29 記憶――僕のなりたち

 小さいころから、自分の意見を持たずに生きてきた。

 僕がそれに気づき、自覚するのが遅かったと後悔したのは、入社して2年目のことだった。


 祖父が創業した服飾会社は、規模こそ小さいが「地場のチェーン店」といわれるくらいの店舗数をもち、いくつかの関連企業を抱えていた。今は社外から有望な人物を社長に招へいする会社も多いらしいが、祖父は父に事業を継がせる。父は商才があったのか、更に店舗を増やした。それに合わせて、服との親和性が高いおしゃれな靴屋さんや、宝飾店などを傘下におさめた。

 父と母と、3人で一緒に遊んだ思い出はない。父の会社で働く母は営業の責任者で、新たな仕入れ先を探すために全国を飛び回っている。だから家にいることはほとんどない。父は自室の書斎にいる時間もあるが、常に本を読んだり、何か仕事がらみのことをしていて声をかけることはためらわれる。幼少期からずっとそうだったので、僕はそれが普通だと思い父母と言葉を交わすことは稀だった。


 父に関する記憶で最も強烈なのは、自宅から一番近い店舗を視察に行った時のことだ。まだ小学生くらいだった僕にはぐれないよう言い含め、父はスーツ姿で店へと向かう。僕は言いつけに従うのに必死で、黒い背中を見失わないように真後ろをひたすらについていった。

 店構えが見えてくると、何人かの従業員たちが商品の間を歩いている。彼らはお客さまに声をかけ、笑顔で言葉を交わす。父と僕はその様子を少し離れた場所から確認して、お客さんが全員店を出たタイミングを見計らって中に入った。

 直前までにこやかに接客していたスタッフたちが、さっと顔色を変えて動きを止める。父が彼らに何を話していたかは覚えていないが、現れるだけで周囲の人々から笑顔を奪う職場での父の姿に、子どもながら恐怖を感じた。

 たぶん、その日からだと思う。僕が何をするにしても、まずは大人の意見を聞くようになったのは。


 両親こそ傍にはいなかったが、僕の周りには大人たちがたくさんいた。家に出入りする会社の関係者たちや学校の先生、家庭教師などなど。僕が行動に悩んだとき、どうすればいいか質問すると、彼らは口々に自分の考えを提示してくれた。

「八広くんは頭がいいから、中学も受験した方がいいよ」

「高校も、あなたの学力と今後のキャリアを見据えるならここにすべきじゃないか」

「この高校に行ったら、大学もいいところを目指せる。大丈夫、君の学力ならできるよ」

「お父様も名門校を出ていらっしゃるし、似たのかもしれないわね。将来は社長を継ぐのかしら」

 大人たちに言われるがまま中学・高校・大学受験に取り組んだ結果、世間から見たら学歴は高いほうになった。それぞれの学校では関係の濃淡こそあれ友だちはいたし、楽しい思い出も多い。今までの選択自体を後悔しているわけではない。

しかし大学に入学した年に、ある会社関係者から“社長候補”という言葉を聞いた時、はたと気が付いた。僕は、一度たりとも父の会社を継ごうと思ったことが無いということに。

 通う学校は、すべて「周りの大人たちが考える最善の選択」に従って選んできた。今まではそれでも不都合なく生活できていたが、会社を継ぐとなると、話は変わってくる。幼少期に見た父親の威圧感は、今もなお頭のなかに強くこびりついている。自分がああなることは想像できなかったし、できるとも、やりたいとも思えなかった。だから就職活動の時期に至り、僕は初めて、大人の声をうのみにするのをやめた。それでも、絶えず飛んでくる「助言」という名の言葉の数々は無視できないくらいに、僕の心に入り込んできた。


「就活なんかしなくても、八広くんはお父さんのところで仕事できるでしょ」

「せっかく優秀な息子がいるのに、おたくの会社は継がせるつもりがないのか?」

 いくつかの会社を回るうちに、「なぜ親が経営する会社から離れたいのか」という明確な理由がないと他社には受け入れてもらえないことに気づいた。

 同じ面接ですらすらと志望理由を述べる同級生たちは、皆その会社に入りたい理由をたくさん語る。他方で、僕は親の会社に入りたくないわけを、角が立たないように工夫して伝えなければならなかった。

 もう少しマイナーな苗字だったら、そんなことを気にしなくてもよかったかもしれない。しかし、演永八広のぶながやひろという、全国に一人しかいないであろう名前は「名も知らぬいち就活生」でいることを許してくれなかった。

 みな、僕を雇った場合のリスクばかり考えているようだった。自社の情報が父の下に流出するのではないか、すぐに辞めて結局は父の会社に入りなおすのではないか。そんな懸念を直接的・間接的に示す各社の人事担当者たちは、僕を採用することにはとりわけ慎重だった。


 大人の顔色ばかり見て過ごしてきたから、角の立たない会話は慣れている。しかし自分の家の話になるたびに、僕の口は重くなった。父の仕事ぶりに対する恐怖心はあれど、会社自体が嫌なわけではないから、距離をとりたい旨を表明するのは心が痛む。そもそも、他社に就職したところで最終的に父に呼び戻される可能性がないとはいい切れない。そんな悩みが顔を出すたびに断りのメールを受け取ることになった。

 結局、夏休みが終わっても内定先が見つからなかった僕は、父から呼び出しを受けた。

「就活をしていたということは、働く意志はあれど私の会社には入りたくないということだろう。ならば、A社に行ってみたらどうだ。あそこはうちと直接の接点は薄いが、おまえにとってはその方がいいだろう。特別扱いはしないように言伝をしておく」

 父の言う通り、働きたくないわけではない。仕事をせずに家でうろうろしていたら、周りの大人たちの目が厳しくなるのは明らかだ。いよいよ就活が行き詰っていた僕は、関係会社のA社に就職するという、父の提案に頷くしかなかった。


 新入社員としてA社に配属された僕は、3か月間総務部で研修を受けたのち副社長の直属になる。新卒1年目の異動としては異例だと思ったが、会社の規模が小さい分、ひとりが複数の仕事を掛け持ちするのが普通だった。特に管理部署は自席に座っている人のほうが少ないくらいで、人手不足は明白だった。だから僕はなにもいわずに、人事発令に粛々と従う。

 幸いなことに、副社長はいい人だった。資料作成やら備品の発注やらの基礎しか学んでいない僕に対して、資料の印刷などの簡単な雑務から始めて、スケジュール管理やアポ取りの方法、車のスムーズな停め方まで教えてくれる。本来、そういった業務の基礎知識は部署の上司から学ぶべきことな気がするが、副社長は

「ぼくの仕事をサポートするのが君の役目なんだから、何をしてもらったら助かるのか、ぼくが直接伝えたほうが早いでしょ」

 と言って笑う。完全に副社長付きになった僕には上司もいないので、常にマンツーマンで仕事をしていた。言われたことをこなすだけでいっぱいいっぱいだが、知らないことを覚えるのは面白く、充実感があった。あの日、うっかり立ち聞きをしてしまうまでは。

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