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「一酸化炭素中毒です」
リラとの偶然の出会い。
そして、檜来との最悪の出会い。
二つの出会いから始まった、悪夢のような出来事の連続。
この数日間について手短に語り終えた僕は、続いて『勇者の殺し方』を説明し始める。
「檜来は言っていました。勇者の『加護』は万能では無い、と。あの『加護』はどんな外傷も防げるけど――それはただ、防ぐだけだ、と」
喫茶店に着く前、車の中で聞いた檜来の言葉を思い出しながら僕は言葉を紡ぐ。
そう、彼は言っていた。たとえ銃弾や爆発を防げる『加護』があろうとも、如何なる手段を用いても傷つけられない相手であろうとも……殺す手段は確かに存在する、と。
「何かを殺すためには、必ずしも対象を直接傷つける必要はありません。何かを与えない、何かを奪う、何かをさせない。そういった間接的な手段によっても、殺害は可能なんです」
人は、生物は。傷つかなければ、それだけで生きていけるわけではない。食事をし、睡眠を取り、呼吸をしなければ生きていけない。だから、それらの活動を妨げれば――それだけで、相手を殺すことは出来るのだ、と。
「爆発の直前。あの青年――勇者は、臭いを嗅いでいました。ガソリンの揮発臭を感じて、気にしているような素振りを見せた。つまり、呼吸をし、臭いの元を体内に取り込んでいた――」
臭いを嗅ぐという行為は、微量の異物を体内に取り込むことを意味する。鼻の奥に入った微量の異物を感覚器が検知することで、臭いを感じているからだ。『加護』持ちの勇者と言えども、呼吸をしなければ生きていけず、それに伴い異物を体内に吸収している可能性すらある。それだけわかれば、問題なく奴を殺せる――そう、男は言った。
「簡単な話だ、と言っていました。要するに、勇者を酸欠にすればいいだけだ、と」
一酸化炭素で満たされた空間に勇者を誘い出し、しばらくその場に留める。殺害に必要な条件はそれだけだ。一酸化炭素は無味無臭で、存在に気付くことは容易ではない。勇者の『加護』をすり抜けて取り込んでくれれば、一酸化炭素中毒によって短時間で死に至る。仮に一酸化炭素が取り込まれなくても、空間内の酸素濃度は低いから、遅かれ早かれ酸欠で死ぬことになる。
「勇者は檜来さんの気配を追って来るから、罠のある部屋に誘導するのは難しくない、と。物音を立てる仕組みを施し、練炭を不完全燃焼させておいた部屋に誘い込み、勇者を部屋に留めるための餌を置いておく。それだけで、奴を殺せる――と」
加えて言うならば。酸欠に伴って起こる諸症状――めまい、頭痛、息切れ、吐き気、呼吸不全など――から意識を逸らす必要もある。『あの餌ならば、腐っても勇者の意識を逸らすには十分なブツのはずだ』そんな風に、檜来は語っていた。その餌とやらが何なのか、そこまでは僕も知らない。だけど檜来は、作戦が成功することをまるで疑っていないようだった。
「――以上が、僕の知っている全てです」
チラと目を向け、運転している花鈴さんの方を見る。僕が話している間、花鈴さんはほとんど口を挟んで来なかった。たまに相槌をうつ以外、黙々と、危なげなく運転を続けていた彼女。
「……ふーん。なるほど、ね」
その彼女は――ごく普通の調子でそう言った。
「そんな殺し方があったんだ。さすがだね、檜来は」
そんな風に、明るい声を出す彼女。少し嬉しそうにすら聞こえる、その声。
「……あまり驚かないんですね。こんな話を聞いても」
――違う。
今、僕が語った話は。そんな普通に聞ける話では……断じて、無い。
「えっ? いやいや。私もそりゃ、かなり驚いてるよ? 異世界人って本当にいたんだー、とか。檜来、いっぱい殺してるんだー、とか、ね」
「そうは……」
見えない。彼女の様子は、ごく普通で。その表情は、微笑みすら浮かべていて。
……ズレている。何かが、いや、何もかもが。決定的に、ズレている。
「あー、アレじゃない? 驚き過ぎて逆に冷静、みたいな。そんなことより、あそこに見える家かな?」
「……はい、そうです。あそこが、僕の家です」
違和感は解消されないまま、会話は打ち切られ。
程なく、僕たちは
「どうぞ、お上がりください」
玄関の扉を開け、彼女を先に家の中へと迎え入れる。目の前を通る彼女から、香水の匂いが微かに漂う。
「おじゃましまーすっ! ……ってあれ、お母さんは?」
「すみません、いま母は二階で眠っているので。また後でお目にかけますので、気にせず奥に入っちゃって下さい」
「あっ、そう? ありがとう。じゃあ、お言葉に甘えまして」
軽い足取りで廊下の奥へと歩く彼女を見送りながら、玄関の扉を閉める。
いつも通りに、鍵を掛けようとして――。
「……」
直前で、その手を止める。
バッグを肩に掛け直しながら、小走りで彼女に追いつく。
「花鈴さん、リビングはこっちです。そこの椅子に座ってて下さい。お茶でも入れますので」
「お気遣いなく。ごめんねー、色々お世話になっちゃって」
「いえ、この前のお礼もありますから」
笑顔で花鈴さんに答え、仕切りの向こうのキッチンに入る。
「たしか、この辺に……」
お湯を沸かし、小声で呟きながら棚を探す。
「……あった」
除菌用の高濃度アルコール消毒液。そして、アレ。それらを、肩にかけたままのバッグの中にそっと忍び込ませる。
……大丈夫だ。もうひとつのスプレーも、ちゃんと入っている。
ピーっとヤカンが鳴り、お湯が沸騰したことを知らせる。火を止め、茶葉を入れたポットにお湯を注ぐ。
ポットの中を舞う茶葉の動きを見つめる。ほのかに漂う紅茶の香り。
目を、一度きつく閉じ。そしてまた……そっと見開く。
――時間だ。
「お待たせしました、花鈴さん。お口に合うといいんですけど……」
トレーにのせた紅茶を注いだカップ。それを運び、テーブルの上に並べる。
「おっ、紅茶? ありがとー。私、紅茶も大好きだよ。どっちかというと、専門はコーヒーだけどねー」
にこやかにカップに口をつける花鈴さんを、ぼんやりと眺める。
やっぱり……綺麗な人だな。素直にそう思った。ブラウンの瞳が美しかった。サラリと揺れる濡羽色の髪が美しかった。耳元で揺れる小さな鈴が美しかった。明るく、よく通る声が美しかった。
だから。
だから僕は……泣きたくなった。
「んー、おいっしい! 香りも良いし、淹れ具合もバッチリ! すごいよキミっ、完全にプロ級じゃん! やっぱりさ、私の店で働こうよ。コーヒーは私で、紅茶はキミが淹れてさー!」
「……そうですね。そう出来たら……良かったですね」
それは、どんなに素敵な想像だろう。
あの綺麗で、落ち着いた店で。
花鈴さんの美味しいコーヒーが、お客さんを喜ばせる。
僕が淹れた紅茶も、誰かを笑顔にできるかもしれない。
にこやかな花鈴さんの横で、僕もきっと笑顔になっている。髪を伸ばして、お揃いの鈴のピアスをして、一緒に笑い合っている。
……それは、どんなに素敵な想像だろう。
「……でも、それは出来ません」
「えー、なんでー? っていうか、ずっと立ってどうしたの? キミも座りなよ?」
僕の淹れた紅茶を飲みながら、彼女は無邪気に笑っている。
そう、彼女はずっとそうだった。初めて出会った時も、そして今も。彼女からは、何ら後ろ暗い所を感じなかった。
僕は今、彼女のその笑顔が――何よりも恐ろしかった。
「……随分落ち着いているんですね。花鈴さん」
出来るだけ平静に、自然に聞こえるように声を絞り出す。意識してそうしないと、声も身体も何もかもが震えて、ダメになってしまう気がした。恐怖と絶望が僕を縛り付けて……何も、出来なくなってしまう気がした。
「檜来さんの身体は、見るからに傷だらけでした。すぐに病院に行っても大丈夫かわからない、重傷と言って良いレベルでした。そのことは、檜来さんが『勇者』を思惑通りに殺したとしても、何ら変わりありません。心配とか――しないんですか」
彼女の大きな瞳が、僕に向けられる。その口元は、にこやかな笑みを崩していない。
「心配してないように見えた? 私だって、内心ではすっごい不安だよ。でもね、キミに心配かけないように――」
「檜来さんの下の名前、何でしたっけ?」
花鈴さんの言葉に被せるように、唐突に質問を投げかける。
何でもない質問だ。本当に幼馴染なら問題なく答えられる、何気ない問いかけ。
「……なんだっけ?」
焦るでなく。戸惑うでもなく。誤魔化すでもなく。
首を傾けて。小さな鈴の音を鳴らして。
彼女は――普通にそう答えた。
浮かべた笑顔を崩すことなく、ただ一言、そう答えた。
「…………っ!」
決定的だった。
いや……それ以前から、わかっていた事だ。
車に乗り、僕が話し始める頃には、彼女は明らかに震えていた。今思えば、あれは勇者に対する恐怖のためだったのだろう。無敵の『加護』を持ち、彼女に敵対するもの。彼女にとっても、勇者はたしかに脅威だったのだろう。
しかし勇者の殺害方法を説明した後、花鈴さんは目に見えて落ち着いていた。脅威たる勇者は、簡単に殺せる。檜来がきっと上手く殺す。そう認識したからこその、この落ち着きっぷり。そして、彼女にとって……檜来の生死は、さしたる問題ではない。
「檜来さんの幼馴染って言ってたの……あれ、嘘ですよね。あなたが何なのか。僕はもう、わかっているつもりです」
ここに檜来はいない。いま生きているかも、わからない。いや、そもそも彼がいてもどうにもならないかもしれない。
全身に緊張が走る。冷や汗が背筋を流れ落ちる。見えないようにそっと、抱えたバッグに片手を入れる。
息を大きく吸い。
絞り出すように、その言葉を口にする。
「あなたが――魔女だったんですね」
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