第10部 すれ違い
1 婆様との絆
翌日、拓也はかなり朝早く車で今住んでいる首都の町に向かって出発した。
今日が正月休みの最終日なので、正月に帰省していた人々が元住んでいるところに戻るそのラッシュとぶつかりそうなので、余裕を持って出かけるのだそうだ。
できればエーデルも一緒に行ってさらに話を聞きたかった。
あの後の話で、例の古文献を伝承してきた竹下家は実はもう百五十年前に本家と分家で別れて、本家は先祖代々の北陸の一都市、文献によると超太古には世界の神都で巨大神殿のあった場所に住み、分家が古文献と神宝を台車に積んで東の海沿いの町に来て、そこで神社を再興したという。
前に拓也の話にもあった戦時中の弾圧を経て、今また細々と神社も再興しているそうだ。そこにも行ってみたい。
だが、この年頭は拓也が務める学校は入試業務に追われ、また担当している生徒の進学のことなので忙殺され、エーデルが行っても相手をしていれる暇はなさそうだとのことだった。
「春休みになったら、少し余裕ができるかもしれませんけれど」
春休みとは三月の月末あたりらしい。だがそれまで、エーデルは待てなかった。
もう古文献も読み終わった今、いつまでもこの家に世話になるわけにはいかないと、かつて一度考えたことがエーデルの中で再燃していたこともある。
それだけでなく、この国の首都で、何かが自分を待っているというひらめきを受けた。しかし、ここの婆様との縁も、絶対に切ってはいけないと強く思うのだ。
それでもなんだかんだで一ヶ月が過ぎた時、久しぶりに婆様の元にあの寺の修行青年の松原が顔を出した。
何やら婆様に挨拶しているようで、婆様の部屋を出てきたところでエーデルと会った。
「あ、エーデルさん、僕は実家の寺に戻ることになりました」
「それはどこにあるのですか?」
「奇遇なことに、拓也さんの下宿のアパートのそばなんですけど」
「私も連れて行ってください!」
ほとんど反射的に、エーデルは叫んでいた。
「でも、僕は前にも言ったかなあ、運転免許取ってまだ一年たっていないんですよ。それに、高速乗るの初めてなんですけど」
それがどういうことかよくわからなかったエーデルは、それはスルーして懇願を続けた。
「お願いします」
「わかりました。出発はあさってですけれどいいですか」
「もちろんです」
かなり慌ただしかったけれど、それがエーデルの望むことでもあった。
こうしてエーデルは松原の車で東へ向かうことになった。
もちろん自力で行こうと思えば難なく行けるエーデルだが、誰かと一緒の方が心強い。
まずは拓也のアパートも訪ねて行くつもりだが、独身の男性が一人で住んでいるアパートに、同じく独身である若い女性の自分が行くのも、拓也は信頼しているからいいにしても世間体が悪かろう。拓也に迷惑がかかるかもしれない。
だから、とりあえずは近くのホテルに宿泊するつもりだった。
松原はなぜ実家に帰ることになったのかといういきさつも、エーデルは聞いていた。
「実は僕、大学に通うんです。今まで一年浪人していたんですよ。その大学が実家の寺から近いので、親父が家に戻れと」
RONINという言葉は、エーデルは昔のSAMURAIのことだと思っていたので、彼女は少し怪訝な顔をした。
「大学、おめでとうございます」
そう言いながらも、この国は変な時期に大学に入学するなあとエーデルは考えていた。普通、大学に入学するならば九月ではないか、と。
「いや、親父に無理やりにでしてね。気が進まないです。だって仏教学部なんですから。ってか、まだ決まったわけではないのですよ。これから試験を受けるのですから」
「あ、そうですか」
エーデルは納得した。試験はずいぶん早いけれど、やはり入学は九月?
「ずいぶん試験は早いのですね」
「いえ、早くはないですよ。四月に入学ですから」
やはり入学時期は、この国は他の国とは違うようである。
「でも、なぜ気が進まないのですか?」
「僕は坊さんになる気はないんですから」
それは前にも聞いていたような気がする。
でも、父親には逆らえないという様子なので、エーデルはクスッと笑った。
おツル婆様の家を離れるに当たって、エーデルは半年分の滞在費、食費などを支払うことを申し出たが、おツル婆様もその息子夫婦も断固として受け取らなかった。
銀行にさえ行けば、彼女のこの国での滞在費や必要経費はいくらでも本国の所属組織から受け取れるのである。
だからあの古文献を見た神社があった集落には銀行もあるようなのでそこへ行くことを申し出た。車で連れて行ってもらわなくても、バスで一本で行けるのである。だが、断られた。彼女は恐縮しながらも婆様一家の好意に甘えることにした。
「エーデルさん、あなたがここに滞在したことは、とてつもなく意義があることです。あなたにとっても私にとっても」
出発の前日の夕食は、ものすごいご馳走だった。
そんなテーブルで、婆様は涙を浮かべながらエーデルに言った。
「ありがとうございます。ここでのことは忘れません」
「いやいや、そのような思い出にしてもらっては困る。これからもあなたと我われは密接に結びついていく必要があります」
婆様がそう言う真意は、エーデルにもわかっていた。現界的にだけでなく、この婆様とは霊的に手を組む、いやもっとそれ以上の結びつきが今後必要になってくることをエーデルは感じていた。
「わかりました。またお会いしましょう」
だからエーデルは、婆様にそう言った。
「さあさあ、食べましょう。みんなも席について、まずは乾杯?」
婆様は自分の息子夫婦も招いて、エーデルのコンゴを祝し、またエーデルはこの家族への感謝を込めて乾杯をした。
「今日は二月四日、立春の日ですね」
婆様が言うと、その息子の嫁も台所から来てともにテーブルについていた。
「はい。ですからその意味のご馳走もあるのですよ」
エーデルはそれを聞いて、婆様を見た。婆様は言った。
「今日はおめでたい日なのです。今日の立春はコノメハルタツの日といって、神界での
「そうなのですか」
「この国でも隣の大陸の国でも、古来独自の暦はこの立春の日を基準にして、その前後のいちばん近い新月の日が元日、つまり今でいう旧暦のお正月とされたのです。詳しいことは拓也にお聞きなさい」
「そういえば昨日は節分でしたね。テレビで言っていました。あちこちのお寺で豆をまく様子もニュースで映されていましたけれど」
「豆まきはいけません!」
びしりと婆様は言った。
「正月に拓也も話していた『天岩戸』とも関連するのですけれど、豆まきは『神様』に対する恐ろしい呪いです。これも詳しくは拓也にお聞きなさい」
それから婆様はすぐにいつものにこやかな婆様に戻って、エーデルに料理などを勧めてくれた。
そして翌朝の朝食が済むとすぐに、松原の迎えの車が庭へと入ってきた。
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