7 交霊体験

 ピアノが倒れた。


 俺はすぐにでも駆け寄りたかったが、頭が重くてどうにも体が動かない。


「ピアノ!」


 そう叫んで真っ先にピアノのそばに駆け寄ったのは、島村先輩だった。

 ほぼ同時に青木先生も駆け寄る。

 さらにはチャコと悟も特に体の不調はないようで、チャコが倒れているピアノを抱き起した。


 ピアノはゆっくりと目を開けたけど、虚空を見つめている。

 

「ピアノ、大丈夫?」


 チャコが呼びかけても、ピアノはチャコを見ようともせず、そのまま天井の方を視点はさまよっていた。

 その天井のあたりをを同じように見上げて、チャコが「あっ!」と声を発したのと、ゆっくりとピアノが口を開いたのはほぼ同時だった。


「……ここは……どこだ……」


 でもそれは、いつものピアノの口調ではなかった。男性がしゃべっている……そんなふうにしか聞こえなかった。


「俺は……どうなったのだ……」


 青木先生と島村先輩は、顔を見合わせて真顔でうなずき合っている。

 そして先生はチャコに抱きかかえられたピアノと向かい合う形で、その正面に正座で座った。


「……痛い……苦しい……暗い……寒い……」


 ピアノはゆっくりと男性口調でそう言いつつ、苦痛で顔をゆがめていた。

 青木先生は以前にチャコが俺に回復魔法を施したときと同じように、ピアノのへそのあたりにその両手のひらを、直接には触れずに数十センチ離して当てがった。


 ピアノの呼吸が落ち着いてきた、

 青木先生はゆっくりと話しかける。


「今、竹本ひろみさんのところに来られたあなたは、どなたなのですか?」


「自分は防災航空隊……ヘリが落ちて……」


「事故ですか」


「たぶん」


 青木先生が話しかけているのはピアノに対してなのに、話の中ではピアノは第三者として扱われている。

 全く別の存在と会話している。だけれども、話しているのはピアノの口からだ。


「いつの事故ですか? かなり前ですか? 最近ですか?」


「よく分かりません。事故が起こってから眠っていたみたいです」


 このなんとも説明のつかない不思議な光景を、頭にもやがかかったような状況で俺は割と近くで見ていた。


「そうですか、お気の毒です。でも、いつまでもさまよっていたら妖魔になってしまいますよ。早く……」


「そうじゃないんです。さまよってなんかいません」


 ピアノの言葉が、いやピアノの口を借りてしゃべっている何者かが青木先生の言葉を遮った。


「意識が戻った瞬間に、何かすごい力で引っ張られてここへ来た」


「あなたを導いてくださる方が、いらっしゃってますよね」


 ピアノは首をかしげる。


「よく分かりません」


 また青木先生は島村先輩と顔を見合わせた。


「ただの人霊じゃないのかも」


 青木先生は、島村先輩に向かって小声でささやいた。


「そうですね。もしかしたら……」


「うん」


 青木先生はまたチャコに後ろから支えられているピアノを見た。


「今のあなたなら、ヘリが落ちる前のあなたの人生すべてが見えるはずです」


 少し間をおいてから、ピアノはうなずいた。


「そして小さな子供の頃、赤ちゃんだった頃、そしてお母さんのお腹の中にいたころまでさかのぼれるでしょう?」


「はい」


「さらにその前はどうですか?」


「おお」


 ピアノの顔が輝いた。いや、ピアノの中の男性の顔がというべきか。


「きれいだなあ。こんなきれいなところ」


「そうですか。あなたはただの人間の魂が転生再生して来たわけじゃない、特別な魂だったのですね」


「そのようですね」


 気が付くと、ピアノの顔もかなり穏やかになっている。


「あのヘリの仲間たちもみんなそうか……みんな、ここに集合!」


 ピアノを抱き支えながら、チャコは驚いたようにあたりを見回していた。

 不思議なことにその瞬間、あれほど俺の頭をクラーッとさせていた靄が消えたように、頭がすっきりとした。

 ほかの六人も同じようで、みんな一斉に元気になって座り直した。


「そうである以上、あなた方には使命があったはずですね。今までは忘れていましたよね」


「はい。でも、たった今すべてを思い出しました。そのとてつもない大きな使命の重大さに、一同おそおののいて震えております」


「ではその使命に、さっそく取り掛かるといいですね」


「はい。お世話になりました。ありがとうございます」


 ピアノは両手をたたく挙げ、次の瞬間には全身が脱力したようにまた倒れこんだ。


「竹本、おい、竹本」


 青木先生の口調が変わり、普通に生徒の呼び掛けるような感じになった。


「ピアノ!」


 後ろで支えているチャコも、ピアノの頬を軽く叩いた。


 ハッと我に返ったような顔で、ピアノは周りを見た。


「あ、なんかすごかった。でももう、あの人は行っちゃったみたいです」


 けろッとしている。


「頭ははっきりしているか? ぼーっとしてないか?」


「はい。大丈夫です」


 ピアノはニコッと笑った。


 俺は呆気にとられた。

 今まで目撃していたことの異様さもさることながら、あんなことになっていた直後にピアノは、何事もなかったかのようににっこりと笑っているのである。


「先生。さっきの御霊ていうか分魂の方が言っていた使命って何だったんでしょうね」


 チャコが聞くと、青木先生も少し首をかしげた。


「さあ、何だったんだろう。でもまあ、あの方たち自身が思い出したのならそれでいいや」


 俺たちは車座になって、また先ほどまでのキャンプファイヤー代わりの話を続けていた。


 だけど、俺はどうも腑に落ちなかったし、とにかく不思議でならなかった。


 あれだけのすごいことがあったのに、この人たちは本当に何もなかったように盛り上がって騒いでいる。

 当のピアノ自身も、よく笑っていられるなあと思う。


 俺なんか初めての体験に今でも体中の震えが止まらないくらいで、なんだかトラウマになりそうだ。

 十七年生きてきて今まで全く体験もしたことのない、頭で理解することを全力で拒んでいるようなそんな出来事なのだ。


 今度は彼らの妄想を俺が想像して描写したのではない。

 俺のこの目で見てこの耳で間違いなく聞いた、俺自身が体験したことなのだ。


 青木先生は人霊だの魂だのいろいろと言っていたけれど、俺はアニメは好きでそういった心霊もののホラーアニメも見るけれど、実際の生活の中でそういったオカルト的なことにあまり関心はなかったし、もちろん体験したこともない。

 悟ほど宗教を毛嫌いしているわけではなく、カルト教団は嫌だけど普通の宗教には人並みには接している。

 例えば正月になれば寺や神社に初詣には行くし、一度クリスマスに教会に行ってみたこともあるけど、あの雰囲気も嫌いではなかった。


 でもさっきの体験は宗教っぽいというよりもどちらかというとオカルト的? でも、少なくとも中二病的妄想ではなかった。

 だって、俺自身も体験者なのだ。


 俺はその出来事について青木先生にいろいろと聞きたかったけれど、今は皆話で盛り上がっている最中で、とてもそのようなことを蒸し返して聴けるような空気ではなかった。

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