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 かなりのスピードで爆走を続けてきた、檜来の車。それがやっと、花鈴さんの喫茶店の前で停車する。

 と、ほとんど同時に店のドアが開き、中から花鈴さんが飛び出してくる。


「おっ、来た来た。なにさー、もう。いきなり電話ブッチ切ってくれちゃってさー……ってなに!? どうしたの、車ボロボロじゃない!?」


 明るく話しながら車に近づいて来る花鈴さん。だけどすぐに、異常に気がつく。


「ちょちょちょっ、後ろ窓割れてるし! ……って、檜来ぃっ!? あんた何それっ、ひっどい怪我じゃないっ!」


 運転席を覗き込んだ花鈴さんは、ほとんど悲鳴のような声をあげる。

 驚くのも無理はない。檜来の重傷具合は、もう誰の目にも明らかだ。シャツは自身の血で赤黒く染まり、顔色は死人のそれに近い。ぜえぜえと息苦しそうな、荒い呼吸。まだ意識を保っているのが、不思議なくらいだ。


「いったい何があったの!? まさかまた、異世界人がどうとか言わないよね!?」

「……詳しく説明している時間はない。奴は俺の気配を辿ってくるはずだ。俺が立ち寄ってしまった以上、喫茶店ここももう安全地帯とは言い難い。一刻も早く、どこか遠くへ逃げた方が良い」


 荒い呼吸に反して、檜来の言葉は整然と迷いが無い。目の前で生死の境を彷徨っている人間の

言葉とは、とても思えない。


「そういうわけだ。葵、ここで降りろ。あとは花鈴の車に乗せてもらえ」

「……本当に、大丈夫なんですか」


 言いながら、思う。聞くまでもなく、大丈夫なわけがない。見ればわかる。わかりきっている。こんな身体で。あんな、爆炎をものともしないような相手に。……大丈夫なわけが、どこにあるものか。


「大丈夫だ」


 しかし。

 檜来は平然と、そう言い放った。


「奴の『加護』は一見だが、ではない。弱点はある。それはもう、確認できた。奴は獲物を追い詰めて、狩りを楽しんでいるつもりかもしれない。だが、逆も言える。こっちは好きなように奴を待ち構えて、罠に掛けることが出来る……とも」


 話しながら、檜来は目を薄める。眩しいからか。或いはもう、目を開けていることすらしんどいのかもしれない。それほどまでに、檜来は消耗している。

 しかし、檜来の言葉が揺らぐ事はない。


「大丈夫だ。無敵だろうとも、『加護』持ちだろうとも。そんな事は関係ない。俺は、奴を殺す。勇者だろうと、誰だろうと、これからも俺は――」


 気のせい、だろうか。僕はその時、檜来の暗い目の中に、何かが見えた気がした。


「――異世界人は全員殺す」


 その目の中にチラリと光が映るのを、見た気がした。


「そう……ですか。わかりました」


 完全に納得したわけではない。納得出来るわけもない。言いたいことはまだ沢山あった。しかしそれは、言葉にしても仕方のないことだ。喉を出かかったそれを、僕は無理矢理飲み下した。万の言葉を尽くしたところで、僕と檜来が交わることはないだろう。それはどうにもならないことだし……別に、それで構わないと思った。

 それに、今はじっくり語り合っている場合ではない。


「花鈴さん」

「えっ、あっ、何? あの、ごめん。ぜんぜん話についていけてないんだけど……」

「とりあえず、僕の家に向かいましょう。檜来さんの言うことが正しければ、ここは危険です」


 正しければ、などと言ったが、今や僕は檜来の言葉を全く疑っていなかった。実際、あの青年がここに現れたらひとたまりもない。僕に出来ることは、何もない。あの見境なく殺戮を繰り返す青年に、為す術も無く、ついでのように殺されて……それで終わりだ。それは、あまりにも無謀すぎる。

 彼が現れる前に、ここから逃げる。それが今、僕に取れる唯一の選択肢だ。


「えーっと、よくわかんないけどわかった。とりあえず……逃げれば良い、ってことだね?」

「そうです。檜来さん、聞こえましたか。僕たちは、僕の家にいます」

「ああ、よく聞こえてる」


 無愛想にそう返す檜来を、じっと見つめる。


「…………待って、ますから」


 しばしの間、視線が交わった。


「……そうか」


 交わした言葉は、それだけだった。だけど、僕にはそれで十分だった。

 檜来もそう判断したのだろう。手早く車を発進させ、あっという間にスピードを上げる。

 見る見る内に遠ざかる車は、ものの数秒で視認できない距離まで走り去った。


「行っちゃいましたね」

「……えっ、それだけ? ……っていうか、私には一言も無し!?」


 いつまでも名残惜しそうに眺めてみても、仕方がない。車はもう、影も形も見えない。

 ギュッと、一度。強く瞼を閉じ、頬を叩く。


「えっ、本当にどうなってるの!? えっ……えぇー……?」

「僕たちも行きましょう、花鈴さん」


 まだ混乱している花鈴さんに声をかけ、少しだけ後ろを振り向く。

 爆発のあった辺りに目を向ければ、まだ煙が立ち昇っているのが見える。


「どうか――」


 小声で呟いた、祈りのようなもの。

 その続きは、酷く曖昧で。

 ……結局、最後まで言葉にはならなかった。




 † † †




「……うん。うん、そう。今、帰ってる。……そうそう。うん、知り合いの人も連れていくから。えっ!? 違うって……うん、そう。だからそれは、圏外だったからで……、あっそこ右です」

「はーい、おっけー」


 運転する花鈴さんに道を教えながら、電話に話し続ける。

 幸い、花鈴さんの喫茶店は僕の家からそう遠くない。この辺の道は見覚えがあるから、地図を見なくても問題なく道案内できそうだった。


「うん……うん、大丈夫。うん。じゃあ、また後で。……すみません、いま連絡終わりました」


 スマホを切り、花鈴さんに声をかける。


「どうだった? 急に家に押しかけちゃって、お母さん大丈夫かな?」

「はい、大丈夫です。うちの母は、その手の文句とか言わないので」

「そう? 良かったー、優しそうなお母さんで」

「……そうですね。優しくて、綺麗で。僕の、自慢の母です。あっ、次の角を左です」

「りょーかいっ!」


 そんな風に会話をしながら、順調に車は進んでいく。道中の光景は平穏そのもので、つい先刻まで目の前で繰り広げられていた、地獄の底のような光景とはまるで対照的だった。ともすると、この数日の出来事全てがただの悪夢だったんじゃないかとすら、思いたくなる。


「……ねえ、そろそろいいかな」


 それまでの明るい声から、一転。低いトーンで花鈴さんが言った。


「私はそりゃ……バカだけどさ。でも今、なにか普通じゃないことが起こってる。そのくらいのことは、流石にわかるよ。あんなにボロボロになってる檜来なんて……今まで、見たことがない」


 押し殺すようなその声は、今まで聞いたことのない響きを伴っていた。よく見れば、彼女の肩は細かく震えている。


「私はさ、怪奇現象とか、怪事件とか、未確認生物とか……とにかくそういう、理屈で割り切れないものが昔から好きだった。檜来はずっとあんな調子でさ、何言っても愛想なんてなくて、聞いてるか聞いてないかもわからないような奴だった。だけど……いつからか、私のそういう話だけはちゃんと聞いてくれるようになった。……ううん、何となくわかってた。そうなったのは、あいつの両親が誰かに――殺された頃、からだったと思う」

「……」


 檜来は言っていた。檜来の両親は、異世界人に殺された、と。復讐ではない、と言ってはいたけど。やはり……手がかりをどこかに、求めていたのだろうか。


「でも、あいつが言う『異世界人』ってのはよくわからなかった。時々その言葉を呟いて、ふいっとどこかに行ってしまう。そんなことがよくあった。本当は……ずっと、悪い予感がしてた。いつか、何か酷いことが起きるんじゃないか、って。こんな日が……いつか来るんじゃないか、って。だけど、そんな予感は見ないふりをしてた。私はただ、あいつに話を聞いてもらいたいだけで、それで、怪奇現象とかをいつも探して……」

「……花鈴、さん」


 かける言葉が、見つからない。彼女の気持ちは、僕の想像が及ぶ範疇には……ない。


「……それが、いけなかったんだね。私が目を逸らしていたから、あいつは……あんな事に、なっているんでしょ? ……ねえ、教えて。私が見てこなかったものは、何なの? 一体いま、何が起きているの? あいつは……どうなるの?」


 震える声が、僕に投げかけられる。その真っ直ぐな言葉を受け流すことは、僕にはできなかった。


「…………わかりました」


 こんな時、何をどう言えばいいのか、僕にはわからなかった。彼女は聞いたことを後悔するかもしれない。言わないほうがいいことも、あるかもしれない。だけど僕は……ただ、ありのままを話そうと思った。


「僕が知っていることを――全て、お話しします」


 

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