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「………収ま……った?」


 車の中で伏せていた僕は、恐る恐る顔を上げる。

 物凄い衝撃と爆発音だった。この車も、リアガラスは割れてしまっている。いつもの後部座席ではなく、助手席に座っていて助かった。


 その時、隣でバタン、と扉が閉まる音がした。


「すぐに出るぞ」

「無事だったんですか!?」


 何食わぬ顔で運転席に乗り込んできた檜来に驚く。あれだけの大爆発の中、近くにいたはずの檜来が生き残っていたとは。


「俺のことはどうでもいい、問題は奴の方……ッ!」


 シートベルトを締める動作の途中、檜来が呻き声を発する。


「どうしたんで――」


 問いかけようとした、その瞬間。檜来の身体が視界に入り、絶句する。

 言葉を無くすくらい、酷い状態だった。身体のあちこちに裂傷が生じ、血が流れ出している。右腿には大きなフレームの破片が突き刺さったまま。顔を庇ったのだろう、腕はケロイド状の酷い火傷が生じている。

 考えてみれば、当たり前の話だ。あの爆発の間近にいて、無事でいられるはずがない。


「いいから後ろを見てろっ。出すぞ!」


 言葉とともに、再び車は走り出す。

 その車内で、僕は見た。檜来の言葉に従って振り向いた、車の後方。

 爆炎の中、が立ち上がる光景を。

 傷ひとつない青年が、身に纏わりつく炎すら意に介さない光景を。

 どこを痛めた様子もなく、普通に歩き出す光景を。


「なっ……!」


 ――何だ、は。


 おかしい。ありえない。あの青年は、たしかに爆心地にいたはずだ。檜来より遥かに強く、爆発のダメージを負ったはずだ。なのに……なのに、まるで無傷? そんなことが、あるはずがない。あの爆心地で無傷な存在なんて、物理的にありえない。


「む、無傷です。もう普通に――歩いてます!」

「……ああ、だろうな。やはりこれでも、時間稼ぎにしかならないか」


 檜来の声は平静そのものだ。肺も痛めたのか、少し声を出し辛そうにはしているが、この展開はとでも言いたげだ。

 しかし僕は、到底目の前の光景を受け入れられない。速度を上げた車は、どんどん青年と距離を開いていく。だというのに、身体の震えが止まらない。は、ことわりを超えた存在だ。容赦なく殺戮を繰り広げる――最悪の、超常的存在。


「な、何なんですかっ、あの人は!? あれも、異世界人なんですか!?」

「当然、奴は異世界人で――だ。見ればわかるだろ」


 当たり前のように、檜来は話し出す。わからない方がおかしい、とでも言うかのように。


「勇者は特別な『』を得る。あらゆる攻撃から身を守る、絶対無敵の加護。どんな武器であろうと、どんな物質であろうと、どんな魔法であろうと、勇者に傷ひとつ付けることは出来ない。故に無敵。無敵の勇者――それが奴だ」

「ゆ、勇者、って……」


 突然出てきた言葉に驚く。何だそれは。異世界には、そんな者までいるのか?


「何を驚いている。こんな事は、誰でも知ってるだろ。物心ついたばかりの幼児でも知っている」

「いや、そんなことは……」


 ない。知っているはずがない。そもそも異世界人だって、他の人は誰も知らないのに。かと言って、檜来が冗談を言っている雰囲気はない。知らない方がおかしい、終始そんな態度を崩さない。何なんだ、この致命的な齟齬は。こと異世界人の知識に関して、いつも生じるこの違和感は――。


「ま、待ってください。勇者っていうのはその……もっとこう、正義のために働くような人じゃないんですか? あんな簡単に、人を斬り殺すなんて……」


 先程の惨状を思い出して、気分が悪くなる。どれだけの屍を、あの青年は築いているのか。これから先……どれだけの人間を殺めれば、彼は止まるのか。


「錯乱はしているようだ。明らかに見境がなくなっている。だが、奴は間違いなく勇者だ。そうでなければ、あの爆発を生き延びれるはずがない。……奴は追って来ていないか?」

「……はい、全く姿が見えません」


 檜来の言葉に、ひとつ頷く。僕はずっと車の後方を見張っていた。立ち上がり、始めはゆっくり歩き出していたあの男は、もうとっくに視界の彼方に消えている。それ以来、追って来ているものは何も見当たらなかった。


「そうか。俺の気配は覚えたはずだ。逃す心配はないから、ゆっくり追うことにした……といったところだろう」

「……気配、ですか?」


 そういえば、あの男は言っていた。魔女の気配がどうの、とか。魔女の眷属がどうの、とか。

 ……それに。魔女という言葉を使ったのは、あの青年だけではない。たしか……。


「何ですか、それ? ……それに、魔女って何のことでしょう?」

「……さあな。とにかく、奴は俺の居場所を追って来れる。今はそれだけわかっていれば――ゲフッ、ゲホッ」


 話しながら、激しく咳き込む檜来。口を抑えた手のひらには――ベットリと、血が吐き出されている。


「檜来さん、肺が……!?」


 大量の喀血。肺が著しく傷つけられている証拠だ。損傷は、表から見える部分だけじゃない。檜来の身体は、内臓まで酷く傷つけられている。一刻も早く手当をしないと、生死に関わる程の重症じゃないか……!?


「す、すぐに病院に向かって下さい! 早く治療を――」


 ――いや。何を言っているんだ、僕は。

 ついさっきまで、僕はこの男を殺そうとしていたじゃないか。それなのに、今度は命の心配をしている? 矛盾している。全くもって、おかしな話だ。おかしな話だ、けど……それは、掛け値なしの僕の本心だった。


「よせ、無駄だ。言っただろ。奴は俺の気配を追ってくる。今から病院に向かったところで、治療する暇も無く殺されるだけだ」

「でも――!」


 なぜだろう、と思う。なぜ僕は、こんなにもこの男を死なせたくないのだろう。あの恐ろしい青年を、止めて欲しいからか。あの人智を超越した青年を、この男なら殺せると思うからだろうか。……いや、それもきっと違う。僕の気持ちはそんな、綺麗な打算じゃない。これはもっと原始的で、バカみたいな……単純な、だ。


「無策で奴は殺せない。俺はこのまま、奴を引きつける。俺の家に誘い込み、そこで奴を迎え撃つ。その間……あおい、お前は花鈴かりんと一緒に逃げろ」

「なっ……!」


 これまで散々僕を連れ回していたのに、どういう風の吹き回しだろう。こんな状況で、あんな奴相手に……ひとりでなんとか出来るつもりなのだろうか?

 いや、無茶だ。檜来の身体はもう、満身創痍だ。まともに動くことすらままならない。その、はずなのに……!


「……たったひとりで、どうするつもりなんですか。そんな身体で……一体、何が出来るって言うんですか!?」

「大声を出すな。身体に響く。奴の相手をするには、ひとりの方が都合がいい。他の人間がいても、足手まといだ」


 声を出すのすら億劫そうに、檜来が言う。ゲホゲホと咳き込む度に血を吐き、常にゼエゼエと息を切らしている。顔色は蒼白を通り越して土気色に近い。その顔には、今やはっきりと死相が浮かんでいる。


「それに、葵にとっても、俺は死んだ方が都合が良いはずだ。それとも君は……自分が殺そうとした相手の身を、本気で心配しているのか?」

「……っ!」


 やはり、バレていた。僕が殺そうとしていたことを、檜来はやっぱり気づいていたんだ。

 ……でも、そんなことはもうどうでもいい。


「――いけませんか」

「……は?」

「いけませんか。僕が檜来さんの心配をしちゃ、いけませんか。僕は……僕はただ、怖いんです。きっと、目の前で人が死ぬのが、怖いだけなんです」


 リラの死に際の光景が、目に焼き付いている。あの縋り付くような碧い目が、ずっと忘れられない。もうあんな光景は、二度とごめんだ。そう、願っていたのに。――髭男が、獣人が、警察官たちが。何人もの人間が、僕の目の前で死んでいった。 


「だから、あなたが誰かを殺そうとしていれば、僕は止めようとします。あなたが誰かに殺されかけていたら、それだって止めます。あなたを殺して、あなたが死ぬ光景を見るのだって……僕は怖い。だけど、だけどそれで、それ以上誰も死なないっていうなら……僕は、あなたを殺す! だけど、目の前であなたが死にそうになっていたら、僕はあなたを心配します! それが――いけませんか!?」


 一息で、支離滅裂な言葉を並べ立てる。……まったく、我ながらひどい開き直りだ。殺そうとして、それを指摘されて、それで――自分の感情を、我儘を叫んでいるだけだ。言い訳ですらない。こんなことを言って、どうするつもりなんだ、僕は。こんなことを言われて、この男は――どう思うのだろうか。


「……いけませんか、とはな。っ、何を言うかと思えば……」


 返ってくる声は、至って平坦だった。

 ゲホゲホと息苦しそうに咳き込んで、それでも檜来は続ける。

 

「……覚えているか。いつか、俺は言ったな。君は『魅了』にかけられていた可能性がある――と」

「……はい」


 忘れるはずがない。答えの出ない、檜来の問いかけ。片時も、僕の頭を離れない問いかけ。


「例えば、だ。君のその気持ちが『魅了』で植え付けられた感情に過ぎないとしたら。死にたくないと願った彼女が残した感情の、残響でしかないとしたら。それでも……君は、そう言えるのか?」

「僕、は――」


 答えは出ない。だけど僕は、彼女の笑顔を忘れない。


「僕は、彼女がそんな事をしなかったと信じています。だけど、仮に僕が『魅了』にかけられたとしても。……それはもう、関係ありません」

「……関係、ない?」


 答えは出ない。だけど僕は、彼女に魅入られた時のあの気持ちを――ずっと、忘れないだろう。


「はい。始まりが魔法かどうかなんて、関係ないんです。僕のこの恐怖も、彼女に魅かれた感情も…………もう全部、僕の感情ものですから」

「……そうか」


 そういうものか、と。そう呟く声がして。


 ――檜来の頬が、ヒクリと動いた気がした。

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