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 目の前の光景を、理解出来なかった。


「……う……ぁ……ぉ……うぅ……」


 少女の胸から生えたナイフも。

 ポタポタと、地面に滴り落ちる血液も。


「ウ゛ウウゥゥウォァアアア亞婀鼃鐚アあああああああ゛あ゛あ゛ッッッ!」


 その地獄のような咆哮が、目の前の少女から発せられた音であることも。


「ッ□□――」


 痛みか、憎しみか。その美しい顔を、直視しがたいほどに酷く歪めて。

 それでも彼女は、何かを言おうとしているようだった。

 ……しかし結局、彼女がそれを言い切ることは出来なかった。


「――黙れ」


 、と。

 丸太のように太いの両腕が背後から伸びたかと思うと、彼女の白いくびを掴み、容赦なく締め上げる。


「グゥッ……ァ……」


 彼女はその時、何を思ったのだろう。

 目を見開き、何かを求めるように手を伸ばした彼女。

 僕は、そんな光景を前にしながらも、何も出来ず、何もわからず、ただ――ただ立ち尽くしていた。

 そんな僕を見て、彼女は……何を思ったのだろう。


 程なく、ゴキリ、と嫌な音がした。

 歪んだ少女の表情を載せた頸はもう、取り返しのつかない角度に曲がっていて。

 彼女の伸ばした手は、だらりと垂れ下がる。


「………………あ」


 男が無造作に頸から手を離すと、支えを失った彼女の身体は、嫌な音と共に地面に崩れ落ちる。


「…………ああっ」


 何を、していたんだ僕は。

 待ってくれ。何かの間違いだ。そんなはずはない。だって、さっきまで、彼女は笑っていたじゃないか。


「……あ、ああっ」


そんな事、あるはずないんだ。なんでこんな、彼女が、どうして。おかしい、そんなの、なんで。


「ああ、リラっ、リラったら、ねえ、お願い……!」


 這いつくばって、もはや微動だにしない彼女の身体を揺すりながら、僕は譫言うわごとのように繰り返した。


「嘘でしょ、どうして、リラ、ねえ、返事してよ……!」

はもう、死んでいる」


 頭上から、男の声が聞こえた。

 彼女にナイフを突き刺し、頸をへし折ったその男は、驚くほど平坦な声で言った。


「俺が殺した」


 ……理解、出来なかった。

 いや。

 男の言葉の意味は、僕が一番良くわかっていた。

 リラは、少女はもう、どうしようもなく死んでいた。歪んだ表情は張り付いたまま変わらず、血色はとうに無い。身体はゴム鞠のような感触しか返さず、生気の欠片すら残ってはいない。先刻まで生き生きと輝いていた碧眼は、今や虚ろに光を反射するガラス玉に成り果てた。

 そう、この男が、僕の目の前で、彼女を、その手で……。


「……なんで」

の中には、」


 男は、自分が殺した少女の死体を前にしながらも、何ひとつ感情を伺わせない声色で続ける。


「魔法を使う者もいる。これは最も警戒すべき要素で、対処法は2つしかない」

「……どうして」


 その男は、およそ無害な人間にしか見えなかった。殺人を犯すような人種とは、真逆の人種にしか。こうして向き合っていても、こちらに対する害意を全く感じ取れない。この目で見たのでなければ、この男が少女を殺したなどとは、とても信じられなかった事だろう。

 だからこそ、理解出来ない。なぜ……どうして。

 

「すなわち、魔法を使う前に殺すか、詠唱に必要な喉を潰すか、だ」


 何を……言っているんだ、この男は。

 僕が聞きたいのは、そんな事じゃない。理由なんて、無かったはずだ。彼女はこの世界に来たばかりで、悪い事なんてしてなくて、美しくて、明るくて、よく笑って、少し食いしん坊で、それで……!


「どうしてっ、彼女を殺したんですかっ!」


 当たり前のように。

 「1たす1は2」と言うように。


「異世界人だからだ」


 淡々と、男は言った。


「異世界人は、全員殺す」


 ……まるで、理解出来なかった。


「そんな、理由で……?」


 呆然としている間に、男は次の行動に移っていた。

 男はいつの間にか少女の死体に近づくと、ひょい、と肩に担ぎ上げた。


「なっ……何してるんですかっ!?」

「死体を運ぶ」


 男の答えは、常に明瞭だった。だけど、そのことごとくが、僕には理解出来なかった。


「運ぶ、って」

「車はある」


 男が乗ってきた物だろう、近くに停車していたセダンのトランクを開けると、男は死体を投げ入れた。


「……後始末がいるか」


 周りを見渡して何か呟くと、男は何かの液体を地面に垂らし始めた。


「な、何を」

「血痕を消しておく」


 男の手にしている物は、一般的な消毒液だった。

 血痕に液体が触れると、たちまち泡が発生し始める。男はそれらを丁寧に布で拭いながら、言った。

 

「血の色は意外と目立つ。誰かが見つければ、ここで何か事件が起こったのかと、無用な心配をしてしまうだろ?」 


 そう言う男の口調は、あまりにも淡々としていた。まるで純粋な善意による発言なのかと、錯覚しかねない程に。


「じ、事件は、だって今、あなたが」

を殺しただけだ。何も事件は起こっていない」


 ……何を、言っているんだ。

 たった今人を殺した男が、何故こんなにも平然としている。


「これで、良し」


 血痕はもう跡形も無い。ここで『何か』が起こったなんて、もう誰も想像すらしないだろう。

 いかにも。そんな印象を受けた。


 そうして、作業を終え車に乗り込もうとする男を、気がつけば僕は呼び止めていた。


「ま、待ってください! 彼女をどこに――」


 彼女の死体を、この男に渡してはいけない。何故か、そんな気がしてならなかった。


「……もしかして、君は……」


 その呼びかけの何が男の気を引いたのかはわかない。男は僕に歩み寄ると、急にと顔を寄せてきた。

 そのまま男は、僕の目をしばらく覗き込み、こう言った。


「いや、『』をかけられているようには見えない、が……」

「み、魅了?」


 その時僕は、初めて間近にその男の顔を見て。

 男の目が、艶消しのように周囲の光を反射していない目が、妙に気にかかった。


「魔法の一種だ。念のため、そうだな……」


 何を納得したのか、男はひとつ頷くと、言った。


「君も、この車に乗れ」

「えっ」


 どうして、そうなった。


「死体処理にも……人手は必要だ」


 ヒクリ。

 男の頬が、引き攣るように動いた。

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