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 本当のことは、話せなかった。


「うん……うん、大丈夫。友達の家に泊まるだけ。大丈夫、大丈夫だから…………うん、おやすみ、お母さん」


 スマホを切り、そっと鼻をすする。

 あの男に住所を知られた以上、下手な事は出来ない。僕が取れる選択肢は、震える身体を無理矢理に抑えつけ、息を潜める事だけだった。


「電話は済んだか? そしたら、腹ごしらえをしておけ」


 リビングから、廊下にいる僕を呼ぶ声がした。お腹は……いていない。いや、腹の中の物はさっき吐き尽くしたから、物理的には空いているはずだ。でも、いま何かを食べる気にはなれなかった。


「いえ、僕は……」


 言いかけたところで、ツン、と鼻を刺激する独特の香りがした。何だろう、よく知っている香り、これはたしか……。

 ふらふらとリビングに入ると、檜来ひのきが料理を2皿分、並べているところだった。玉子と具材とともに炒められたご飯、誰でもよく知っている料理だ。


「……チャーハン」

「これから少し、力仕事をしてもらう。少しでも何か食べておけ」


 力仕事……?

 何の事かはわからないけど、男の言葉に逆らう選択肢はなかった。食欲が皆無でも、従う姿勢は見せないといけない。


「……はい、いただきます」


 のそのそとレンゲですくい、気の進まないままに口にした一口目。


「…………おい、しい」


 意外だった。こんな状況でも、きちんと味を感じる自分が。この男が、まともに料理という人間的な行為をすることが。


「俺の親父は仕事人間でな、ろくに帰ってこない日も多かった。でも、たまの休日にはこんな風に、チャーハンを作ってくれたりしたもんだ。反発した事もあったけど、今思えば……尊敬できる、立派な父親だったよ」


 急に、普通の話題を話し出す男。薄気味の悪さを感じながらも、全て過去形で話すことに小さな違和感を覚えた。そういえば……この家は両親が建てたと言っていなかったか。だけど、この家に他の人間がいる気配は無い。


「今は、ご両親は」

「死んだよ」


 男の声は、どこまでも平坦だった。


「異世界人に殺された」




 † † †




 やっと、コツを掴めてきた。

 グッと先端を地面に突き刺し、てこの要領で掘り返す。そのまま土を持ち上げて、穴の横に積んでいく。


「だいぶ進んだが、もう少し掘ってくれ」

「はぁっ、はぁっ……はい、わかりました……」


 様子を見に来た檜来に乱れた息で応えて、また作業に戻る。


 裏庭に穴を掘ること。それが、チャーハンを食べた僕に与えられた『力仕事』だった。大きさはそれ程必要ない。ただ、深さはそれなりに必要だ――とだけ説明されて、僕はスコップを握っている。


 僕が穴を掘っている間に、男はバスタブで溶かした死体のをしている。ドロドロと薬品と混じり合った死体は、しかし一度に下水に流すわけにはいかない、らしい。薄めたり、中和したり、色々と細かい手順が必要なのだ、と男が言っていた。


「んっ……、よっ……」


 軽く声を出しながら、無心で穴を掘っていく。他のことを考えてはいけない。この穴が何なのか、とか。この地獄はいつ終わるのか、とか。そういう余計なことは、考えてはいけない。ただ、ただ目の前の作業を効率良く終わらせることだけを考えていれば、それで良いんだ。


 それから、どれほどの時間が経っただろう。ずっとスコップを握りしめていた手はジンジンと痺れ、身体中に土埃が纏わりついている。地面が固くて、少しずつしか掘り進むことが出来なかったけど。それでも気付けば、僕の掘った穴は半身が埋まる程の深さになっていた。


「もう、それくらいでいい」

「あっ……はい」


 声をかけられて初めて、檜来が戻って来たことに気がついた。声の方に目を向ければ、布にくるまれた何かを、こちらに運んでくるところだった。


「次は、これを埋めてくれ」


 男が布を広げると、中から出てきたのは大小様々な――骨、だった。


「全部、あの死体の骨だ」

「彼女の……」


 それが、リラの骨だと認識した時。僕は……奇妙に安堵していた。

 その骨は、これまで以上に強く、彼女の死を実感させてくれた。不思議なことに、彼女が目の前で殺された時よりも、彼女の剥き出しの死体を見た時よりも、その感覚は強かった。


「薬品で肉は溶かせても、骨は大部分が残る。だから、骨は別に処理するしかない。最も簡単かつ確実な骨の処理方法は、自宅の敷地内に埋める事だ。骨だけなら腐臭が漏れる心配は無いし、自宅の敷地内なら誰かに見つかる事もない。野生動物に掘り返されない深さまで掘れば、まず間違いなく発見される事はない」


 男の言葉も、もう僕の耳には入っていなかった。


「……リラ」


 美しかった、彼女。

 震えていた、彼女。

 笑っていた、彼女。


 もう、会えない彼女。

 もう、殺されてしまった彼女。

 もう、謝ることも出来ない彼女。


 もう、僕には…………こうすることしか、できないから。


「…………さようなら、リラ」


 僕は、そっと彼女に別れを告げて。

 その骨を、土の下に埋めた。



 すべての作業を終える頃には、既に空は白み始めていた。

 汗を拭い、リビングに戻ったところで声をかけられる。


「他者にかける魔法には、様々な効果をもたらすものがある。言語によらない意思疎通を可能にする術、特殊な能力を与える術、そして――対象を『魅了』し、意のままに下僕として操る術」


 魔法。

 たしかに彼女も、そんな言葉を使っていた。

 にわかには信じ難い言葉だ。そして、その言葉がどこまで本当だったのか……確かめるすべは、もうない。それを知っていた彼女は、今はもう、あの土の下に眠っている。


「数ある魔法の中でも、『魅了』はとりわけ厄介な部類に入る。『魅了』は強力な反面、解除するのはそう難しくない。強いショックを与えたり、術者の死を認識させることで比較的簡単に解除出来る……が、それでも厄介な魔法だとされるのには、理由がある」

「…………何を」


 言おうとしている、この男は。

 だめだ。これ以上、男の言葉を聞くべきではない。何故だか、そんな確信にも近い嫌な予感がした。今すぐに、耳を塞いでこの場から立ち去るべきだ――。


「『魅了』の特に厄介な点は――」


 思考とは裏腹に、身体は棒を飲んだように動かない。再び吹き出した冷や汗が、背中を伝う。

 男は無慈悲に言葉を続ける。僕が一番聞きたくない言葉を。


「かけられた人間に、と言う点だ。例えば、知り合ったばかりの相手なのに進んで協力したくなった、自分の持ち物を与えたくなった。そんな不自然な考えが浮かぶのは、典型的な『魅了』被術者の特徴だ。……どうだ? 身に覚えがないか、葵くん?」

「…………そんな、違う」


 僕が、洗脳されていた……?

 違う。違う違う違う。彼女が、僕を。そんな……はずがない。彼女が、そんな事をするはずがない。だって、だって彼女は。彼女は…………? 僕が彼女の、何を知っている? 僕が知っているのは、ただ……。


「君も『魅了』にかけられていたんじゃないか?」

「…………僕は、でも、僕自身の意志で――」 


 弱々しく、それでも何とか紡ぎ出し始めた言葉は、しかし。



 ――――ピロピロピロピロピロピロピロピロ。



 突如鳴り響いた電子音にかき消された。


「……もしもし」

「大変大変たいへーん! たぁーーーいへぇーーーんだよぉーーーー!」 


 檜来が電話を取るとすかさず、若い女性の大きな声がスピーカー越しに響いて来た。


「こんな時間からなんだ」

「もう朝っ、朝でしょ! とにかく大変なの、いいから早くテレビ点けて! テレビっ!」


 檜来は無言でリモコンを操作し、テレビの電源を入れる。

 すると、画面には奇妙なニュースが映し出されていた。


『――このようににひっくり返された車が何台も発見されています。一般的な車の重量は少なくとも700kg以上、人力ではとても不可能な現象です。はたして悪質な悪戯なのでしょうか? あるいは、何らかの自然現象なのでしょうか? 付近では不審な老人の目撃情報も相次いでおり、事件と事故の両面で――』


「ねっ、ねっ! これっ、あんたが探してた怪現象でしょ? 私ってほらぁ、気がきくでしょ? だから――」


 ブチっ、と電話を切り。


「見つけた」


 画面から目を逸らすことなく、それまでと変わらない静かな口調で。


「異世界人だ」


 男は、さらなる悪夢の始まりを告げた。

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