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 ――――ピロピロピロピロピロピロピロピロ。


 いきなりトップスピードで爆走を始めた車の中を、着信音が響き渡る。


「出てくれ」

「えっ、あっ、わっ」


 檜来から無造作に放り投げられたスマホを、何とかキャッチする。


「あーーーーっ、やっと繋がった!」

「も、もしもしっ!」

「じゃじゃじゃーん! 今日の怪奇現象ニューーーーーーース! ……ってあれ? その声は昨日の子?」


 スピーカーから響いてきたのは、花鈴さんの明るい声だ。


「あの、檜来さんは今運転中で」

「そっかそっか、そういうこと! あっ、でも隣で聞いてるでしょ? じゃあ続けちゃうけど、今回は怪奇現象というか怪事件! 警察官が殺されちゃったんだって! っでその殺した人っていうのがねー」

「えっ? その話ならっぁぁああああっ!?」


 話している途中、急ハンドルで車が進路を変える。傾く車内、身体が押しつけられ、声が漏れる。キキキーッ、と激しいブレーキ音と共に車が止まる。


「いってて、何が……」


 困惑とともに顔をあげる。


「……間に合わなかったか」


 隣から聞こえる檜来の呟き。車の前方、道の真ん中に突っ立っている人影が見える。


「なんと! 長い剣を持った怪しい男なんだって! っでね、他の特徴は」

「それ以上の情報は必要ない。その男なら今――」


 ブオンと、空ぶかしをさせ。檜来はひったくるように僕からスマホを取り返し、電話を切ると。


「――目の前にいる」


 再び全速力で車を走らせ始めた。

 目の前に立っている人影に向かって、全速力で。


「檜来さんっ、前、前! 轢いちゃいますよ!」

「はじめから――」


 ブオオオオと響くエンジン音。ぐんぐんと上がるスピードメーター。

 人影が目前に迫る。距離が近くなるごとに、鮮明に見えてくる青年らしき人物。良く見ればその手には、何か長い物が――――長剣?


「そのつもりだ」


 背中を向けていた青年が振り返る。その口が、僅かに動く。


「…………あんっ?」




 ――ドガゴッ。




 人影が撥ね上げられる。強い衝撃が走る。車が大きく揺れる。重く、鈍い音が響く。

 車はそのまましばらく進み、人影を轢いた地点からかなり距離をとって、ようやく止まる。


「……轢き、殺したんですか」


 一瞬だけだけど、たしかに見えた。さっきの人影は、長剣らしき物を持っていた。彼が例の警察官殺しの犯人で、異世界人……だったのだろうか。


「これで死ぬような相手なら、良かったんだがな」


 檜来は窓を開け、身を乗り出して後ろ――撥ねた相手の方向を見ている。それに倣って後方を覗いた僕は、信じがたい光景を目撃する。


「……あ゛ー」


 青年は、地面に転がっていた。たしかに車に撥ねられ、轢き飛ばされていた。しかし、奇妙なことに……彼の周囲には、一滴の血痕も見当たらなかった。


「驚いた。こんな速い物があるんだな。馬車の親戚か?」


 むくり、と。何事もなかったかのように立ち上がる青年。パンパンと埃を払うその身体には、やはり傷ひとつ見当たらない。

 ……ありえない。あれだけのスピードで車に轢かれて、何故立ち上がれる。ましてや傷ひとつ存在しないなんて、そんなはずが……!


「で。お前ら……なに?」


 青年が、顔をこちらに向けた。


「……っ!」


 一目で、直感的に理解する。この青年ひとはもう、とっくに……

 真っ白な、振り乱した髪。充血した目。開いた瞳孔。目の下に貼りついたクマ。緩んだ口元。

 そのどれもが、を大きく外れていた。取り返しのつかないところまで、何かが振り切ってしまった者の顔だった。


「あ゛ー、別に答えなくていい。……ククッ、大当たりだ。本体じゃないみたいだが……するなぁ確かに、の気配がよぉ……!」


 ニヤニヤと、何事かを呟く青年。その手にある長い剣を振りあげ、こちらに踏み出そうと――。


「そこの容疑者、止まりなさい! その剣を置いて、両手をあげなさい!」


 スピーカーから聞こえる、鋭い警告。

 ウーウーとけたたましいサイレン音とともに、数台のパトカーが青年を取り囲むように殺到する。


「あ゛ん? お仲間か?」


 周囲を見渡す青年。しかし、その剣を降ろす気配はない。いや、そもそも言葉を理解して――。


「今すぐ武装を解除しなさい! 抵抗は無意味だ! あなたには警察官殺害の容疑が――」


 スピーカーから聞こえるのは、さっきの刑事――柳さんの声だ。

 正当な警告。しかしそれが意味を持つのは、相手が正気で、正常に意思疎通できる場合だけであり――。


「あ゛ー、別に何でもいいか。邪魔する奴は、何であろうと――」


 そのどれもが、その青年には当てはまらなかった。いや、そもそも。その青年は、警察が制圧できるような相手ではなかった。


「全員殺す」


 タンッ、と軽く地面を蹴る。と思う間に、青年は一台のパトカーのボンネットに飛び乗っている。


「まずひとつ」


 横薙ぎに剣を斬り払う。運転席と助手席の2人の頭部が、すっぱりとフロントガラスごと斬られる。上下に斬りわけられた頭部からは大量の鮮血が飛び散り、車内が一瞬で赤く染まる。


「――総員、撃てぇぇえええええええええええええっ!」


 警察の対応は素早かった。相手は、既に警察官2名を殺害している凶悪犯だ。銃撃が必要になる事態も想定していたし、不慮の事故により殺害してしまうことも厭わない。そう言わんばかりの、全警察官による一斉射撃。

 だが――。


「――無駄だよ」


 青年は、意に解することなく隣のパトカーに乗り移る。剣を振るうと、車体ごと中の人間が斬り殺される。


「無駄、無駄。全部、無駄」


 銃弾はたしかに、青年の身体の直前まで到達している。しかし、その直前で何かに阻まれたように動きを止め、地面に落ちる。何発も、何十発も放たれた銃弾が――全て同じ運命を辿る。


「全部全部全部全部ぜーんぶ、無駄なんだよぉっっっ!」


 叫びながら、喚き散らしながら。男は軽やかに、パトカーを跳び回る。剣を振るうたびに、周囲が赤く染まる。


「……車に乗っていろ」


 少し離れた位置で。呆然と事態を見ていた僕は、その声でやっと我に返る。

 ハッと声の方をみると、檜来が運転席を飛び出し、何かを片手に握り締めながら駆け出すところだった。


「お前を、お前を止めなければ、善良な市民が、殉職した彼らに顔向けが――」


 時間にして、ほんの十数秒。その僅かな時間で、その場の警察官はほとんどが斬殺された。

 最後に残った1人の男も、もはや虫の息に見える。しかし彼は、自身の白いシャツが真っ赤になる程の傷を受けてなお、闘志を失っていないようだった。何かを呟きながら、車に背中を預けて何とか立ち上がり、必死に拳銃を青年に向けて引き金を――。


「あ゛ん? なに言ってんのかわかんねーよ」


 何の感慨もなく、青年は剣を振るう。

 最後まで勇敢に拳銃を向け続けた白シャツの男は、一瞬のうちに何度も斬り刻まれた。後ろの車ごと、細かく斬り刻まれて――死んだ。



「……で? お前もあの玩具おもちゃで歓迎してくれるのか? なぁ――よ」


 青年は、ニヤついた顔を向ける。車を飛び出し、青年の方に駆けてきた檜来へと。


 ――カチッ。


「大層なナイフを持っているようだが、車を斬り刻むのはあまりお勧めしない。車には大きなタンクが備え付けられていて、当然その内部には――大量のガソリンが存在する」


 檜来はその手にある物を弄び、音を鳴らすながら話す。


「……あ゛ん? こないのか? なら…………ん? なんか臭うな?」


 ――カチッ。


「ガソリンは液体状態でも引火点が低く、極めて危険な物質だ。しかし真に危険なのは、気化しやすいという点だろう。表に出され、気化したガソリンは適度に空気と混合され、少しの火元で――」


 檜来の手にあるのは、ライターだ。音を鳴らし、片手で点火したそれを――。


「――容易に爆発する」


 青年の方に放り投げた。

 青年の周囲の地面には、液体が溢れていた。赤い血液に混ざって、斬り刻まれた車体から溢れたエンジンが、大量に存在した。それらは放り投げられた火元ライターから容易に着火し――。


「な、にを――――!?」


 青年がその言葉を言い切ることはなく――。



 ――光が、広がった。



 視界が白く染まる。

 鼓膜が破裂するような轟音が響いた。

 車を大きく揺らす、強い爆風。

 

「――っ!?」


 エンジンの着火により発生した、大爆発。

 青年は、その爆心地に呑まれた。

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