3 樹海の中の集落
完全に森の中に取り残されたような別世界。
外界とのつながりは密林の中の細い一本の道だけだ。
小さな村だ。全体はきれいな長方形で、外周の道と真ん中に縦に道が一本。横の道は三本ほどあるようだ。
外周は一周しても歩いて十五分くらいだろうと思われる。そんなわずかなスペースに、家が適当な距離で分散して建っている。
家はなんかこう風情のある古い田舎の家という感じだ。
昭和な、いやもっと昔のような感じさえする。
このわずかな閉鎖空間に、思った以上に人通りはあった。
「この村の人は本来全員が顔見知りなんだけど、今はお盆で遠い親戚とかその連れ合いとかもたくさん帰省してきているから、知らない人も多いんだ。今は普段の五倍の人口がこの村にはいるだろうね」
車をゆっくり動かしつつ先生が説明しているうちに、車は一軒の家の庭に入っていった。
「ああ、拓ちゃん。そろそろ着くころだと思ってた」
「ただいま」
車の窓を開けて顔を出し、先生は庭にいたおばさんに声をかけた。
「いつもの生徒さんたちも来たか?」
先生は庭の適当なところに車を停め、俺たちも降りることにした。
「お世話になります」
島村先輩が頭を下げて、悟も隣で同じようにしていた。
おばさんはにこにこ笑って、目を細めた。
「悠斗君それに悟君、元気そうだね」
島村先輩の下の名前が悠斗だということを、俺は初めて知った。
「それと……」
おばさんは初対面である俺を見た。
「彼は山下康生」
おばさんに紹介した後、先生は俺を見た。
「うちのおふくろだよ」
おばさんは先生のお母さんだったのだ。
「はじめまして、よろしくね」
土地の訛りと思われるイントネーションは、俺の故郷の栃木と少し似ている。
「おお、帰って来たか」
家の縁側の方から、たぶんお父さんだろうと思われるおじさんが出てきた。
やはり先生のお父さんで、同じように先生は俺を紹介してくれた。
うちの親よりもひと世代上のようだ。
「さあ、早く入るべえ」
俺たちは荷物を持って、玄関の方に回った。
先生父はもうそっちの方に回ってきていた。
「まずは婆様に挨拶だべえ」
「そうだな」
家に上がると先生は俺たちを連れて、当かの突き当りの部屋へと行った。
「婆様、今戻ったよ」
古い木の滑り戸を開くと、部屋の中央に車椅子に座ったお婆さんが、にこにこして出迎えてくれた。
俺はその圧に圧倒された。
全身からすごいオーラ―が出ているような気がする。悟もそのお婆さんの姿に、本当にまぶしそうに目を細めていた。
「皆さん、ようこそ」
その笑顔は先ほど出迎えてくれた先生父によく似ている。その血を先生が受け継いでいるのかもしれない。
もう歳は八十は過ぎているだろう。もしかしたら九十近いかもしれない。
「どうか今年も、ゆっくりしていってください」
それからお婆さんは俺に目を止め、にっこり笑った。
「初めての方ですね。でももう、私の作ったムー国章をつけてくださっているのね」
柔和な笑顔ではあるけれど、その鋭い目からの圧を俺はしっかりと感じた。
とにかく威厳がある。
あまりにも緊張していたので、おばさんがいったムー国章とか、それを「私が作った」とかいう言葉を考える余裕はなかった。
それから先輩や悟と俺の三人は、泊まることになっている二階の部屋に案内された。
俺は古い建物の和室の部屋を見渡していた。
「ま、最初はいろいろ驚くだろうね」
島村先輩が笑っていた。
「あの婆様はいい人だよ。いや、いい人というだけでなく実に偉大なお方だ」
先生は下の階で、久しぶりに会った自分の両親と話し込んでいる。
なにしろ先生の家族ばかりでない。近所の人も勝手に庭に入り込んできては先生をつかまえて話を始めているようで、俺たちは放っておかれる形になった。
そこで俺たち三人は村の中を散歩することになった。
いつもならよそ者がいたらすぐにわかる小さな村だけど、今はお盆でこの村の人口も膨れ上がっているという先ほどの先生の話だから、よそ者の俺たちが歩いていてもあまり目立たないようだ。
「わかっていると思うけど、村の中を歩き回る分はかまわないが絶対に村を出て周りの森には入るなよ」
「康生にもよく言っておきます」
島村先輩はやたら先輩面してるよなあ、先輩なだけに。
「あのう、ここの樹海って、よく言われるように一歩でも足を踏み入れたら二度と出られないって本当ですか?」
俺は先輩に歩きながら聞いてみた。
先輩は笑った。
「それはただの都市伝説だよ。でも、深く入りすぎると道もないし歩きづらくなる。それにだいいち風景が周り三六〇度が木ばっかりの原始林だから方向が分からなくなって迷子になる可能性は高いね」
「なんか磁石も狂うとか?」
「はい、信じる信じないはあなた次第です」
悟もそう言って笑っていた。
しばらく行くと、ちょうど国道からこの村に入ってきた細い道とは反対側に、さらに森の中に入っていく細い道があった。
「こっち行ってみよう」
先輩はその先に何があるか、もう知っているようだった。
先生は森の中に入ってはいけないとは言ったけれど、道を歩く分にはかまわないのだろうと俺は解釈していた。
でも道が少しカーブした後、すぐに目の前の視界が開けた。
柵があって門があって、その門は閉まっていたから実質上はそこで行き止まりだったけれど、その門の向こうには広々とした何もない土地が広がっていた。
どうもグランドのようだ。
遠くの方のグランドの周辺は原生林に囲まれている。
たしかに閉じられた門の脇の門柱には小学校の名前が刻まれていた。だが、門の前には大きく「立ち入り禁止」の文字がしつこいくらい並んでいた。
だけれども、立ち入らなくてもグランドは一望だ。
そして今までは森の木々にさえぎられて見えなかった富士山が、ちょうどグランドの向こうの密林の上にそびえていた。
かなりの迫力だったけれど、今は夏、富士山に冠雪はない。
やはり富士山は頂上付近が冠雪に覆われていないと富士山という感じがしなかった。
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