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 車内には、沈黙が張り詰めていた。

 車は、もうかなり長い時間走っている。外の景色が見覚えの無い道ばかりになってから、更に数十分は経っただろうか。


「……どこに、向かってるんですか」

「すぐにわかる」


 男の返答は常に最小限だったし、僕も口を開く気にはなれなかった。

 そもそもこんな車にだって、乗りたくはなかった。でも、彼女の死体はたしかにこの車に載せられている。狭くて暗いトランクに、無造作に折りたたまれて。そう思うと、いてもたってもいられなくて、それで……気がつけば、男に促されるままに後部座席に乗り込んでいた。


 チラリ、と男の方に目を向けると、バックミラー越しに目が合った。


「……!」


 一瞬、息が詰まった。男はすぐに視線を外すと、特に気にした様子もなく運転に戻る。


「…………ふう」


 車内には僕と男の2人しかいない。下手な動きをすれば、男に気取られる可能性は高い。


 男の思考は、僕には全くわからなかった。何を思って、僕を車に乗せたのか。どこかで、僕を始末するつもりで……いや、だとしても、あの少女を殺した神社で僕も殺しておく方が確実だったはずだ。

 だが、この男が危険な殺人鬼というのは、疑いようの無い事実だ。人を殺す事を何とも思っていない、狂った男。誰をいつ殺すかなんて、単純に、男の気分次第なのかもしれない。だとしたら……僕だって、いつ殺されてもおかしくないじゃないか。


 一度そう考え始めると、もう、どうにも悪寒が止まらなかった。僕は、何をしているんだ。こんな男の車にノコノコ乗り込むなんて、全くもって正気じゃなかった。そもそも、今さら僕に何が出来るって言うんだ。何をしようにも、彼女はもう……もう、死んでしまったじゃないか。もう、彼女を助ける事は……そうだ、助けだ。何とか隙を見て、どこかに助けを……。


 そーっと手をポケットに入れ、息を潜めて、少しずつ指を伸ばす。

 そろり、そろりと。注意深く、焦らずに。生唾を飲み込む。もう少しだ。もう少し……ようやくスマホに、指先が。

 その瞬間――男の、鋭い声がした。


「おい」

「はっ、はい!」


 まずい。気付かれた。僕も、ここであの少女のように――。


「着いたぞ」


 車は、どこかの民家の敷地内に駐車するところだった。

 促されて車から降りると、もう日は既に完全に沈む寸前まで来ている。暗くて見えにくいけど、周囲に他の建物が無い立地のようだ。家自体はかなり大きく、一人で住むにはかなり持て余す広さに思える。


「あなたの家、ですか?」

「今は」


 玄関の鍵と扉を開けながら、男は初めて長文で答えた。


「もっとも、建てたのは俺の両親だ。公務員の安月給で建てるには、この家は広すぎる」

「……そう、ですか」


 どうやら、ここは本当にこの男の家らしい。

 どうしてこの男は、僕を自分の家に……。


「どうした? 早く中に入れ」


 考えはまとまらない。疑念と焦燥が、頭の中を無意味に渦巻くだけ。気がつけば、冷や汗がベッタリと背中を濡らしていた。

 とにかく、今は……下手に逆らわず、機会を伺う。それしかない。


「……はい」


 表札には『檜来ひのき』と書いてある。それが、この男の名前のようだ。

 その情報だけ頭に刻み付け、僕は家の中に足を踏み入れた。




 † † †




「『異世界人』に戸籍は無いし、この世界に知り合いもいない」


 風呂の洗い場に少女の死体を横たえると、男――檜来は唐突に話し始めた。


「だから、奴らがこの世界でどれだけ死んだところで、気がつく人間はいない。今回の君のように、奴らとまともに交流を持つ人間が現れるケースは……稀だ」


 話しながら、檜来はまだ彼女に突き刺さったままだったナイフを乱暴に引き抜き、それを再び彼女の身体に――。


「あの、何を……」

「服を剥ぎ取る」

「えっ」


 言うが早いか、男はナイフで彼女の服を躊躇なく切り裂く。


「もっとも、死体が出れば話は別だ。死体が発見されれば――それが身元不明の物であったとしても――警察は確実に事件として扱う。少なくとも死体遺棄、場合によっては……殺人事件として、な」


 話しながらも、男の手は着実に作業を進めていく。ナイフを的確に操り、死体を乱暴に転がしながらも、少女にまとわりつく布を容赦なく剥ぎ取っていく。


「やっ……やめてっ……!」


 嫌だ。もうこれ以上、見たくない。そう願いながらも、なぜか目を逸らすことは出来なかった。知っていたのに。その布の下に何があるのか……僕には、よくわかっていたのに。


「だから、死体だけはどうにかしてする必要がある。方法はいくつかあるが……今回は一番確実な方法でいく」


 悲鳴とも懇願ともつかない僕の叫びも、ついに男の手を止める事は出来なかった。男は完璧に作業をやり遂げた。あとには、身を隠す布を失った少女の死体だけが残った。


「ううぅっ……!」


 吐き気がする。目眩が、激しい頭痛が僕を襲う。膝からは力が抜け、今にも崩れ落ちそうだった。


 少女が、リラが生きていた頃なら。彼女の裸身は、さぞ美しいものだったに違いない。きめ細かい白い肌に、完璧に均整のとれたプロポーション。彼女の息づかいと共に瑞々しく輝くそれは、芸術的ですらあったはずだ。


 だが、今は。その少女から受ける印象は、まるで真逆だった。

 誤魔化す物がなくなり、本来の姿を白日に晒された。その生気を失った肌の青白さは、あまりにも人間離れしていた。その青白さが、ブヨブヨと揺れる肉が、が今やただの物質でしかない、という事実を突き付けて来るかのようだった。


 そう、取り返しはつかない。僕が知るあの少女は、もうどうしようもなく存在しない。かつて生命を宿していた身体は、不可逆に、無意味な肉塊と化した。今は原型を留めているも、やがては腐り落ち、虫の食うままに朽ち果てる。いや。既にその青白い肌の上には、無数の蛆虫が這い回っているのかもしれない。今にも肌を食い破り、肉を喰った蟲達が蠢き出てくる、かも。腐った、肉の、臭いが、ここまで。嫌だ。視ないで。その碧い眼で、僕を、そんな風に――。


「違う、違うんだ。僕じゃない、僕は、僕はただ――」

「少し下がってろ」


 かけられた声でハッと我に帰り、後ずさる。

 僕の動揺も意に介さず、男は次の作業を始めていた。死体をバスタブに放り込むと、ドボドボと何らかの液体を注ぎ始める。


「強力洗浄剤だ。足が着くから大量には使えない、が……一体分の処理なら、これが一番手間がかからない」

「しょ……り?」

「そうだ」


 男は軽く頷くと、淡々と続けた。


「この死体を溶かす」

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