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 車の周りは『立ち入り禁止』と書かれた黄色いテープで区切られている。しかし、既に一通り調べは終わったのだろう。周囲に人影は見えなかった。檜来は気にした様子もなくテープの下を潜り、さっさと中に入ってしまう。

 しゃがみ込み、車のを――いや、上下がひっくり返っているんだから車の、と言うべきだろうか――覗き込む檜来に、声をかける。


「あの、おかしいですよ」

「……何がだ?」


 男の淡々とした声に、うっ、と一瞬詰まりかける。でも、言わずにはいられない。だって、だってこのままじゃ、また、誰かがこの男に――。


「どうしてこれが、異世界人の仕業だって思うんですか? 普通に考えて、誰かの悪戯とか、そっちの方がありえますよね? ほら、重機とか使えば……」

「――――あった」


 男は車の下に伸ばしていた手で何かをつまみ上げ、こちらに見せつけてきた。

 それは、何かの毛に見えた。長さにして50センチ程度の、茶色い体毛。


「えっと、誰かの髪の毛、ですか?」

「いや、だ。加えてこの怪力、と来ればおそらく……」


 男は顔を上げ、僕の方を少し目を細めて見ると、こう続けた。


「この車をひっくり返した奴は、君くらいの背丈しかない、髭を伸ばした男だった。そうじゃないかな、?」

「……えっ?」


 よく見れば、男の視線は僕に向けられていない、もっと後方に向けられている。

 背後を振り返ると、そこには小学生らしき女児が立っていた。ランドセルを背負っているところを見ると、通学途中だろうか。何事かしている僕らの様子に興味を惹かれた子が、いつの間にか近寄って来ていたらしい。彼女は不思議そうにこちらを見つめて、言った。


「うん、そうだよ。……ですよ?」




 † † †




「ありがとう、お嬢さん。色々聞けて助かったよ」

「どういたしまして、です。もう学校行っていいよね、ですか?」

「うん、もう大丈夫だ。ごめんね、登校中に」


 薄気味の悪い光景だった。

 淡々と話す檜来は、しかし女児には全く警戒されなかった。どころか、女児はこの短時間で、もう心を開いている様子ですらあった。僕は、檜来が女児と話す間、ずっと気が気では無かったというのに。結局、檜来は女児から必要な情報を、十分に聞き出せたようだった。


 ……やはり、と言うべきだろうか。何も知らない人間から見れば、この男は善良な人間にしか見えないのだろう。実は冷酷な殺人犯で、今も殺害対象を探している、なんて事は誰も想像すらしない。この男は、これまでもこんな風に日常の中に潜み、殺害を重ねて来たのだろうか。僕には、それがひたすらに気持ち悪く感じられた。


「じゃあ、いってきまーす!」

「ああ、気をつけて行っておいで」


 ひらひらと手を振りながら、男は笑顔の女児を見送る。そんな一見人間らしい行動すら、この異常な男にとっては単なる擬態でしかない。男の光のない目が、僕のそんな推測を裏付けている気がした。


「……あの子の話を、信じるんですか」

「当然だ。予想とも一致する」


 女児の話を信じるならば。車をひっくり返したのは、たった一人の人間だ。

 長く立派な顎髭を蓄えた、子供くらいの身長しかない、しかしガッシリとした体格の一人の男。その男は、何故か車道のど真ん中にぼーっと突っ立っていた、らしい。早朝に犬の散歩をしていた女児が見かけた時、男の前で立ち往生した車が繰り返しクラクションを鳴らしていた、と言う。


『ぶおーっ、ぶおーって、鳴らしてたの。だって道の真ん中にずっといるんだもん、通れなくて困っちゃうよね、です。そしたらあの、急に怒ったみたいに、おおぉーっ! って』


 その男は、何かを叫び出した。しかし、何を言っているかはわからなかったらしい。とにかく、日本語ではなかった。何か意味不明の言葉を滅茶苦茶に喚き散らしながら、男は車に組みついた。そして、そのまま軽々と持ち上げると、上下逆さまにひっくり返してしまった。しかも、どうやら一台だけでは気がおさまらなかったらしい。そのまま付近の車を次々にひっくり返してしまったのだ――と。そんな、にわかには信じ難い話だった。


「いや、無茶苦茶ですよ。人間が、ましてや老人が車を持ち上げてひっくり返すなんて、そんなこと出来るわけが――」

だ」


 必死に言い募る僕に、檜来は淡々と返した。


「奴らは小柄な体躯に似合わない、異常な怪力を発揮する。車程度の重さならば持ち上げても不思議はない。長い顎髭、短気な性格、聞き覚えのない言語……特徴も全て一致する。それに、おそらく老人ではない。ドワーフは年齢によらず髭を伸ばす。異世界人の年齢は、しばしば見た目と一致しない」

「え……」


 当たり前のように、常識のように異常な知識を並べ立てる男。なんだ、なぜそんなことを知っている。フィクションのはずのドワーフなるものを、なぜ現実にいるものとして語ることができる。

 しかし男の異常な知識は、今に始まったことではない。思えば、はじめからこの男は、存在そのものが異常だ。異世界人などという異常存在の知識を持ち、その存在を前提に行動し、そして――殺し続ける男。


「で、でもまだわからないですよ、あの子が大袈裟に話してるだけで、本当はただの事故だったのかも……」


 すん。

 僕の言葉を遮るようにひとつ鼻を鳴らし、男は言う。


「あっちだ」


 その指はまっすぐに、とある方向を示している。


「追うぞ。あそこにドワーフがいる」


 男の指し示す先には、使われなくなって久しい廃ビルがそびえ立っていた。

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