもシーロンのそのような波動は、十分に姫に伝わっている。
シーロンは笑った。
「それのどこが悪いのですか? 強さこそが正義、善です。善でないものは悪です」
「善だの、悪だのって……」
姫は悲しい顔をした。いつも喜びに満ちた心しか持っていなかった姫のはずなのに、今は悲しみを覚えている。
「すべてのものが善一途だった。『
また姫は飛んだ。シーロンは追ってくる。
だが今度は瑞雲たなびく雲の上の世界。そしてそこから広くてそして果てしなく長い長い白亜の石段がずっと天まで続いている。
その上には二基の光の塔の向こうに巨大な宮殿がそびえているのが見える。白亜の壁と柱、そして黄金の屋根を持つ宮殿はまぶしいくらいに輝いて見える。
こんなに長い石段の上だからかなり遠い天空の上にあるはずなのに、それでいて近くに感じる。
シーロンは舌打ちをした。
その天帝の宮殿に続くこの石段からは天帝の聖域で、いくらカガリミの世界の三賢者の一人の直系だとしても、シーロンは特別な手続きをしない限りはこの聖域に恣意に足を踏み入れることはできない。
だがオラドゥーラ姫は天帝の孫娘である。
「オラドゥーラ姫!」
その石段の方から姫を呼ぶ声がした。
「ストレチタ姫」
石段を下ってくるその女性の姿に、またもやシーロンは舌打ちした。
「これはこれはシーロン様、ごきげんよう」
ストレチタと呼ばれたその女性は、親しげにオラドゥーラ姫の隣に立った。オラドゥーラ姫は安堵のため息をつき、そしてその顔に笑みが戻った。
シーロンは形だけストレチタ姫に慇懃に一礼すると、たちまちその姿を消した。
「ありがとうございます、ストレチタ姫。しつこく付きまとわれて困っていたのです。おかげで助かりました」
「まあ、詳しい話をお聞かせください。よろしければ私の家に」
にっこりと微笑んで、ストレチタ姫はオラドゥーラ姫を見た。
「ええ、ぜひ」
「ここで
ストレチタ姫の顔もオラドゥーラ姫に負けないくらいまぶしいくらいに輝いていた。
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