2 二つの運命
いよいよエーデルは長く住み慣れたこの家を後にする。思えば半年以上もここにいてしまった。
その出発の日の朝である。
エーデルは婆様の部屋に呼ばれた。いつもの柔和な微笑みの中にも、見据えるような厳しい表情を見せて婆様はいつもの車いすに座っていた。
その様子にエーデルも少々緊張した趣でその前に立つと、婆様は懐から何か小さなオブジェを出してエーデルの前に差し出した。
「これからはこれを、肌身離さずつけていなさい」
見ると小さなバッジで、楯の形をしており、中央には太陽がデザインされていた。
「ムーの国章」
すぐにエーデルはつぶやいた。婆様はゆっくりうなずいた。
「これを見てそうだとすぐにわかるとは、さすがに魂が違う。私の思った通りです。これを身に着けると、超高次元エネルギー体と直接霊線がつながります。思わぬ力が授けられます。詳しくは拓也から聞いてください」
エーデルは恭しくそれを受け取ると、早速服の胸に着けた。確かに瞬時にしてエネルギーが体中にみなぎったような気がする。
「では、お行きなさい」
「はい」
力強くエーデルはうなずいた。
出発の時間、拓也の両親や婆様までもが庭に出てエーデルを見送った。
エーデルを乗せた松原の車はゆっくりと発進し、林道を抜けて県道に入った。
以前に宮内さんの古文書を見せてもらいにあの赤い鳥居の神社に行った時と同じ道を、ひたすら同じ方向へと爆走した。
前にこの道を走ったときは秋の初めで富士山は全体が青い山だったけれど、すでに立春も過ぎた今は暦の上では春といってもまだ真冬で富士山全体が雪で真っ白である。富士山以外の今走っている周りは全く雪がない。それどころか冬になってもこの地方はまだ雪は降っていない。エーデルは生まれて以来、まだ一度も雪を見たことがない。
秋になって遠くから眺める富士山の上部が冠雪し、冬になって全体が真っ白になったのが生まれて初めて見る雪だった。
そんな富士山とも、しばらくお別れである。
この辺りは、宮内さんの古文献では超太古に神都があったところということだけれど、竹下家の文献にはそのような富士山麓の神都のことなど全く記載がなかったのをエーデルは思い出していた。
やがて、あの赤い鳥居の神社のある集落に来ると、そこからいよいよ松原にとっては初めての走行だと言っていた高速道路に乗る。
もしエーデルが松原に車で送ってもらわなかったら、ここまでバスで来て、ここからは鉄道で拓也の住む首都へと向かうことになっただろう。
高速道路に乗ると、車はスピードを一気に上げた。
今日はエーデルは助手席に乗っているが、やはり初めての高速走行ということで松原も緊張しており、口数少なかった。
十五分ほどその道を走ると、高速道路はいよいよ首都へと向かう片側三車線の太い幹線と合流する。
通行量は少なく、車は順調にスピードを上げて東へと向かっていた。
「拓也さんがお盆や正月に帰省して戻るときなんか、この辺りはもう渋滞して、ほとんどノロノロ運転になるそうですよ。ひどい場合は全く動かなくなることもあるそうですから」
松原はそんなことを言いながら、注意深く前方を見て運転していた。
「気をつけて、運転してください」
「大丈夫です。エーデルさんの命がこの僕にかかっているのですから、責任は重大です」
松原はそう言うけれど、万が一の時は彼が思う責任重大よりもさらに重大な責任が彼を襲うことになる。もちろんそれは彼に直接は言えないが、万が一の時はこの国の国内での法律による責任だけではなく、世界スメル協会からののものすごい重圧が彼を襲うことになってしまう。だから、気をつけて、安全運転をしてもらうしかない。
もっとも、ほかの勢力から自分がこの車ごと狙われて、松原をも巻き添えにしてしまうという心配はどうやらなさそうだ。本当にこの国はテロなどとは無縁の、平和な国である。
この国の人たちは本当に平和に慣れすぎていて、そのことが分かっているのかどうかと疑問に思うこともエーデルにとってはしばしばだった。
本線と合流してから、さらに二十分ばかり走行した。
「エーデルさん、少し休憩していいですか?」
走りながら松原が聞いた。
「ちょっとお手洗いに」
実はもうちょっと手前にもっと大きなサービスエリアがあり、そこで松原はエーデルに休憩が必要か聞いたが、エーデルがだいじょうぶだと答えるとそこはそのまま素通りした。今は松原の方に必要が生じてしまったらしい。
今度は小さなパーキングエリアで、本線から遠く離れてはおらず、ちょっと脇に入るという程度のところに駐車場があった。さほど広くはないのでもう車が多数止まっており、一番手前のトラックの向こうに松原は車を停めた。
ここは本当に小さく、駐車場の向こうにトイレと町中にもよくあるコンビニが見える。
とりあえず松原がトイレの方に向かったので、エーデルも車から降り、植え込みで仕切られた本線の車の流れを見ていた。
ここは上下線のパーキングエリアがほぼ同じ位置にあるので、本線の上下線越しに下りパーキングエリアがよく見える。
向こうにも同じコンビニが一つある。
しばらくたってから、エーデルは向こうの下りパーキングエリアに入ってきた一台の車を何気なく見ていたけれど、そこから降りてきた四人の男女を見て思わず「あっ」と声を挙げた。
男女二人ずつの、服装からして大学生くらいの若い男女だ。はるか遠目で顔など分かるわけもない距離だが、エーデルはその四人に目が釘付けとなった。
四人はコンビニに行くらしく、その方へと話をしながらだろうかゆっくりと歩いて行っている。
そこへちょうど松原が戻ってきた。
「エーデルさん、どうしました?」
エーデルは下り車線の例の四人を指さした。
「あの人たち、まぶしい。光輝いています」
エーデルに言われて松原も目を凝らしてみると、また彼も驚きの表情を見せた。
「あの人たち、すごいオーラですね。しかも黄金色のオーラだ。そんな人滅多にいない。私が知っている限りでは、あんなすごいオーラの人は婆様か拓也さん、そしてエーデルさん、あなたぐらいです」
「あの人たちはどこへ行くのでしょう?」
「コンビニですかね」
「いえ、そうではなくて、ここを出てから」
「向こうのエリアにいるということは、これから西の方へ行くんでしょうね。我われとはすれ違いですね」
「向こうに行ってあの人たちに会えないかしら?」
「それは無理です。上下線のそれぞれのパーキングエリアはつながっていませんから。まさか本線を横断するわけにもいかないでしょう」
「そうですね」
「縁があるのならば、必ずまたあの人たちに会えるはずです」
「そうです。会わなくてはいけない状況になるかもしれませんね」
エーデルがこの時そう言ったのは単なる予感とか、ひらめきではなく、まさしく運命を感じていたかのようであった。
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