異世界人は全員殺ス
数奇ニシロ
■ 1人目
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今日、僕の目の前で
目が覚めた時はまだ、いつも通りの朝だった。そのはずだ。
いつもと同じ時間に起きて、いつもと同じ朝食を食べる。朝の支度を整え、眠っている母にそっと声をかける。
「行ってきます、お母さん」
玄関を開け家を出た途端、むわっとした熱気を感じる。夏季休暇が明けたといっても、まだまだ暑さは去りきらないらしい。そんな事を考えながら、いつもの通学路を急いでいると――ふと、前方に佇む人影が目に入った。
「あれ、誰だろう」
この辺に人がいるとは珍しい。この辺にある建物といえば、僕達母子の家くらいなもの。あとは見渡す限り田畑か、耕作すら放棄された荒地か、遠くに見える山々くらいしかない。人影を見ることすら稀なのに一体誰が……なんてありきたりな感想は、その少女に近づいていくに連れて消え去っていった。
「…………綺麗」
彼女の顔がはっきり見える距離まで近づいた頃には、僕の中にあるのは素直な感動だけだった。
細っそりとした、長くしなやかな手足。ローブの上からでもわかる美しいプロポーションに、きめ細かい白い肌。宝石のような碧眼が印象的な、絵画のように整った顔立ち。ピンと長く張り出し、先端が尖っている耳。肩下まで伸びた金髪は陽射しを鮮やかに反射し、緩やかに波打っている。それら彼女を構成する全ての要素は見事に調和し、彼女の持つ幻想的な美しさを引き立たせていた。
そう。彼女はあまりにも綺麗すぎた。まるで――この世のものとは思えないくらいに。
「あの、」
気がついた時には、声をかけていた。特に、何か考えがあったわけではない。彼女のあまりの美しさに何か言わなければと思ったのかもしれないし、単に初めて見る人に声をかけようとしたのかもしれない。今となっては、もうよくわからない。
でも、もし僕がこの時声をかけなければ――いや、結果は変わらなかったかもしれない。いずれにしろあの男は彼女を見つけ出して、殺してしまったのかもしれない。
ただ、これだけは言える。僕はこの時、不用意に、決定的に、不可逆に。
日常から一歩、外に踏み出してしまったのだ、と。
「何かお困りですか?」
実際、僕の問いかけはそう的外れでもなかった。ぼんやりと田畑を眺める彼女の横顔は――それはそれで神秘的で、素敵だったけど――いかにも途方に暮れているようだったし。
「……アー、」
どうやら、声をかけられて初めて僕の存在に気が付いたらしい。弾かれたように顔を上げた彼女は、その声色さえも透き通るように澄んでいた。
「□□□?」
しかし、続く彼女の言葉は全く理解できなかった。日本語でも、英語でもない事は確かだ。それどころか知っている言語だとはまるで思えないほど、聞き慣れない響きだった。一体、どこの国の言葉だろう。
そんな僕の困惑を察したのだろうか。彼女はひとつ頷くと、おもむろに手を僕の額にかざし、じっと僕の目を覗き込んで何事か呟いた。
「□□□□□……どうかな、これで通じる?」
「えっ、あっ、はい」
覗き込まれた碧眼に、すっかり気を取られていた。おかげで、突然流暢に話し始めた彼女の日本語に間抜けな声で答える羽目になった。
「ええっと、日本語を話せるんですね」
「今、話せるようになったの。そうか……ここは、『日本』という土地なのね」
「え?」
なんだろう、何か齟齬を感じる。話している言葉はたしかに日本語のはずなのに、実のところ肝心な部分が酷く噛み合っていないような。
「ううん、何でもないの。気にしないで」
彼女は首を横にふると、微笑んで言った。
「はじめまして、私はリラ。ところであなた……」
どんな表情をしていても、絵画のように美しかった彼女。しいて比較すれば、笑顔が一番美しい表情だったのは間違いないけど。
「なにか、食べる物を持っていない?」
この時の恥ずかしげに目を伏せた表情もまた、彼女の魅力を大いに引き立てていた。
† † †
「『エルフ』? リラが?」
「ええ。あなたが知っている概念では、それが私たちに一番近いと思う」
どうやら、よほどお腹が空いていたらしい。僕のお弁当をあげると、リラはあっという間に食べ尽くしてしまった。ひとしきり感謝の言葉を述べた後、彼女はおかしな事を言い始めた。自分が『エルフ』だとか、そんな事を。
「……まあ、たしかにエルフのように綺麗だね、リラは」
なんというか、そんな事を言われても正直反応に困る。『エルフ』とはファンタジー作品に登場する、架空の種族の事だ。アニメやゲームの中ならまだしも、現実に存在するはずもない。たしかに、リラの外見的特徴は一般的なエルフのイメージによく一致する。けど……だからって。
「あー、信じてないね?」
僕の返答がお気に召さなかったのか、ジトっとした目を向けてくるリラ。意外と、彼女は表情豊かだ。
「仕方ない。じゃあ、証拠を見せてあげる。この指先を見ててね、いい?」
右手の人差し指をピンと立てながら、彼女は何事かブツブツと唱える。
「……□□□!」
すると、たちまち彼女の指先から火柱が噴き出す。おおっ、すごい。まるで――。
「……えっと、手品?」
「魔法だってば、もう!」
いま言葉が通じているのも彼女が僕に掛けた魔法の作用なのだ、とか。僕の目を覗き込んだ時に、『この世界』の基本的な知識を読み取ったのだ、とか。彼女はそんな、よくわからない事を色々と話してくれた気がする。
もっとも。その時の僕にとって、そんな話はもう全部どうでも良かった。だって、目の前の少女はあまりにも美しくて、彼女が何者かとかは大した問題じゃなくて。彼女の力になれるなら、僕はそれで良かったんだから。
「で、これからどうするの、リラ?」
「うーん……とにかく元の世界に帰る方法を探さないと、かな」
「元の世界?」
「そう、私たちの世界」
歌うように、澄んだ声で彼女は囁く。どこか遠くを見るように、彼女は目線を
「気がついた時には、ここにいた。だけど私は、私たちは、ついさっきまで全然違う場所にいた。そこは『日本』なんて無くて、魔法があって、いろんな種族が必死に生きている……こことは、全然違う世界」
その時の、彼女の微笑みが。
「……帰らなきゃ、あそこに」
なぜだか、今にも泣き出しそうな
† † †
別に、当てなんて何も無かった。
元の世界に帰る方法なんて、残念ながら彼女は知らなかったし、もちろん僕が知るはずもない。この世界に来た時の事がわかれば、元の世界に帰る手がかりになるかもしれない。そう思って話を聞いてみたけど、これも上手くはいかなかった。
彼女が言うには、『この世界』に現れたのは本当に唐突な出来事だったらしい。前触れも何もなく、気がついたら何故かここにいた。そんな事情らしい。一応、彼女が最初に立っていた場所の周辺は調べてみた。だけど、手がかりらしき物は何も見つけられなかった。
僕たちに出来る事と言えば、あとは……闇雲に、あっちこっちに行ってみる事だけだった。
「ここが神社。一応、この辺では一番大きい神社だと思う」
「なるほど、ここがあなた達の宗教施設なのね」
「えーっと、そんなような物かな、多分。パワースポットとか言う人もいるけど……どう、何か感じる?」
「うーん……」
目を閉じ、眉間に僅かに皺を寄せて集中する彼女。魔力の流れ、というのだろうか。そういう、彼女の世界に繋がる何かを感じ取れないか試しているらしい。しかし、彼女はすぐに首を横に振って、ゆっくり息を吐いた。
「……だめ。やっぱり、ここも何も感じない」
「……そっか」
このやりとりも、もう何度目だろうか。大岩とか、河原とか、巨樹とか。とにかく、何か少しでも神秘的っぽいところを色々と回ってみたけど、僕たちの試みは全て空振りに終わっていた。
「でも、ここはとってもいい場所だね。この石像とか、すっごく可愛い!」
それなのに、彼女は様子はやけに明るかった。まるで、元の世界に帰る方法が見つからない事など、気にもしてないかのように。
「この狛犬? たしかに……可愛いと言えば可愛い、かな?」
目を見開き、威嚇するように佇む一対の狛犬の像。僕個人の感想としては、可愛いと言うより勇ましい印象の方が強い。
「ええ、とっても。この世界には、こんな魔物がいるの?」
「いや、違うよ。さっきも言ったけど、この世界に魔物はいない。これは、想像上の生物の像で……まあ、魔除けみたいなものかな」
「『魔』除け? じゃあ、やっぱり魔物はいるんじゃないの?」
「そうじゃなくって、うーん……おまじないだよ、ただのおまじない」
「ふーん……?」
たびたび、彼女とはこんな風なやり取りがあった。『彼女の元いた世界』と『この世界』の違いに、戸惑うようなやり取りが。
「なんだか、とっても不思議。どこに行っても魔物もいないし、争いもない。知識だけは読み取ったけど、実際にこの目で見るとすごく……変な、気分」
「それって……嫌な気分?」
「まさか!」
宝石のような碧い眼を一杯に見開いて、リラは小さく笑った。
「感心してるの。とっても平和で、いい世界だなって。でも……そうだね、ちょっと」
だけど、彼女の笑顔がやっぱり、泣き出しそうな表情に見えて。
「嫉妬は、あるかもしれない。どうして私たちの世界が……こうじゃないんだろう、って」
だから、だろうか。
「リラ。本当に……元の世界に、帰りたいの?」
気がつけば、僕はそんな言葉を口にしていた。
「……正直、ね」
躊躇いながら、言葉は途切れ途切れだったけど。この時彼女は、初めて本音を打ち明けてくれたように思う。
「私、怖いんだ。言ったっけ? 私たちはね、魔女を倒すために旅をしていたの。争いだらけの世界で、それでも希望を見出すために。勇敢な、頼れる仲間たちと一緒にね」
「……立派だね」
「でもね。今はもう、どうしようもなく……怖いんだよ、私」
その揺れる声を聞いてようやく、彼女の手が震えていることに気付いた。
「あの世界に戻るのが怖い。戦うのが怖い。死ぬのが怖い。……どうして私、この世界に来ちゃったんだろう。こんな穏やかな世界を、こんな平和な時間を、はじめから知らなければ、怖いなんて、思わなかったのに! 戦うことが当たり前だったから、それが私の使命だったから、だから、何の疑問も抱かずに、死ぬ事だって当然なんだって、私は、私は――!」
「――じゃあ、帰らなければいい」
とても見ていられなかった。どうして、僕と同年代の少女が、こんな風に慟哭しているんだ。どうして、彼女が死ななければならないんだ。
もし本当に、彼女が戦わなければならないんだとしたら――そんなの、世界の方が間違ってる。
「そんな世界に帰る必要なんかない! ずっとこの世界にいよう、今日みたいに、穏やかにずっと――!」
「……ううん、ありがとう」
くしゃり、と。複雑な感情を押し殺したように、それでも口の端を釣り上げて、彼女は笑った。
「でも、帰らなきゃ。仲間のみんなが、きっと待っているから」
僕は何度も説得を試みた。だけど結局、彼女の意思は固かった。
死の影に怯え、戦いたくないという彼女の言葉が本音なら、仲間のために帰りたいという言葉もまた、同じく本音なのだろう。そうであるなら、僕に彼女の帰還を止める権利はない。
「とは言っても……そもそも元の世界に戻る方法が、まだ検討もつかないんだけどね」
「ごめん、僕が連れて行った場所はどこも、全然参考にならなかったね」
「ううん、そんなこと! むしろ、ここまで手伝ってもらって、どうお礼を言ったらいいか……」
別に、僕が勝手にやりたくてやってる事だ。彼女が気にする必要はない。
「明日までに、また心当たりを考えてみるよ。それと、これも本当にごめん。僕の家に泊めてあげられたらよかったんだけど……」
「それこそ本当に大丈夫! 私、魔法使いだよ? 寝床くらい何とでもなるって!」
「あはは、そうだった」
鼻息荒く、力強く主張する彼女に、僕は思わず笑ってしまう。
「あとあと、お弁当も忘れないでね? あれ、すごくおいしかったんだから! 絶対絶対、お願いね?」
「はいはい、わかってるわかってる」
「うん……ありがとう」
「別に、お礼なんて……」
「ううん、ちゃんと言わせて」
改まった様子で、彼女は僕の目をまっすぐに見つめる。
「君に助けてもらえて、本当に良かった。お弁当も分けてもらって、帰り道を探すのにも、こんなに付き合ってもらって」
そんな風に彼女の碧い眼に見つめられると、僕はもう、何も言えなくなってしまう。
「それに、ね。今日はすーっごく、楽しかった。こんなに穏やかな時間が私の人生にあるなんて、昨日までの私に言ったら、絶対信じないくらいに」
夕陽を背に微笑む彼女は、どうしようもない程に眩しくて。
「だから――ありがとう!」
でも、そのまま溶けて消えてしまいそうな程に儚くて。
――その時は、唐突に訪れた。
どん。
どこか間の抜けた、鈍い衝撃音。ぐらり、と前方に傾くリラの上体。
彼女の背中に何かがぶつかったのだ、と理解する間も無く。
ジワリ、と赤黒いシミが彼女の胸元を広がり始める。
「…………え」
少女の胸からは、一本のナイフが突き出していた。
背中から彼女の身体を刺し貫いた、一本のナイフが。
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