エピローグ

 あれから、一年が経った。


 いつもと同じ時間に起きて、いつもと同じ朝食を食べる。


『あの世間を震撼させた警察官失踪事件から、一年が経過しました。依然、警察は足取りを掴めておらず、捜査は難航を極めており――』


 テレビからは、そんなニュースが流れて来ている。


「……檜来さん、まだ見つかってないんだ」


 そう、呟いてみる。僕にも彼の居場所は全くわからない。あの事件以来、彼を見た事は一切なかった。

 あの一連の事件の後、檜来は忽然と姿を消した。現役警察官が、拳銃を所持したまま失踪。それだけでも大事件だけど、もっと問題なのは……彼の自宅から、身元不明のが見つかった事だ。檜来は死体の処理をしないまま、どこかに姿を眩ませてしまったらしい。


『彼は今、一体どこで、何をしているのでしょうか。自宅から遺体で見つかった青年の身元も、未だ判明しておらず――』

「そりゃあ……ね」


 身元なんて、いつまで経っても判明するわけがない。まさか、その青年がだなんて……誰も、想像すらしない事だろう。

 しかし、異世界人でも死体は死体だ。彼の死体は身元不明の遺体として扱われ、檜来は殺人事件の容疑者として指名手配になっている。『死体が出れば、警察は事件として扱う』。たしかに、檜来が言っていた通りになったわけだ。

 そして。この青年についての情報が、さらに事件を複雑にしている。


『この青年が警察官連続殺人事件の犯人であるとの説もあり、警察は並行して捜査を――』


 青年の容姿は、警察官殺害事件で目撃された者とよく一致していた。その手には長剣が握られていて、斬り殺された警察官たちの血痕も残っていたらしい。全ての捜査情報が明らかにされているわけではない。だけど、週刊誌なども含めて色々出てくる情報をかき集めると、少なくともそこまではわかっているみたいだ。


 ここまでの情報だけなら、警察官を狙う頭のおかしい殺人鬼を返り討ちにした――とも見えるのだけど、そういう話にはなっていない。どうも、檜来の自宅からは他にも色々と物が見つかったらしい。それが何であるか、はっきりとは情報が明かされていない。だけど『数々の殺人を行なった証拠』があるのは間違いないらしく、警察は連続殺人事件として捜査を継続している。

 世間的には不可解な点や明らかになっていない点が多い事件であるせいか、今でもこの事件は定期的にメディアで取り上げられている。警察虐殺事件やその時の爆発もあわせて見ると、何も知らないと事件の実態は酷く掴みにくい。色々な憶測が憶測を呼び、実態とはかけ離れた珍説が飛び交う未解決事件。結果的に、そんな扱いになってしまっている。


「あの裏庭も、もう掘り返されたのかなぁ……?」


 だとしたら。リラや髭男の骨も、今は警察の手元にあるのかもしれない。警察も、次々と見つかる『身元不明の遺体』に頭を抱えてしまっているかもしれない。ただ、山に埋めた獣人の死体は、まだ見つかっていないようだ。あの死体には、檜来が放った銃弾が含まれている。見つかればまた大問題になるはずだけど……今はまだ、そうはなっていない。


「うちも、人のことは言えないけど……」


 檜来の行方は警察がずっと捜査をしているはずだけど、僕にまで捜査の手が伸びて来ることは無かった。山を降りる時には檜来と一緒にいるのを、警察に見られていたはずだけど……思えば、あの場にいた警官達は勇者に殺されてしまった。結局、僕と檜来のあの数日間の繋がりを知るのは、当の本人達だけ……ということになる。


「……っと、そろそろ行かないと」


 いつまでも的外れな推測を垂れ流しているテレビを消し、仏壇の前に座る。

 いつもと同じように、ちーんと音を鳴らし、仏壇に手を合わせる。


「お母さん、花鈴さん、リラ。みんな……行ってきます」


 花鈴さんの遺体は、髭男のそれと同じように処理した。すなわち、骨以外の肉はミキサーにかけて下水に流したし、骨は裏庭に埋めた。一人でやると随分と時間がかかったけど、やって出来ないことでは無かった。身元不明の遺体を穏便に処理する方法を他に思い付かなかった、というのが本当のところだ。

 と同時に、母の骨も隣あうように裏庭に埋めた。これでもう、家に誰かが来ても、母の骨を見られる心配は無くなった。うちの裏庭を警察が掘り返すことがあれば、きっと驚くだろうけど……今はまだ、そういったことは無さそうだ。

 葬式はあげていないし、位牌も遺影があるわけでもない。そもそも花鈴さんやリラが仏教徒なわけもないし……だからまあ、仏壇に手を合わせるのは形式上のことだ。それでも何となく、毎日こうして手を合わせて、話しかけることにしている。


「んーっ……まだ暑いなぁ」


 玄関を開けた途端、むわっとした熱気を感じる。まだまだ去りきらない夏を感じながら、原付に跨る。


「〜♪」


 鼻歌交じりに、とろとろと原付を走らせる。いつかのように美しいエルフを見かけることも、あれ以来ない。あんなことは、あれが最初で最後だ。いつも通りの、誰もいない道。何もない景色。田畑と荒地と山だけの、何もない日常。


 正直に言えば。異世界人の影を求めて、視線を彷徨わせることもある。あちこちに原付を回して、何かを追い求めた気になることもある。リラと見て回った場所を訪れて、あの日を思い出すこともある。

 ……だけど、そんな行為に意味はない。そんな行動で異世界人が見つかるわけもないし、そもそも……彼女はもう、どこにもいないんだから。


 それでも僕は、暇さえあれば異世界人と関係がありそうな情報を探すようになっていた。とか、とか。気がつけば、そんな情報ばかり探し求めるようになっていた。心霊現象、UMA、都市伝説、未解決事件、超常現象。少しでも可能性のありそうな情報は、片っ端から掻き集めた。必ず一通りは目を通したし、これはと思うものがあれば現地に飛ぶこともある。だからって異世界人に出会えたことはないし、それらしき痕跡すら巡り会ったこともない。でもこの奇妙な習性は、しばらく抜けないだろう。そんな気がしている。

 並行して、檜来の情報も端から端まで集めている。事件の報道記事、真偽不明の週刊誌の情報、ネットの片隅の噂話まで。しかしこちらも、成果らしき成果は何も出ていない。彼が生きているのか、はたまた、とっくにどこかでのたれ死んでいるのか。そんなことすら、僕にはわからない。

 あるいは。彼はまだ……どこかで、異世界人を追っているのだろうか。



 ゆっくりと走らせていた原付も、やがて目的地に辿り着く。

 そこはいつか花鈴さんにコーヒーとご馳走を頂いた場所――花鈴さんの喫茶店だ。

 ……今はもう、・花鈴さんの喫茶店、と言った方が良いのだろうか。いや、僕にとってはずっと、ここはあの花鈴さんの店、なのだし。


「カギ、カギ……よっと」


 懐からカギを取り出し、裏口の扉を開ける。


「さって、今日も頑張りますかー!」


 気合を入れながら、キリキリと働く。

 朝のやることはいくらでもある。掃除、片付け、料理の仕込み。看板を出して、ひとまず一息をつく。


「とりあえず……一杯淹れようっと」


 お湯を沸かし、細心の注意を払ってコーヒーを淹れる。

 香りを楽しみ……一口。


「んー…………70点、かな」


 悪くはない。決して悪くはない。店でこのコーヒーが出たとして、僕は普通に美味しいと思うだろうし、文句なく飲み切るだろう。そのくらいには美味しい。だから決して悪くはない……けど。


「花鈴さん。まだまだ、あなたのように上手くは淹れられませんね……」


 はーっ、とため息が漏れる。日々なんとかあのコーヒーを再現しようと頑張っているけど、中々どうして、そう簡単にはいかないようだ。


「ま……ちょっとずつ頑張るしかない、か」


 花鈴さんの研究ノートをパラパラとめくりながら、そう呟く。彼女も始めは……こんな気持ちだったのだろうか。


 ――そう。

 かつて花鈴さんの喫茶店だった、この店。彼女から受け継ぐようにして、今は僕がその店の店主になっている。


 どうしてそうなったのかというと……まあ、これは少しややこしい話になる。

 そもそもの話。僕が『花鈴さん』と呼んでいる『魔女』は、本物の『花鈴さん』では無かった。僕が知っている『花鈴さん』は、本物の『花鈴さん』を殺して成り代わった『魔女』だった。どうも……そういう話らしかった。


 だから、と言うべきだろうか。あの『魔女』が死んでしばらくした後、本物の『花鈴さん』の遺体が発見された。どこで発見されたのか、とか、遺体はどんな状態だったのか、とか。そういう詳しいことは、よく知らない。当時は檜来の事件が大きく世間を騒がせていて、その影に埋もれて大して報道されなかった事件が一杯あった。『花鈴さん』の事件もそのうちの一つで……そうして埋もれる程度には、一見してそんなに不自然な遺体では無かったのだろう。そんな風に推測することしか、僕にはできない。

 

 『花鈴さん』が亡くなったとの情報を得た僕は、後日彼女の実家に弔問に伺った。『彼女の喫茶店で良くして貰ったのだ』と。そんな話をすると、大変喜ばれた。

 嘘では……ない。僕は、たしかに喫茶店で『花鈴さん』に良くして貰ったのだから。ただ、僕の知っている『花鈴さん』と、相手の思っている『花鈴さん』は、実際には……別人だっただろうけど。

 僕は本物の『花鈴さん』には会ったことがないはずだ。しかしそれでも、言葉遊びを抜きにしても、僕の言葉が完全な嘘というわけではない。僕の知っている『魔女』は、演技をしていた。おそらく……の言動を、真似していた。


「ほんっと……良く書いてあるよなぁ……これ」


 花鈴さんが日々書いていたという、コーヒーの研究ノート。几帳面に書きこまれたそれを見れば、彼女の人柄を想像することが出来る。各種のコーヒー豆の種類とその特徴、実際に感じた香りと味、それぞれの適した淹れ方、試したブレンドの配合比率とその結果……等々。コーヒーにかける愛情と情熱、彼女のひたむきさ、真摯さ。時々書き込まれている軽いジョークに笑い、可愛いイラストに癒される。

 そのノートは、僕が彼女に会った頃まで書かれている。本物の『花鈴さん』が、とっくに亡くなっている筈の時期でさえ、ノートは書き続けられている。変わらない筆致で、真摯に、ノートの続きが綴られている。


『色々こだわってるからね!』


 明るく話す、彼女の言葉が思い出される。あの言葉も、きっと嘘では無かったのだろう。本物の『花鈴さん』の記憶を読み取った『魔女』は、その立場だけでなく言動まで……ある程度、引き継いで演じていたのではないだろうか。


「まあ……本当のところは、誰にもわからないけどね」


 どっちにしても、僕にとって『花鈴さん』とはあの『花鈴さん』でしかない。それが他の人から見た『花鈴さん』とどの程度一致するかなんてわからないし、わかっても仕方のないことだ。

 ……そう言えば。『花鈴さん』と檜来が幼馴染だったというのも、本当の事だったらしい。あるいは彼女の怪奇現象好きも……元の『花鈴さん』の趣味だったのかもしれない。


 話の流れで、僕はこんな話もした。『花鈴さんの店で働かないか、そんな話も出ていた』と。すると、彼女の両親に意外な提案をされた。


『それなら、あの店の店主をやってみないか?』


 ……と。

 願ってもない話だった。僕は即答でその提案を受け入れ、晴れて喫茶店の店主マスターになった。

 何でも、元々この店は資産上、花鈴さんの両親の持ち物だったらしい。実質的には花鈴さんが店を立ち上げた上に運営を全て行っていて、アルバイトもいなかった。彼女が亡くなった後は、完全に閉店状態だ。


『出来るなら花鈴の作りあげた店を、そのまま残してあげたい。元の店を知っている人に続けてもらえたい』


 彼らのそんな願いは、僕にも良く理解できた。それこそが、僕のやるべき事だと思った。

 学校も、すぐに辞めた。花鈴さんの両親には『卒業した後でも構わない』と言われたけど、僕自身が我慢できなかった。すぐにでも始めたい、そしてずっと……この店をやっていきたい。そう思った。


「いい店ですもんねぇ……ここ」


 ソファに身をもたれかけ、グッと上を見上げる。ゆっくりと回るシーリングファンが、心を落ち着けてくれる。


「あー……いくらでもこうしていられる」


 目を閉じ、流れるクラシックに耳を傾ける。穏やかで、ゆったりとした時間。この店の中では、きっと時間の流れがゆっくりになっている。そんな風に信じられる、僕の最高の……理想の喫茶店。このままいつまでも、ゆったりと――。


「…………いや、そうも言ってられないか」


 立ち上がり、開店準備の続きを始める。

 今でこそ多少落ち着いたけど、この一年は苦労の連続だった。当たり前と言えば当たり前だけど、何もかも初めての喫茶店業は、想像以上に大変だった。単にコーヒーや紅茶を淹れれば良いわけではない。接客に仕入れ、料理、準備に片付け、経理に経営。無我夢中で進み、なんとかこなした一年間。色んな人の助けも借りて、今は一応ひと通りこなせるようにはなったけど……。


「あとはコーヒーの腕とー……宣伝、かなー……?」


 贔屓目を抜きにしても、僕はこの花鈴さんの店が、最高の喫茶店だと確信している。

 だけど意外と、現実は厳しい。立地の問題か、知名度の問題か。それほど客足は伸びていない……というかぶっちゃけ、この店全然流行ってない!

 少しでもこの現状をどうにかしようと、最近では各種SNSにアカウントを開設し、宣伝を始めてみている。まだ目に見えるほどの成果は出ていないけど、じわじわとフォロワー数は伸びてきている。こういう地道な取り組みが、少しでも何かに繋がると良いんだけどなぁ……。


「……よっし、準備終わり!」


 今日も開店時間前には、きっちり準備が完了する。


『今日も開店準備完了! いつでもお待ちしております』


 ピロリン、とSNSに投稿も完了。今日も完璧! さあ、いつでも大丈夫ですよお客様!

 ……と言っても、この店に開店時間からお客様が来ることはほとんど無い。


「とりあえず……もう一杯、コーヒーでも淹れますか」


 いちいち落ち込んでいても仕方が無い。時間があるなら、時間がある時に出来ることをすれば良い。そう、まずはコーヒーの腕をもっと――。



 ――カラン、コロン。



「あのー、この喫茶店、もうやってますか……ですか? インスマを見て来たんですけど……」

「……! もっちろん! もちろんです、お客様!」


 完全に油断していた。突然の来客に、慌てて返答しながら振り返る。

 伸ばした髪が、サラリと揺れる。

 りん、と。耳元で、小さな鈴の音がする。


「うおっほん。すみません、それでは改めまして……」


 営業スマイルは必要ない。

 笑顔を浮かべて、小さなお客様を迎え入れる。



「――いらっしゃいませ、お客様!」



 心の底から溢れ出る――満面の笑顔で。

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