■ 2人目

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 碧い、美しい眼が僕を視ていた。


「ありがとう、君と会えて良かった」


 澄んだ声が、僕の耳に届いた。


「本当に、そう思っていたんだよ?」


 そう言って、少女は微笑んだ。

 夕陽を背に、どこまでも美しく。

 ――あの時のように。


「なのに、どうして」


 呻くように、声を出し辛そうに、彼女は言う。

 それもそのはずだ。だって――。


「どうして私を……助けてくれなかったの?」


 だって、彼女の喉はのだから。

 傾げた首は、そのまま通常では動き得ない方向に折れ曲がり。

 その表情は、苦悶に醜く歪んでいて。


「辛かった。苦しかった。死にたく……なかった」

「…………ごめん、なさい」


 血が滴り落ちていた。

 こっちに伸ばされた手の皮膚が、ポロポロと剥がれた。

 腐った肉の臭いが、どうしようもなく漂っていた。


「どうして……ねえ、どうしてなの?」

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」


 ぶんぶんと小蝿が纏わり付く。剥がれた表皮の下からは、筋繊維の束が覗いている。繊維の間を、表皮との隙間を、表皮の上を、無数の蛆虫が這い回る。自重を支えきれなくなった腐肉は、グズグズと地面に垂れ落ちていく。群がるシデムシの上を、さらに小さな蛆虫が這い回る。目が腐り落ち、落ち窪んだ眼窩からは――大量の芋虫が。


「どうして、どうして、どうして」


 しわがれた、ヒステリックな声。それはもう、彼女ではあり得なかった。彼女は、こんな姿にならなかった。彼女の白い骨はもう、他でもない僕自身の手で、あの地面の下に――。


「どうして助けてくれないのどうして言う事を聞かないのどうして私を苦しめるの」


 違う。違うんだ。そんなつもりじゃなかった。僕は、助けたかった。本当なのに。こんな事になるなんて、思ってなかった。僕は、僕はただ……。


「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」


 僕は、何も出来なかった。何も知らなかった。何も考えられなかった。どうすればいいのか、わからなかった。ただ目の前の光景を、呆然と膝を抱えて眺めていた。地獄が、悪夢が、いつか終わることだけを祈っていた。


「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい……」


 僕はただ、呪文のようにそう唱え続ける。

 救いを求めるように、祈るように。

 あのしわがれた声が、聞こえないように。


「どうして、あなたは――――」




 † † †




「…………………ぁあ゛あ゛っ!」


 跳ね起きようとした上体は、シートベルトに締め付けられて動きを止める。


「……夢」


 昨夜ぶりの、車の後部座席。そこに座っているうちに、いつの間にか眠ってしまっていたらしい。グッショリと服を濡らしている汗が、気持ち悪い。

 窓の外を流れる景色は、最後に見た景色からすっかり変わっている。どのくらい眠っていたのだろう、もう街に近いようだ。


「目が覚めたか。いいタイミングだ、もうすぐ着くぞ」


 運転している男――檜来は特に気にした様子もなく、淡々と言う。


 あの電話の直後。僕たちはすぐに男の車に乗り込み、出発した。

 理由は詳しく聞いていない。ただ「異世界人だ」とだけ、男は言った。そしてなぜか、僕も車に乗せられている。男に「乗れ」と言われれば、僕に拒否権は無かった。


 考えてみれば。朝まで骨を埋めていたから、昨夜は結局一睡もしていない。精神的にも肉体的にも、とっくに限界が来ていたのも事実だ。しかし、だからってこんな男の車で意識を手放すなんて、まったく頭がどうかしていた。こんな所で眠ったから、あんな夢を見る羽目になったのだろう。一番見たくない、あの夢を。


 だけど、と思う。この男も、昨夜は眠っていないはずだ。全くそんな素振りもを見せないが、疲労は確実に蓄積しているはず。果たして、運転しても大丈夫なのだろうか。


「一徹や二徹くらい日常茶飯事だ、職業柄な。心配する必要はない」

「……何も言ってないですけど」

「そうか」


 相変わらず、男の声からは何の感情も伺えない。しかし、察しは悪くない。いやむしろ、部分的には親切ですらある。冷酷な殺人鬼には似合わないそんな言動が……逆に、薄気味悪かった。


「見えてきたな」


 男の声に、窓の外を見る。

 そこには、異様な光景が広がっていた。広い道のあちこちに、ポツポツと数台見える車。軽トラが、ミニバンが、SUVが。それら全てが、無造作に、上下逆さまにひっくり返された状態で転がされている。

 テレビの画面越しに見た時には、どこか現実感が無かった。しかしこうして実際に見てみると、この光景がいかに異様かを実感できる。数トンを超える、鉄の塊。それは、こんな無造作に転がされて良い物ではない。そう、それが常識だ。、常識的な判断だ。


「降りるぞ」

「あの、どうするんですか」


 思わず、声が出た。


「これをやった異世界人を探す。まだそう遠くには行っていないはずだ」

「探す、って」


 探して、どうするのか。

 嫌だ。また、繰り返すのか。また、この男は誰かを――。


「探して、見つけ出して、殺す」


 男の言葉は、常に明瞭だった。

 だけど僕は、それを理解したくなかった。


「異世界人は全員殺す」

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