■ 5人目
①
「……ずっと、疑問に思っていました」
彼女は笑顔のまま、無言で言葉の続きを待っている。興味深そうに。あるいは――悪戯がバレた子供のように。
「どうして檜来さんは、あんなに異世界人のことに詳しいんだろうって。各種族の特徴、魔法のこと、勇者やその『加護』のこと。その中には、この世界では絶対に手に入れることの出来ない知識も、少なくありませんでした。だから、檜来さんの知識の源は……異世界人なんです。それ以外には、ありえない」
各種族の特徴にしても、魔法にしても、フィクションで語られる設定は作品毎に異なる。この世界の知識では、あの男のように確実な知識として語ることは出来ない。特に、勇者の『加護』の事なんて、この世界の知識にあるはずもない最たるものだ。
「最初は……昔、異世界人から聞いたのかと考えました。普通、異世界人は言葉が通じませんが、僕のように翻訳用の魔法をかけてもらう機会があれば、情報を仕入れることは不可能ではありません。かつて檜来さんにはそういう機会があった。その可能性も考えました。しかし、それだけでは説明のつかないことはまだまだあります」
彼がかつて、僕と同じように翻訳魔法をかけてもらったとして。そのかけてくれた異世界人や、他の異世界人から情報を聞き出すことは、確かに出来る。僕もあのままリラと過ごしていれば、異世界の知識をもっと得られただろうし……しかし、それはあまり意味のない仮定だ。そう考えるには、あまりにも不可解なことが多過ぎる。
「例えばあの、檜来さんの異世界人を嗅ぎ分ける特殊な『嗅覚』です。僕には感じることの出来ない、異世界人だけの『臭い』。それを檜来は感じると言い、距離が遠く離れていても感知することが出来ました。明らかに一般的な『嗅覚』ではない。あれは――魔法で与えられた『特殊な能力』です。そう考えると納得できました」
花鈴さんは相変わらず何も言わない。笑みを浮かべたまま、僕を興味深そうに見つめるだけだ。そこには、何の動揺も焦りもない。なぜならこの状況は――彼女にとっては、どうにでもなる状況だからだ。
それでも僕は言葉を続ける。どうしても、話さずにはいられなかった。
「……いつか、檜来さんは言っていました。魔法の中には『特殊な能力を与える術』もある、と。彼の能力も、その魔法によって与えられた物なのでしょう。だから、普通の嗅覚とは違う。ですがこれも、かつて檜来さんがその魔法を掛けてもらう機会があったとすれば説明できる範囲です。……ここまでは、ですが」
一度言葉を切り、息を整える。
そう。ここまでは檜来が異世界人と関わりがある、という前置きでしかない。本題はここからだ。踏み込みたくはない。考えたくもない。だけど……この話を避けるわけには、どうしてもいかなかった。
「檜来さんがおかしいのは、知識や能力の面だけではありません。むしろ、一番おかしいのは彼の『認識』の方です。異世界人をまるで人間として『認識』せず、異世界人の臭いを異常な悪臭と『認識』し、自身の異常な嗅覚には何の疑問も感じず、異世界人の知識を誰でも知っている当然の物として『認識』している。彼のそんな不思議な『認識』に触れるたび、僕は何度も戸惑いました。一体どうして、こんなにも認識の齟齬があるのだろう……と」
異世界人への認識だけならともかく、『勇者の事なんて誰でも知っている』なんて認識は明らかに常軌を逸している。こと異世界人周りのことに関しては、檜来の認識は尽く、根本的に捻じ曲がっている。何らかの要因で、意図的に――捻じ曲げられている。
「『魅了』という魔法があるそうですね。かけられた人間は自覚すらなく、術者の意のままに動く下僕になってしまう魔法が。人の認識を捻じ曲げ、操ってしまう……恐ろしい魔法が」
あの夜のことを思い返す。何度も、何度も何度も何度も。僕は、あの時のことを思い返さない時がない。
「……檜来さんは僕に言いました。『君も魅了にかけられていたんじゃないか?』と。彼に自覚があったのか、あるいは偶然そんな言葉になったのか。それは僕にはわかりません。だけどきっと、彼は魅了で操られていました。そして、異世界人に関するあらゆる認識を捻じ曲げられていた――」
そう考えれば、あの男に関するあらゆる疑問が氷解する。理解不能で不気味でしか無かった殺人鬼の、別の面が見えてくる。
「思い返してみれば。檜来さんが異世界人を追うのは、いつもあなたの連絡が来てからでした。そして、あなたの怪奇現象ニュースは必ず、異世界人に関係していました。偶然ではない。あなたは、それが異世界人に関連する事象であることを知っていたんだ。異世界人が現れたらそれを察知して、檜来さんに連絡して、そして――『魅了』で操っている彼に、殺させていた」
もし、そうだとしたら。
この異世界人殺しは、檜来を止めても終わらない。
彼女が操れるのが、檜来だけだとは思えない。彼女はきっと、他の人間を『魅了』で操り、殺人鬼に仕立てあげることも出来るだろう。だとしたら、止めなければいけないのは……檜来ではなく、彼女だ。
僕は真実を知らなければならない。檜来を殺してでも止めようとした人間として。そして――。
「違いますか、花鈴さん。それとも、こう呼んだ方が良いですか。――異世界の『魔女』、と」
――パチ、パチ、パチ、パチ、パチ。
乾いた拍手の音が、まばらに響いた。
「フフフッ。やっぱり面白いね、キミは」
椅子に座ったままの彼女は、朗らかに笑いながらそう言った。
そして、ゆっくりとカップを持ち上げ、中の紅茶を飲み干す。
「うーん、絶品。是非おかわりを……と言いたいところだけど、そんな気分じゃないかな?」
「……」
彼女の微笑みは、初めて見た時のそれと寸分も違わない。明るく、柔らかく、美しい微笑み。
それは、何が起きても問題ないと理解しているが故の――余裕の微笑み。
「ああ、そうそう。私が『魔女』か、って話だったよね? 答えはイエス。っていうか、キミの推測はほとんど……いや、全部かな。多分全部あたってるよ、うん。正解正解、大正解。すごいじゃん、びっくりしちゃった!」
ハハハ、と明るい笑い声を響かせて、彼女は心底楽しそうに語る。
彼女は何も気にしていない。僕に正体を見抜かれたことも、自分の所業を明らかにされたことも。そんな些細な出来事は、彼女にとって気にする必要すらないことだ。
「そっかそっかー。あれ、もしかしてバレバレだった? おっかしいなー、結構私も頑張ったんだけどね。良いお姉さんっぽい感じを目指してさ。こういう演技してみるのも、楽しいよね? 割と良い線いってると思ったんだけどなー……いやー、何がダメだったんだろう?」
「…………どうして、ですか」
震える身体を意思の力で抑えつけながら、どうにか声を絞り出す。おそらく、この質問に意味はない。彼女は包み隠さず答えてくれるだろう。だけど――。
「えっ、どうして……って? 何が?」
一瞬、ポカンとした表情を見せる彼女。だけど、すぐにまた笑顔に戻って言葉を続ける。
「あー、あー、あー、もしかしてあれ? どうして異世界人達を殺すのかー、ってやつ? それとも、どうして檜来にやらせてるのかー、って方かな? よく聞かれるんだよねー、そういうの。何でかは知らないけど。みんな不思議なことを気にするよね?」
カラカラと、彼女はずっと楽しそうに笑っている。いや、実際に彼女はずっと楽しいのだろう。檜来に屍を築かせている時も、その屍を解体させている時も。僕と一緒に、骨を埋めている時も。彼女はきっと、コーヒーを淹れながら楽しんでいたに違いない。
「じゃあまず最初の方ね。どうして私は異世界人を殺すのか? 答えは簡単。何となく目障りだから」
あっけらかんと、彼女は言う。
「私はさ、元々あっちの世界――あっ、今まで『異世界』って言ってたとこね――でも、結構楽しくやってたんだよね。『魔女』とか名乗ったり呼ばれたりしてさ、私を狙ってくる奴はいっぱいいて鬱陶しかったけど、誰も私までは辿り着けなかったし。好きなだけ殺したり、『魅了』で操ったり、操った奴に殺させたり。そんなことを沢山繰り返して、もっと凄いこともやって――で、気がついたら『この世界』にいた。偶にあるらしいんだよね、そういうの。何でそんな事が起きるかは知らないし、興味もないけどね」
弄ぶようにカップの縁を指でなぞりながら。彼女はどこまでも明るく、言葉を続ける。
「びっくりしたよ、いきなり知らない世界に飛ばされるなんて。普通は言葉も通じないけど、私は魔法を使えたからね。別に苦労はしなかった。その辺の人の記憶を読み取ったり、『魅了』したり、殺して成り代わったり。そんな感じで、とりあえず楽しく過ごしてた。そしたらさー、後から後から来るんだよねー……目障りな、同郷の奴らがさ」
はじめて、彼女の声に苛立ちが混じる。ピン、と指でカップを弾くと細かいヒビが網目状に広がり――やがて、音もなく粉々に砕ける。
「これでもさー、ここでは結構大人しくしてたんだよ、私。この世界の人間は、まだ何人かしか殺してないし。それなのに『魔女』を知ってるあっちの世界の奴らがいたら、面倒なことになるかもしれないじゃん? こっちだと眷属――ああ、『魅了』で手駒にした奴のことね――を作るにも弱っちい人間しかいないし。大体、私だけ魔法使えて超気持ちいい! ってところだったんだから、邪魔しないで欲しいって話よ。まあ、そんなこんなで――」
一度言葉を切り。彼女は満面の笑みを浮かべて、言った。
「片っ端から殺すことにしたの。私以外の異世界人は、全員ね」
「……っ!」
美しく、底冷えのするような笑顔だった。
彼女の言葉を……僕は、何ひとつ理解できなかった。
「あともうひとつの方は……ああ、なんで檜来に殺させてるのかって話か。これも簡単で、自分でいちいちやるのは面倒臭いから。自分で魔法使った方が、早いっちゃ早いんだけどね。それで試しにあの人間を眷属にしてみたら、これが意外と優秀でさー。弱っちい人間の割には、頑張って異世界人を殺してくれてたんだよね。でもまあ……あそこまでボロボロになっちゃうと、流石にもう死ぬだろうなー。次の駒を探さないとね。あっ、キミも眷属にしてあげようか? 身体は弱そうだけど、キミ、結構面白いとこあるし。もしかしたら、何人か殺せちゃうかも! ハハハハ!」
彼女の高い笑い声が、耳に障る。
何が面白いのか……僕は、ひとつも理解できなかった。
「……わかり、ました」
「えっ? 眷属になる? まあ、キミの同意を得る必要は特にないんだけど――」
「違います。あなたのことは理解できない。わからないと言うことが……今、はっきりとわかりました」
そう、始めから意味のない質問だった。彼女の考えを、理解できるはずがない。理解出来たところで、どうなるわけでもない。
なぜリラが殺されなければいけなかったのか。そんな疑問に、答えがあるはずもない。だって、彼女が殺される必要なんてどこにも――あるわけがないのだから。
「なーんだ。キミもそういうこと言うんだね。で、それがわかったところで何なの?」
「……異世界人を殺すのを、止める気はないんですか」
「えー、ないない。止める理由、ある? もちろん殺すよ。これまでも、これからも、目障りな奴らは、みーんな殺すよっ! ハハハ!」
「……そうですか」
わかっていたことだ。こうなることは、はじめから分かっていた。
だから、もう……覚悟は出来てる。
「なら、僕があなたを止めます。あなたを――殺してでも」
「……はぁ?」
怪訝な表情で、無防備にこちらに顔を向ける彼女。
絶対強者故の、油断。何の警戒もしていない、目を開き、口を半開きにしている、その顔。
――ここだ。
素早くカバンから手を引き抜き。一瞬で顔に狙いをつけ、発射ボタンを押し込む。
超強力催涙スプレー――熊よけスプレーの発射ボタンを。
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