■ 3人目

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 また、あの夢だ。


「どうして……助けてくれなかったの」


 差し伸ばされる手。苦しげに歪んだ、碧い瞳。

 その全てが目の前で、グニャリと溶け始める。


「――どうして助けてくれなかった」


 低い声がカタチを取る。

 見覚えのある、髭の長い男のカタチを。


「どうしてえぇっ……どうして゛ええええええええええ゛え゛え゛え゛え゛っ」


 声が聞こえる。滅茶苦茶に潰された頭部から、肉塊と化した頭部が、空気を震わせている。


「…………あっ」


 気が付けば、足は血に浸かっている。

 真っ赤な血が、周囲に満ちている。

 視界が、真っ赤に染まっている。


「どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうして」


 僕は、肉を切っている。

 人を刻んでいる。ミキサーにかけている。

 赤白い渦が、排水口に飲まれていく。

 僕の身体も――真っ赤に染まっている。


 なんだ、簡単なことじゃないか。

 はじめから、こうしていれば良かった。


「どうして助けてくれないのどうして酷い事をするのどうしてあんたは■じゃないの」


 ……わかっている。

 これは、夢だ。


「あんたなんか――――」





 † † †




 なにか、柔らかい感触で目が覚めた。

 後頭部が幸せだ。なんだろう、安心する。心地よい温もり、ちょうど人肌くらいの…………


 そっと、目を開けると。

 明るいブラウンの瞳が、上から僕を覗き込んでいた。


「あっ、起きた?」

「えっと……はい」


 綺麗な女性ひとだ。まず、そう思った。

 どこか少女らしさを残しつつも、大人っぽい神秘的な顔立ち。サラリと揺れる、濡羽色の髪。何か香水でもつけているのだろう、動作に合わせて微かに香る花の匂い。クリっと印象的な、大きな瞳。


 そのブラウンの瞳が、じーっと僕の瞳を覗き込んでいる。数秒たち、ようやく納得したのか、彼女は大きく息を吐いた。


「はーっ、よかったーーーーーーーっ! もーうっ、心配したよーーーーっ!」


 大袈裟に天を仰ぎながら、明るい声を響かせる女性。どこかで聞いたことのある声だ。


「えっと、僕は……?」


 状況を把握できていない。この人は誰で、ここはどこだろう? そもそも就寝した記憶がない。さっきまでたしか……。


 ……いや、待て。そもそも僕は、に頭をのせている? 位置関係から見るに、これは、この女性の……えっ、


「っ! ごめんなさい、すぐに退きま――」

「あーダメダメっ、無理しないの!」


 起き上がりかけた頭を、そっと押し戻される。

 とすん、と。後頭部から再び、柔らかな脚の感触が伝わってくる。


「ずっと気を失ってたんだから、急に起きあがっちゃだめ!」

「す、すみません」

「急に気絶しちゃったんだってよ、キミ。なんか突然、アイツがここに運んできてさーっ。もうビックリしちゃった。よっぽど疲れが溜まってたんじゃない?」

「……そう、でしたか」


 たしかに、髭男の骨を埋めた後の記憶がない。そこで限界が来て、気絶してしまったのだろう。そこまで考えてようやく、どこで女性の声を聞いたのか思い出した。檜来ひのきに電話をかけてきた、あの声だ。

 女性の態度は明るく、何ら後ろ暗い含みが無い。この女性ひとは、何も知らないのだろうか。あの男が、何をしているのか。僕が……昨夜、何をしたのか。


「……すみません、ご迷惑をおかけして」

「あー、違う違う。キミが謝ることじゃないの! 気にしなくていいから、ゆっくり休んでて、ね?」

「いや、あの、でも……」


 ずっと膝枕をして頂くのは申し訳ない、というか……。


「んー?」


 女性は無邪気に微笑んでいる。綺麗な人なだけに、余計に何か悪い事をしている気分だ。恥ずかしくて、顔を直視できない。自分の顔が火照っているのがわかる。


「あーあーゴメンゴメン、気がきかなくて。そうかそうか、ずっと寝てたもんね……そりゃ、喉渇いたよね!」

「えっ、いや」


 そういうつもりでは……なかったけど、言われてみれば喉も渇いてる、ような。


「目覚めのコーヒーと、あと軽食ならすぐ用意できるよ。ここ一応、私の喫茶店だからさ」

「あの、そこまでは……」

「こらこら、遠慮しない! 結構美味しいって、評判は良いんだからね? ……まー、流行ってはいないけど。いや、でも本当美味しいから。うん、ちゃんと食べて確かめて貰わないとね。大丈夫、ご馳走してあげるから。よーし、そうと決まればとっておきを出しちゃうからねーっ!」

「えっ、えっ」


 ぽんぽんと、女性は勝手に話を進めていってしまう。ありがたいけど、そこまでして貰って良いんだろうか。


「そういえば、自己紹介がまだだったね。私は檜来ひのきのー……まあ、幼馴染み、みたいなものかな?」


 ふと、彼女のピアスが目についた。小さな鈴がぶら下がっている、可愛らしい耳飾りだ。


「名前は花鈴かりん。よろしくね」


 ――りん。

 首の動きに合わせて、かすかに鈴の音がした。

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