18 猫になる

「昨日は、ありがとう」

 朝食を食べていた手を止め、僕は顔を上げた。

「いや、むしろお礼をいうのは僕のほうだよ。昴に危ない思いをさせてまで、怪しい店に行ってもらったんだから」

「ううん。それは、元々計画していたことだから。結果、あたりだったし良かった」

 実際に、昴と魔女のやり取りを電話越しに聞いているだけで、僕は二人がいる部屋の風景がはっきりと頭の中に思い浮かんでいた。見えないはずの場所がわかるということは、やはり僕自身が行ったことがあるのだろう。記録用のノートに、後で書きだしてみるつもりだ。書いた方が思い出すこともある、というのは昴の弁だ。

「お礼を言ったのは、昨日の帰りに、わたしを戻してくれたことについて。猫になったままなのに、布団までかけてくれたし」

「えっ」

「うん?」

 首をかしげる彼女をみて、固まってしまう。

「布団をかけたの、記憶にない。ウサギの昴を人に戻したのは覚えてるけど」

「ええ? 数時間前の話だよ?」

 彼女のいう通り、ついさっきといってもいい時間の出来事だ。改めて昨晩の動きを頭の中で辿り、あることに気づいた。

「昨日の夜、猫になってからの記憶が、あんまり残ってない」

「それって」

「偶然じゃない、かもしれない」


 僕は昴をウサギに変えた魔女に、声をかけてしまった。僕の存在と、記憶を無くした理由を知っている魔女が何かしてきた可能性は否めない。しかし、僕と魔女が言葉を交わしたことを知らない昴は別の可能性を考えたようだ。

「それって。全くの別人として生きるために、猫でいる間の記憶もなくなっていくってこと?」

「確かに、猫でいるときは視界が変わるし、身体の動きも違うから人間の感覚とすり合わせるのは大変だけど。記憶自体はどっちも持っていた方が生きやすいと思う」

 彼女はうーんと小さく唸り、考え込むしぐさを見せた。

「猫の記憶がなくなったら、一日の半分はなにをしていたかわからなくなる、ってことになるよね。魔女の話では、ハチがそう望んだから現状になってるんだろうけど。何か、過去によほど嫌なことがあったのかもしれないね」


 昴に指摘される前から――今朝、人の姿に戻ってから――ずっと考えていた。

『おまえのいまの姿は、おまえ自身が望んだ姿だ。わたしはおまえが望んだとおり、契約通りに事を為しただけだ』

 魔女は確かに、そういった。本心ではなかったとはいえ、昴が“かわいがられる姿に変わりたい”と頼んだのに対してウサギになったのを鑑みても、やはり僕の方から魔女にお願いした可能性が高い。

 昴と出会わなければ、路頭に迷っていたであろう今の在り様。なぜ僕は、こんな姿になることを望んだのだろう。自分で自分がわからなくなる。頭を掻きむしりたくなったところで、昴の声に引き戻された。

「でもさ。きっとあの魔女が変えられる生き物には、制約がある」

「制約?」

 彼女は机上の食器を片付けながら、頷く。

「魔女は、人の名前が持つ言霊の力で、依頼主の望みを叶える動物に変えるって言ってた。なら、その人の名前に関係した動物にしかできないはず……ハチ、ノートとペンある?」

 僕がいつも書き込んでいるノートを差し出すと、彼女は適当にページをめくり、罫線2行分の高さで“谷口 昴”と書いた。

「わたしが学生証をとられたとき、ガラス板から水晶玉にわたしの名前が吸い込まれていった。玉の中で、名字からどんどん文字が消えて行って、最後にこれだけ残った」

 三色ボールペンの色を赤に切り替えて、「昴」の「卯」の部分を丸で囲う。

「この字は、十二支だとウサギっていう意味で読める。だからわたしがああいうリクエストをしなくても、そもそもウサギにしかなれなかった可能性がある」

 僕は赤丸の「卯」を見つめた。確かに子丑寅卯ねうしとらう……と十二支に動物を当てるとき、卯はウサギと読む。彼女の発見に、胸がうずうずする感覚をおぼえた。

「でも、お願いする内容によっては、谷口の「口」がつく生き物とかになってたかもよ。……例は、ちょっとぴんとこないけど」

「そうだね。いずれにしても、変化後の動物と人の名前には関係があると思う。だからハチも、本名は猫に関わりがあるんじゃないかな」

「猫の字が含まれる氏名、か」

「ウサギの連想を考えると、ストレートに猫〇ねこマルさんとか、なんたら猫さんじゃないかもしれないけど。だいぶヒントが増えたんじゃない」

「それってさ」

 つらつらと述べられる分析を聞いて、さらなる可能性に思い至った僕は口をはさんだ。

「時間制限も、名前からきてる可能性ってあるかな」

「ありえるね」

 昴は、大きく頷いた。

「わざわざ、きっちり八時に姿が変わるってことは、「八」っていう字もハチの本名に入っているのかもしれない。でも八は、いろんな漢字に含まれていそうだから難しいかもね。谷口の「谷」だって、分解したら八が出てくるし」

 たしかに、猫よりは八のほうがバリエーションが多そうだ。でも、念頭に置いておく必要はあるだろう。相槌を打つ僕に、彼女がノートを差し出してくる。

「まずは、昨日聞いたことの整理だね。わたしは大学に行ってくるけど、ハチはこれまとめておいて」

「わかった」


 先ほどまで書き込みをされていた薄い大学ノートを受け取ると、昴はさっさと通学準備に向かっていった。

「姫継さんに会えたら、ついでに何の動物に変化できるのか聞いてみるよ」

「あんまり、無理しないでね。魔女を怒らせたって言ったら、まずいかもよ」

「それはさすがに言わない。声をかけるときから慎重にする」

「うん……」

 姫継さんにも、魔女と対面しているときも、なんなら僕と最初に会ったときも、昴の言葉はいつだって率直だった。そんな彼女が“慎重に聞く”さまが想像できなくて、あいまいな相槌をうってしまった。その態度はさすがにばれたらしい。

「ハチ、疑ってる?」

「ううん! いや、あたりさわりのない話をして、大丈夫そうだったら少しずつ深掘りしていくのがベストだとは思うけど。ちょっと想像できなくて」

「やろうと思えば、できるよ。効率よくない気がするから、あんまりやらないだけで。いつもは思ったことを口にした方がお互いにストレスが無いことが多いから、そうしてるけど」

 彼女の声がすこしぶっきらぼうだ。拗ねてしまったのかもしれない。

「うん。昴の言葉はいつだってストレートで心地いいよ。嘘が無いってわかるから、ちょっと照れくさくなるときもあるけど。拾ってくれたのが君だったから、僕はこうして、少なくとも五体は満足な状態で生活できているんだから」

「ハチも、けっこうストレートに言うほうだと思うよ」

「そうかな」

 部屋から鞄を持ってきた昴は、僕の目を正面から見た。

「うん。感じたことを、感じたまま言っているイメージがある。だからわたしは初対面でも信用できたし、渉も信じられたんだとおもう。ハチといると、居心地が良いよ」

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