7 もう一人の少女
今鳴ったチャイムに、研究員が応対に出た。
「幸野さんがお見えです」
そういえばもう一人、この実験で高数値を出した女子学生がいるって言ってたなと俺が思っていると、果たして入ってきたのは大学生風の女の子だった。
「遅くなりました」
入ってきたその女の子の顔を見た瞬間、俺もチャコも声を合わせて叫んだ。
「「美貴!」」
その女の子も驚いて、部屋の入り口で固まってしまっていた。
「ええっ? お知り合いですか?」
篠原さんも驚いて聞く。
「いえいえいえ」
俺は慌てて否定した。実は全く初対面の女性だった。それなのになぜか、口をついてその名前が出てしまった。だが、驚くべきことは、チャコの口からも全く同時に全く同じ名前が出たということだ。
「あのう」
たしか幸野さんと呼ばれていたその女の子は俺とチャコを交互に見て、首をかしげた。
「あのう、どこかでお会いしました?」
「あ、いえ、ごめんなさい。なんか知らないけど初対面の人に突然適当な名前を口走っちゃって、失礼でしたよね。ごめんなさい」
チャコが慌てて頭を下げた。でもその女の子はきょとんとしている。
「いえ、私、たしかに幸野美貴といいますけど」
「え?」
そういえば俺がチャコと初対面の時、あの教養学部の校舎の入り口で正面衝突したときも、俺は思わず「チャコ」と叫んでいたんだ。
なんだか狐につままれたような気分になっていると、またチャコが幸野さんのTシャツの胸のあたりについていた装飾のバッジを指さした。
「あっ!」
大きく叫ぶとチャコは自分のシャツの上に重ね着していた半袖の薄いカーデガンの襟をちょっとずらした。そこには、幸野さんが着けているのと同じバッジがあった。それを見て今度は俺が声をあげる番だった。
俺はTシャツの下のインナーのランニングシャツにつけていた全く同じバッジをTシャツの裾から手を入れて外すと、二人に見せた。
三人は同時に固まった。
楯の形で中に太陽がデザインされた図案のバッジが三つ、俺たちの視界の中に同時に存在していた。
「それって……」
三人が三人、呆気に取られてしばらく互いのバッジを凝視していた。確かに、全く同じものだ。
「あのう、それ、どうしたんですか? どうして持ってるんですか?」
幸野さんが恐る恐る尋ねた。そう聞かれても、俺は言葉に詰まる。
「それがその、わからないんです。気が付いたらいつの間にかあったって感じで。高二の夏ごろだったかなあ。なんか自分の部屋の机の引き出しに入ってて、誰かにもらったとか買ったとかそんな記憶は全然ないし、家族に聞いても知らないって言うし……。ただ、なんだか大事なもののような気がして、それ以来肌身離さず四六時中着けてるんです」
「私も同じ」
チャコも目を挙げた。
「私は高校の一年生だったか二年生になってたかくらいの頃だけど、こちらの山下君と全く同じ感じでした。いや、驚いた」
そして二人して幸野さんを見た。
「私もそうです。ちょうど同じ頃ですね。状況も全く同じです。私も高校の二年生になったころ……ってか、今お二人は……?」
「僕たち二人とも、すぐそこの大学の一年生です。現役です」
「じゃあ、同じだ。ってことは、このバッジが現れたのはほぼ同じ頃ってことですね」
「僕だけちょっと遅かったってことか」
俺はつぶやきながらも、この幸野さんはタメ年かとぼんやりと思っていた。
「これは」
俺たち三人の会話を聞くともなく聞いていた篠原さんは、俺たちのバッジを見て驚いていた。
「この図案は、ムー帝国の国章ですよ」
「「「ムー帝国?」」」
「今から一万二千年ほど前に太平洋に沈んだとされている大陸で、そこではムー帝国という国があって高度な文明が栄えていたといいます」
「なんか、聞いたことあります」
チャコがそう言ったけれど、俺もそうだった。幸野さんもうなずいていた。
「そのムー帝国も、我われの研究機構の研究事項の一つなんです。アカデミーの海洋考古学者などがだいぶ調査をして、太平洋の海底には大陸がかつてあったという形跡はないし、古代文明の遺跡なども沈んではいないとその存在を否定していますけれど、我われはそんなのは信じません。そんな調査なんてどこまで本気でやったかなんてわかりませんしね。そんなムーの国章が皆さんの手元にいつの間にか存在していた、そしてその皆さんがすごいヒーリングのパワーを持っている……これってなんかありますね。このバッジ、写真撮らせてください」
俺たちが承諾すると、篠原さんはスマホとかではなく本格的なカメラを持ってきて、テーブルの上に置いた俺のバッジの写真を撮っていた。それから時計を見た。
「で、幸野さん、申し訳ないけれど電話で話した通りの実験の方をお願いします。そろそろ始めないと、終わるまでのほかの研究員が帰ってしまいますので」
そう言って篠原さんは、それまでずっと立ちっぱなしだった幸野さんに椅子を勧めてから、キュウリの実験の準備を始めた。
「じゃあ、俺たちはそろそろ」
俺はチャコに言った。チャコもうなずいた。
「あ。せっかくだから連絡先」
幸野さんが言うのでチャコがスマホを出し、互いにLINEのIDを交換していた。
「そうそう、私は朝倉由紀乃、こっちが山下君。同じ大学です」
「山下康生です」
「この近くに住んでるんですか?」
「俺はこのそばだけど、朝倉さんは結構遠いんです。自宅通学だから」
チャコは自分が住んでいる同じ県内の市の名前を告げた。幸野さんは驚きの声を挙げた。
「ええっ? うちの隣の市じゃない。高校、どこだった?」
「柏木南」
「あ」
幸野さんは一瞬目を伏せたように見えた。そしてすぐに笑顔に戻ってチャコを見た。
「私、実はそこが第一志望だった」
そっか、残念ながら不合格だったのかと、俺は単純に思っていた。でも幸野さんは笑っている。
「落ちたんじゃないよ。試験当日の朝、車にはねられそうになって転倒したお婆さんがいたので助けて介護して、病院まで付き添って、それで試験受けられなかった」
「え、でもそんなときは、追試受けられたんじゃ?」
チャコが驚く、でも、まだ幸野さんはにこやかに笑っている。
「追試ってインフルや体調不良、交通機関の遅延や不通、災害等で欠席した場合で、それ以外は中学校の校長の判断によるんだって。でも私の中学の校長は、見ず知らずのお婆さんの介護なんてほかの人に頼めばできたことって理由として認めてくれなかった」
「ひどい。いいことしたのに?」
「いいの。私もその時どうしようか迷ったけど、でも私は高校よりもお婆さんの方を選んだ。それで都内の大学付属の私立の女子高に入ったけれど、そこはそこで楽しかったし、そのままエスカレーターで今の大学に行けたし」
「そうか、まあどうなるかわからないからね」
俺もそう言った。気が付いてみると最初は互いに敬語で話していたのに、同学年ということもあっていつの間にかタメ口になっていた。
「あのう」
申し訳なさそうに口をはさんだのは篠原さんだった。手にはキュウリが入ったガラス皿を二つ持っている。
「そろそろ実験、いいですか?」
俺たちの話が長いから、とうとうしびれを切らせたのだろう。
「あ、申し訳ありません」
俺は立ち上がった。チャコも立ちながら幸阪さんに言った。
「じゃあ、連絡するね」
「あ、はい。よろしく。山下君にもあとで連絡先聞いて連絡する」
俺たちはもう古い友達のように互いに手を振って、そして俺とチャコは外に出た。
(「第3部 逆三角砦」につづく)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます