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冷たい雨が、降り出していた。
「……ハアッ、ハアッ……」
スコップを握り直す。
山の中。獣人の死体の横で。
僕はまた……穴を掘っている。
† † †
「ここに埋めるしかない」
獣人を殺害した、その直後。
「死体を抱えて下山するのは困難だ。途中で誰かに目撃されるリスクもあるし、何より今回は……時間がない」
手早く作業を開始しながら、男は話を続ける。
手際が良いのは、この男の常だ。しかし今回は、今までと少し様子が異なる気がする。心なしか……どこか焦っているように見える。
「山の中は、死体を埋める場所としては悪くない選択肢だ。しかし死体をそのまま埋める場合には、本来はかなり深く掘ることが望ましい。雨に土が押し流されたり、動物に掘り返されて死体が露出するリスクがあるからだ。……だが、今回は必要最小限の深さで済ませる。とりあえず死体を隠せれば、それで良い」
なぜそんなに、先を急いでいるのか。今までの完璧にも思える死体処理と比較すると、かなり
「……雨も降り始めそうだ。なるべく早く終わらせるぞ、
檜来は僕に、何も言って来ない。僕が彼を殺そうとしていたことに、気がついていないのだろうか?
……いや、とてもそうは思えない。檜来は冷酷ではあるが、察しはいい。気がついていないなんて……そんなはずがない。なら、なぜ。なぜ何も……言ってこない。
「………………は……い」
ノロノロと、声を絞り出しながらどうにか立ち上がる。
答えは出ない。考えがまとまらない。全てに失敗した今、僕に出来ることはほとんどない。
……とりあえず男の指示に従う。硬直した思考では、それしか選択肢が思い浮かばなかった。
† † †
雨の中、二人で黙々と穴を掘り進める。
檜来に渡された雨合羽を着ているから、服が濡れることはない。ただ、合羽の中が酷く蒸れた。水を含んだ土が徐々に泥のようになり、重みを増していく。
「もう、このくらいでいい」
檜来が作業を止めた時。地面にはまだ、ごく浅い穴しか掘れていなかった。どうにか死体が埋まる程度の、広く浅い穴。
「少し待ってろ」
そう言って、檜来は獣人の死体を担ぎ上げる。そのままそれを穴に放り込む様子を、僕はぼんやりと眺めていた。
「…………」
檜来はこちらに背中を向けている。無防備な後頭部が、視界に入る。
……もしかしたら。今なら僕にも、可能なんじゃないか。このシャベルで、力の限り後頭部を殴打すれば、この男を殺せ――。
「――やめておけ」
背中を向けたまま、男は言った。
「完全に相手の不意を突いた時にはじめて、奇襲は効果を発揮する。その条件を満たす状況は、かなり限られている。例えば、自分の存在を覚られていない状況、相手が強く何かを注意引かれている状況。……単に背中を取った程度では、不十分だ」
「…………あっ、いや、その」
何かを、言い訳めいた言葉を発しようとするが、まるで呂律が回らない。
――気取られた。何もしないうちから、気配を読まれた。
心臓が早鐘を打つ。身体が萎縮する。ダメだ。やっぱり僕では、
「――
「……っ!」
もう……ダメだ。もうダメだ。ダメだ。ダメだ。ダメだダメだダメだ。殺される。もう全部っバレてるっ。適わないっ、ダメだっ、殺され――。
「これを埋めるのを、手伝ってくれ」
端的に、そう言うと。
檜来は、黙々と死体に土を被せ始めた。
「…………は、い」
やっと、それだけを言って。僕も檜来の横で、同じ作業を始める。
……助かった。とにかく、助かった。何故かはわからないけど……檜来はまだ、僕を見逃すつもりらしい。ありがたい。まだ、生きている。何も上手くいかなくても、地獄のような世界でも。あは。あはははは。それでもまだ…………僕は、生きている!
そんな風に。心の中で感謝の言葉を叫びながら、僕は。
――――
† † †
ただでさえ夏の雨は通り雨が多いけど、山の天気は特に変わりやすい。
死体を土で覆い、埋め終えた――埋めるというには穴が浅過ぎて、見かけだけ誤魔化したという方が、実際には近かった――
「……すぐに山を降りて、車まで戻る」
作業が終えるとすぐに、檜来はそう言った。いま埋めた穴などには、もう何の興味も残っていないようだった。おそらく、
下山の道中は、雨で酷くぬかるんでいた。ただでさえ踏ん張りが効きにくい下り坂だ。一瞬でも気を抜けば、容易に滑り落ちてしまいそうだった。
だから、だろうか。あるいは連日の疲労が、注意力を奪っていたのかもしれない。もうすぐ山を降りきれるところだったから、油断する気持ちもあった。何にせよ……僕は、その異変に気付くのが遅れた。
だから。
「熊の死体を見つけた……だけにしては、人数が多過ぎるな」
前方を歩く檜来がそう呟いた時、すぐには何のことだかわからなかった。
「なんの……」
ことですか、と問おうと顔を上げた時。今まできちんと見ていなかった周囲を視界に納めた時。その時に、ようやく何かが起きている事を認識する。
「あれは……?」
山の麓。熊の死体があった場所の周囲に、何人もの人影が見える。近くには、車も数台止まっている。うち何台かは白黒のセダン――パトカーだ。水色のシャツの警察官が数人、鑑識の腕章を巻いている鑑識官が数人……それと、何だかわからない白いワイシャツの人もいる。たしかに、これだけの警察関係者が集まっている光景は、テレビの中でしか見たことが無い。
「…………まさか」
最悪の想像が頭を
もし、想像通りであるなら。その時は、檜来は逮捕されるだろう。何人もの人間を殺した、最悪の猟奇殺人犯として。檜来は殺したのは『異世界人』で『人間』では無いとか、そんな主張をするかもしれないが……そんな言い訳で逃れられるとは、僕には思えない。
仮に、檜来が逮捕されるとして。
その場合……僕はどうなる? 望むと望まないとに関わらず、僕は彼の犯行の一部を手伝ってきた。殺しにこそ加担したつもりはないが、死体の損壊や隠蔽には手を貸してきた。証拠だってある。この山の上、僕たちが降りて来た道を逆に辿れば、簡単に見つけられる。雑に埋められた
……ああ、なんだ。自然とそんな思考を繰り広げていた自分に驚き、そして自嘲する。僕はもう、檜来の共犯者に成り下がっていたのか。檜来が逮捕されるかもしれない、そんな段になってようやく……そんなわかりきった事を明確に自覚した。
いや。共犯者だなんて、まだ良く言い過ぎだ。僕はもう、檜来を殺して排除しようとしている。僕はとっくに、あの
そんなことを考えながら歩いている間に、僕らは山を降り切っていた。前方を歩く檜来が進路を変更しなかったから、必然的に警察官たちがいる場所の近くに出る形になっている。……檜来には、何か考えがあるのだろうか。
間を置かず、1人の白シャツがこちらに近づいてきた。ニヤニヤとした口元、それに反して、まるで笑っていない目元。その男は何かを懐から取り出しながら、僕たちに話しかけて来た。懐から取り出した物は、テレビで見たことのある黒い手帳――警察手帳だ。
「捜査一課の
男は途中で言い淀み、問いかけるような視線を向けてくる。どうやら、こちらに名乗らせたいらしい。
そんな相手の意図を汲み取ったのか、檜来は戸惑うことなく返答し始める。
「はっ、お
よく訓練された、見事な敬礼姿勢を取って。
胸と制帽の桜の代紋を、見せつけるような姿勢で。
「――檜来です。██交番勤務の、檜来巡査です」
檜来は、たしかにそう名乗った。
その言葉に……嘘はなかった。
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