17 対決
慌てて口を押えても遅い。スピーカー越しに魔女の放つ低い圧が響き渡る。
『電話越しで聞いていたのかい。いまは、ハチと呼ばれていたか』
無言を貫くが、いまさら無駄だとはわかっている。案の定、魔女はこちらが聞いている前提で言葉を投げかけてくる。
『記憶をなくしてしまうと、契約内容すらも忘れ去られるから厄介だね。だけどね、おまえのいまの姿は、おまえ自身が望んだ姿だ。ウチはそっちが頼んできたとおり、契約通りに事を為しただけだ』
「本当ですか」
また、思わず声をあげてしまう。いまの、赤の他人に迷惑をかけないと生きられない状況が、僕自身が望んだ姿だっていうのか。昴に気を取られて頭が回らない今でも、それは自分の意志だとは到底思えない。
『ウチは契約について嘘はつかない。そうじゃないと、こんな傍から見て胡散臭い商売、やっていけないからね。理解者が少ないものを売るには、信頼第一だ』
「そうだとしても! 彼女は無関係だ!」
のうのうと信頼を語る魔女に、僕は叫んだ。契約云々言うのなら、僕の契約とは関わっていない昴を無断で巻き込んでいいはずがない。
『あの女は、この場所の決まり事を破った。私有地に課せられた決まり事、ルールだって契約の一種さ。ウチの店に足を踏み入れた以上、ウチのルールは守ってもらわないといけない。ほかの客の信頼を失うからね』
「それだって! 僕の代わりに行ってくれただけだ! 罰するのは彼女じゃなくて僕にしてくれ!」
『うるさいよ!』
スピーカー越しでも気圧される低音が響いた。思わず言葉を飲み込んだ瞬間に、魔女は滔々と続ける。
『あの女も他人のことばっかりでうるさかったが、あんたも外部からごちゃごちゃとやかましいね。ああ、一度ウチと契約したおまえが、この店に関わろうとしていること自体も、ルール違反さ。さっさと出ていきな』
ぶちっと、スマホの通話が切られた。
――こうなったら、もうここにいる意味がない――
僕は間髪入れずに、立ち上げているアプリを通話から位置情報追跡に切り替えた。ほどなくして、昴(あるいはその荷物)がいるであろう場所が表示される。今いる家からそう遠くない、雑居ビルと思しき建物の3Fに、赤い点が明滅していた。
まだ、昴はそこにいるはずだ。少なくとも、魔女の店の位置とニアリーイコールに違いない。和装+上着、手持ちはスマホだけのいでたちで、昴の家を飛び出した。
目下懸念すべきは、いまが19:50ということだ。走って片道はぎりぎり間に合うか否か。彼女を連れ戻すまでに、僕が猫の姿になってしまう可能性が高い。それを考えると、あまり荷物を持っていくのは気が引けた。
最悪の場合、姿を変えられた彼女が魔女の店から離れた場所に連れていかれていることもありうる。しかしそれはなるべく考えないようにして、慣れない住宅街をひたすら走る。
――大通りを左、3つ目の角を右、その先の細い道を右、ぶつかったT字路を左……――
アプリに示された地図を頭に叩き込みながら、夜の道を駆ける。この時間帯に出歩く人はあまりいないのか、全く誰ともすれ違わない。だからこそ、そのシルエットは目立った。
「っ、はあっ、何を、抱えてるんだ」
夜闇に紛れて、雑居ビルの外階段から降りてきた黒い影。明らかに、正面に何かの生き物を抱えている。だらんと、ぶら下がり前に突き出た足だけがくっきりと見えた。
「お迎えでいらっしゃいますか」
返ってきたのは、意外にも穏やかな物腰の男の声だった。声からして、昴を魔女のところに案内した男に間違いないだろう。
「返せ。彼女は、巻きこまれただけだ」
さっき、昴は名前を思い出せば、元に戻れるといっていた。しかし人間に戻すべきタイミングは今じゃない。あえて名前は言わずに、なるべく怒りを込めた声を出す。
「
しかし男はあっさりと、肩にかけた荷物と腕に抱えられた動物――暗がりで色味はわからないが、ウサギだった――を渡してきた。要求する前に、僕がここに来た目的を全て達成させるようなことをしてきたので逆に面食らう。
「つけてきたり、追加で何かしてきたりしないだろうな」
「そういったことは、少なくとも私は誓っていたしません。あの人と、私は仲間というわけではありませんから」
では失礼、と渡すだけ渡して、男はさっさと去ってしまった。
時計は、19:58を指している。僕の変化が解けたあとのことを考えると怖いが、彼女の名前を呼べるタイミングは今しかない。
なるべく人目につかない場所がいい。全力で目を動かして見つけた、近くにあるコインパーキング兼カーシェア場に急ぎ足で向かう。車の中に誰もいないことを確かめて、受け取った荷物を片手で助手席に突っ込む。中身の確認はあとだ。もう一つの腕に抱えたウサギは、どこにもぶつけないように慎重に後部座席に載せる。
意識を失ったのか眠っているのか、その間もずっとウサギは目を閉じている。
――女の子に許可なく触れるのはよくないけど。今だけは許して――
心の中で手を合わせながら、丸まった背中を軽めにさする。
「ごめん。つらいと思うけど、起きて」
少し耳がピクリとうごき、うっすらと目が開く。それを確認し、羽織ってきた上着を傍らに置いてから囁いた。
「昴、谷口 昴。もうすぐ僕は猫に戻るから、ここで着替えて帰ろう。きみにいいと言われるまで、目をつぶっているから」
フルネームを口にした瞬間に、ウサギの身体が膨らむのがわかった。ここから人に戻るのはあっという間だとわかっているので、僕は目をつむってから前方座席に移動する。前の扉から乗り込むときに、頭をぶつけたのは仕方ない。
「ありがとう、ハチ」
目をつむったまま、運転席で猫になった僕の頭を、昴が撫でる感触があった。
『にゃあ(お礼をいうのは、こっちのほうだよ)』
彼女の手の感覚が心地よくて、意図せず眠そうな声になってしまった。後ろからふっと、息を吐く音が聞こえる。
「着替えたし、荷物も全部持った。帰ろうか。私たちの家に」
・・・
玄関先で鍵をかけるまではしゃんとしていた昴は、靴を脱ぐなりベッドに直行した。
布団をかけることなく倒れ込んだ彼女に、僕は四つ足で近づく。
――化粧をしたまま寝たら、翌朝顔が痛くなるよ――
――布団をかけないと、風邪をひくよ――
言いたいことは色々あったが、今の僕が言葉を出しても猫の鳴き声にしかならない。だから布団の端を引っ張って、腰回りにかけるにとどめた。
――昴は、他人のために頑張れる人だからな――
八時を境にというのなら。猫になる時間が反転していたらよかったのに。今僕が人間の姿だったら、倒れ込んだ昴を抱えて布団をきちんとかけてやれたし、顔を拭いてあげることもできたかもしれない。そして、頭をなでることも。
猫の手の力がいかほどかが、いまいちよくわかっていない。だから、今の状態で彼女に触れることはためらわれた。
「みゃあ(おやすみ、昴)」
結局、それだけを告げてベッドの近くで丸くなった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます