3 @Angel_Sophia
俺は最初に目に留まったアイテムと、その天使の声の両方に驚くことになった。
もう言うつもりだった「よかったら撮影させていただいてもいいですか」という言葉はどこかへ行ってしまった。
まずは天使が右手に持つ小さな弓、これはどうということない。問題は左手だ。そこには三十センチほどの楯があった。その上が平らで真ん中が左右に膨らみ、一度しぼんだ淵は左右ともくるりと上向きに丸まっている竪琴のような形、底辺は下に三角にとんがり、そしてその中には光条がつき円内が十字に刻まれた太陽の文様がある楯……俺が肌身離さずつけているバッジのデザインだ。
そしてさらに驚いたのは、俺の顔を見てぱっと輝いた天使のその口から発せられた言葉だ。
「康生先輩! やっぱり、こっちの世界に来てたんですね」
「えっと……」
俺はただ茫然とした。もしかしたら後輩? こっちの世界とは、俺がオタクの世界に足を踏み入れたことを言っているのかな?
「もしかして高校の後輩? さくら川の?」
「あ、い、いえ、違います」
天使は明らかに狼狽していた。
「じゃあ、小学校か中学校で? どっちみち栃木の人?」
「あ、いえ、ごめんなさい。あ、撮影ですね。どんなポーズがいいですか?」
なんだかはぐらかされた気もしたけれど、かなり焦っているようなのでこれ以上は追及しなかった。
「じゃあ、その楯をこっちに向けて、あとは適当に」
天使は言われたとおりにした。楯のデザインも撮影して、あとで俺のバッジと比べてみようと思ったのだ。
俺はスマホで数枚写真を撮った。
「あのう、よかったら写真送って下さい」
天使は足元にあったスケッチブックを拾いあげてこちらに向けた。
――ケルブ@Angel_Sophia 撮影ありがとうございます――
そんな文字とともに天使のイラストが添えてあった。
「絶対、絶対送ってくださいね」
まるで懇願するように言うから、俺はちょっとだけ首をかしげた。でも、とりあえずは俺もお礼を言って、その場を後にした。その時、そのケルブという天使の声がかすかに聞こえたような気がした。
「ククク、ワレはついに見つけたるなり。異界をさまよいし魂の誤りて行きつきし所を」
「え?」と思って俺が振り向くと、もうそこには天使ケルブの姿はなかった。
なんだか狐につままれたような気分で、俺は出口に向かう西ホールの外階段を人混みとともに降りた。
降りながら考えた。
たしかに最初、自分の名前が呼ばれた気がする。しかも「康生先輩」と言った。だから、高校の後輩とかかなと思ったけれど、なんだか妙に焦りながら彼女はそれを否定した。
じゃあ、あれは空耳だったのか? いや、はっきりと耳に聞こえた。それなら何かほかのことを言ったのに、それが俺の耳には「コーセイセンパイ」と聞こえたのだろうか?
もしかしたら彼女は俺を自分の先輩だと勘違いしてその名前を呼んだのに、その名前が俺の名前に似ていたから俺は自分が呼ばれたと思ってしまったのか。
この可能性はある。
そのあとの彼女の焦ったような様子は、自分の人違いに気がついて気恥ずかしさからうろたえてしまったのではないだろうか。
たしかに、先輩を呼ぶときには、同姓の先輩がもう一人いない限り下の名前に「先輩」をつけて呼ぶ人はいないだろう。本当に俺だと認識して俺を呼んだのなら「山下先輩」と言うはずだよな。
でもあの楯……何か偶然ではないような気がする。
そして別れた後に聞こえた言葉……あれこそが空耳だったのか……あるいは……。
それに彼女は、あっと言う間に消えた。
そんなことを考えていると、やはりさっきのはただのコスプレではなく本物の天使だったのではないかとさえ思えてきた。
階段を降りると俺は人の流れがないところを見つけて、立ち止まったままスマホを開いてみた。そして画像アプリをチェックする。
まさかとは思うけれど、俺が撮ったケルブの写真には何ら画像が写っていないとか、あるいは壁だけが写っているなんてことはないだろうなと思った。もしそうだったりしたら本当に……そんなことをいちいち確認するのはばかげているとは思ったけれど、一応見てみた。そして安心した。ちゃんとケルブは先程のポーズ通りに移っている。
その当たり前のことに俺は安心してスマホをしまうと、会議棟の下をくぐって駅の方へ向かう階段を降りようとした。
そこでスタッフが立て看板を持って人々の流れを誘導している。その看板の矢印の下には「駅方面」とかではなく、「→現実」と書かれていた。
いよいよ異世界ともお別れで、俺は現実世界に向かう階段を降り始めた。
駅はごった返していた。
だがまだいい方で、これが即売会終了時間になるともっとおびただし人々が押し寄せて、駅は入場規制が始まってしまう。かろうじてそうなる前には駅に着いた。
ホームもすごい人だ。
電車はすべてが俺の住む町の駅まで行くわけではなく、途中止まりとなってしまう電車とほぼ交互に到着する。最初に来たのが途中止まりだったので見送って、その次が運よく快速だった。
俺は前の電車を見送ったおかげで乗車列の最前線に並んでいたため、ほぼガラガラの状態で到着した電車に乗るとすぐに座れた。そのあとからもホームにあふれていた人々がどっと乗り込んできて、車内はいきなり朝のラッシュ並みの超満員電車となった。
このあと一時間弱乗っているわけだから俺はすぐにでも疲れた体を癒すために眠りたかったけれど、その前に気になったのでスマホを取り出し、例のスケッチブックを撮影した画像を開き、そこに書かれていたSNSのアカウントをそのSNSアプリで検索してアクセスしてみた。
プロフィール画像は、先ほどこの目で見た例の天使コスプレの写真だった。間違いなくあの子だ。
ちゃんと実在した生身の人間だった、当たり前だけど。
でも、プロフィールの自己紹介はぶっとんでいた。
「ククククク、人間の諸君。よくぞここにたどり着いたわね、ほめてあげるわ」
どこかで聞いたセリフだ。そしてその自己紹介は人間のものではなくまさしく天使のそれだった。
「ワレは天界二階層の智慧の天使ケルブ。知りおくがよい」
あとは眷属がどうのとか属性が何だとかいろいろ書いてある。要は中二病全開だ。でも現実世界のことは何も書いていなかったけれど、ポストされた投稿を見てみると言葉の橋端から学生だとはわかる。しかも、学校の様子とか期末テストがどうのとか、その科目名やら、そして受験生であることをほのめかすような内容から、やはりどこかの高校の三年生であるようだ。
ちょっと中二病的自己紹介は気になるけれど、一応は現実世界に生きる女子高校生らしい。
今、ここから撮った画像をDMに送ることも可能だけど、やはり帰宅後に一度パソコンに移し、パソコンで色調補正やトリミングなど画像処理をしてから送ることにして、とりあえずスマホはしまって俺は寝ることにした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます