2 さくらがわサマー童里夢フェスタ

 そのあと、あまりにも汗をかいたので俺はシャワーを浴びたくなった。さすがにシャワールームにまでは美羽はついてこなかった。

 そしてシャワールームを出て部屋着を着たころに、チャイムも鳴ることなく玄関が開いた。


「康生君! 帰ってるって?」


 隣の家に住む幼馴染の富永裕香ゆかの声だ。一つ後輩だけれど、幼馴染のよしみで昔からずっとため口で、俺を呼ぶにもくん付けだ。


「さっそく登場か」


 俺は笑って言った。俺が帰ることはどうぜ美羽が知らせていたに決まっている。


「どうだ? 受験生」


「なんかまだ実感わかない」


「だいじょうぶかよ、おい」


 裕香は勝手に上がり込んでくる。昔からそうだ。他人ひとの家だとは思っていない。うちのおふくろもそれが当然のように感じている。

 俺の部屋に裕香と美羽と三人で円座だ。


「夏休み終わったら、本腰入れるよ」


「なにのんきなこと言ってるんだ? 夏休みを制する者は受験を制すっていうだろ?」


「康生君と同じ大学行こうかな」


 なんだか美羽と同じことを言っている。


「あのなあ、おまえバリ文系で数学とか理科とか全然ダメじゃんよ、だから私立じゃないと無理だろ」


「そうだけど。あ、それよりこれ」


 裕香が差し出したのは、お祭りのチラシだ。


「ああ、電話で言ってたやつか」


 この地方の夏祭り、「さくらがわサマー童里夢ドリームフェスタ」のチラシ。だけど俺だってこの町出身なんだから、こんなチラシがなくたってその全容はよく知っている。去年まで毎年行っていたのだ。


「今年は特別なんだよ」


 裕香はさらりと言うけれど、その言葉の裏に隠されている企みを俺はもうとっくに知っている。もちろん悪い気はしない企みだけど、積極的にその企みに乗ろうとは思えない。


「それに、昼間ののど自慢大会に今年は私も出るんだよ。聖香ちゃんと」


「おお、それはすげえ」


 もともと、あさってのその祭りには行くつもりだったから、のど自慢も見ようと思った。メインは夜の花火大会だけど。


「わかった。見てやんよ」


「やったー」


 裕香は無邪気に喜んでいた。


 そうして夜には親父も帰ってきて、四人で夕食の食卓を囲んだ。


「いつまでいるんだ?」


 話の途中で、親父は聞いた。


「四日くらい」


「なんだ、短いなあ」


「そのあとでバイトがあるんだよ」


 これは本当である。俺はすでに九月いっぱい住み込みで働くため、長野に行く予定になっていた。そのことを親父に告げると、親父も納得していた。


 翌日は何もせず家でゴロゴロしていた。なぜかすっと美羽がつきっきりだ。


「美羽ったら、お兄ちゃんのそば離れないね。ずっとくっついてる」


 そんな様子を見ておふくろは笑っていた。


 翌日はいよいよフェスタの当日だ。

 だいたい昼頃には人々はフェスタの会場だる水辺公園に集まりだした。俺の家からは歩いて十二分ほどだ。以前通っていたさくら川高校に向かい、その手前の橋を渡らずに右に折れて川沿いを歩く。川の流れ自体は太くはないけれど、河川敷は広い。高校時代はしょっちゅう歩いていた懐かしい初恋の匂いのする川沿いの道。って、この道で俺が初恋を経験したわけじゃなく、むしろ体育の時間にはここが魔のマラソンコースともなった。

 今、この道を同じ方向に向かう人も多い。

 水辺公園に隣接する道の駅の駐車場が満杯になって、我が母校の校庭が臨時の駐車場になっているから、そこに車を停めた人たちは皆この道を歩くからだ。

 この川の南にもう一本の大きな川があって、二つの川が合流する三角地帯、そこが水辺公園である。

 俺はそんな道を妹の美羽、そして隣家の幼馴染で高校の後輩の裕香の三人で歩いていた。

 この道の駅の建物の裏手に、公園はある。道の駅の中には円形のアクアハウスという温泉があって、そのさくら川温泉は日本三大美肌の湯の一つとして知られている。その下には足湯もあって、気軽に利用できる。

 裏手の公園は広いわけではなく、かといって小さな公園でもないという中途半端な大きさだ。

 普段はただの芝生の公園で遊具はハウス上の屋根のついた滑り台とブランコがあるだけだ。ただ、川に面していて、そのまま川に入れるので水遊びをする子供も多い。

 そんな公園に今日ばかりはものすごい人が詰まっている。

 臨時に設営されたテントでは菓子を売る屋台などが並び、公園の中央には特設舞台がしつらえてあった。ここがメインとなってカラオケ大会や地元アイドルのライブ、名前も知らないような歌手の歌謡ショーなどが行われる。

 ちょうど正午にはオープニングセレモニーで、俺の出身中学のさくら川中学の吹奏楽部の演奏で始まる。


 そんな人ごみの中で、裕香はきょろきょろと誰かを探していた。

 やはり思った通りだと俺は思う。多分愛菜あいなと待ち合わせをしているのだろう。やはりここで俺と愛菜を引き合わせてくっつけてしまおうという策略なのだろう。おそらく美羽も共犯だ。


「あ、いたいたいた」


 裕香が手を振る。こっちへ走って来たのは……愛菜ではなかった。愛菜と同級生、つまり俺にとっては一つ後輩の鎌田聖香だ。ショートヘア―の、笑顔が可愛い女の子である。


「ああ、山下先輩。お久しぶりです」


 なにしろ田舎の小さな高校、全校生徒が顔見知りだ。今の時点のさくら川高校の生徒で俺のことを知らないのは現一年生だけ。でも、美羽の兄ということが分かったらたちまち有名になってしまうだろう。それが田舎というものだ。


「今日、わざわざ来てくれたんですか?」


 俺はそういうことにしておいた。裕香と聖香でコンビ組んでギターの弾き語りすると裕香が言っていたのを思い出したからだ。


「「私たち、裕香と聖香の二つの香りで『カオリーズ』で~す」」


 声をそろえて言う二人に、俺は思わず噴き出した。なんだか芳香剤の名前のようだったからだ。


「もう笑わなくたっていいじゃないですか」


 聖香が少し膨れる。でもすぐにまた笑顔を取り戻す。


「てことで、私たち準備があるんであとはよろしく」


 そう言う裕香はどうも聖香とともにステージ裏の出演者テントの方に行ってしまうようだ。


「え? じゃああとは美羽と二人?」


「残念。美羽ちゃんは私たちの付き人だから一緒に行っちゃう」


「そうしたら俺一人じゃん」


「だいじょうぶ」


 まるで裕香のその声を合図に、聖歌の近くからひょっこり現れたのは、やっぱ来た、愛菜だった。

 しかも、浴衣なんか着てる。


「山下先輩。おかえりなさい」


「あ、ああ」


 なんだか俺の方が照れてしまっている。それを見て愛菜はうふふという感じで笑う。


「じゃあ、あとはよろしく」


 いわゆる「カオリーズ」と付き人美羽は、俺と愛菜を人混みの中に残していってしまった。俺が高二の頃にそれまでのロングをばっさりショートにした愛菜だったけれど、今はまたかなり伸びて元のロングに戻りつつある。


「先輩。とりあえず涼しいところに行きましょう」


「そうだね」


 俺と愛菜は、屋台の出店が並ぶテントの方へと向かった。

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