16 魔女・下

『それで、用件は何だい』

 契約の話を進めようとする魔女に、昴はストレートに切り込んだ。

『猫になった私の知り合いを、もとの姿に戻してほしいんです。同時に無くした記憶も一緒に』

『駄目だね』

 間髪入れずに返ってきたのは、拒絶。

『あなたは人を、動物にできるのではないのですか。私はそう思ってここまで来ました。逆は、できないんですか』

『駄目だね』

 もう一度食いさがるが、全く同じ言葉、同じトーンで否定される。二人がいる部屋の温度が下がった、気がした。


『記憶がない、猫になったっていう“知り合い”とやらは、ここでウチと契約したって確証があるのかい。他人が交わした契約に、あとから割り込むのは無理な話さ。仮にウチと契約した客だとしても、解除は受け付けられないね』

『なぜですか。契約というなら、特定の条件を満たせば解約できるんじゃないですか』

『自動更新って、知ってるかい』

 取り付く島もないが、昴は諦めずになおも追及をする。それが面倒なのか、ビジネス用語を持ち出した魔女の言葉は抑揚に乏しい。

『たとえ期限が決まっている契約でも、双方の変更したいっていう合意がない限り、効力は持続する、ってやつさ。契約書に3年って書いてあっても、10年以上同じ条件で取引している会社なんてごまんとある。学生のお前は知らないかもしれないが、一般的に認識されてるしくみだ』

『それが、あなたのいう契約となんの関係があるんですか』

『ウチで一度結んだ契約を、こっちから破棄することはない。ウチは利点を感じてやってるんだからね。記憶が無い人間が、以前結んだ契約をなくしてくれって言っても無理な話さ。記憶がしゃんとしている時に結んだ内容のほうが有効になるに決まっているだろう』

 魔女の声にこもる温度は低いが、頭は回っているのだろう。もっともらしいことをつらつら述べられる。

『なら、どんな契約内容なんですか』

『一対一の秘密契約さ。第三者に教えるわけにはいかないね。お前が契約するっていうなら、そのための条件は提示させてもらうけどね』

『でも、記憶の無いハチに契約内容を伝える必要があるから、』

『うるさいよ!』

 僕の話が出てからテンションが下がっていた魔女は、ついに昴を一喝した。

『あんた、他人の話ばっかりで、やかましい。ここは一対一で、ジブンと向き合う場所さ。この場にいない人間の話をしたいなら、よそに行きな』

『待ってください! なら、わたしが契約します』


 ――昴!――

 それはまずい、という叫びは左手に飲み込ませた。今のは明らかに、言葉のはずみで言ってしまったのだろう。

『へぇ? お前は何を望む?』

 しかし魔女の声のトーンが、明らかに変わった。見下すような、品定めするような強弱のつけ方だ。

『“かわいい扱い”をしてもらえる姿に、変えてください』

『棒読みだね。そう思ってないのは見え見えだよ。でも面白い要求だ』

 せせら笑いが無音の店内に響く。そしてお次は指を鳴らすぱちん、という乾いた音が、そして紙系の荷物がまとめて倒れるガサガサガサガサッ、という音が立て続けに僕の耳へと届いた。

『何するんですか? いまの、あなたがやったんですよね』

『契約にはおまえの名前が必要だ。これは学生証だね。名前を、貰うよ』

 さっきのは、昴の鞄の中身がひっくり返された音のようだ。彼女がさらに何かを言う前に、魔女は楽しそうに“契約”の話を続ける。

『おまえの名前、それが持つ言霊の力を貰う。おまえは代わりに、ウチの手に渡った言霊の力で、ジブンの望みを叶えられる動物に変わる。名前ってやつは本人が何度も口にするし、他の人間にも呼ばれるから、とりわけ個人と結びつきが強い言葉だ。

 とくにおまえがジブンの名前がすごく気に入ってるか。あるいはその真逆なら、言霊の力はより強くなる。良くも悪くも、名前を意識するからね。ぜんぶ、ウチに預けな。そうしたら、名前を思い出さない限り、おまえは望んだ動物のままさ』

『名前を思い出せば、元に戻れるんですね』

『もう、あんたには無理だけどね! 望みを叶える。谷口昴、これからおまえは、ウサギだ』


 その瞬間、透明な板へ文字を書きつける右手がフラッシュバックする。書いた文字が水晶玉に吸い込まれ、赤く光り、一部の文字が消えていく。

 ――、なにを書いたんだ――


 目を凝らそうとしたところで、突然意識が今に引き戻された。また、記憶を失う前のことを思い出しかけた。今はそれよりも、同じ目に遭いかけている昴のほうが重要だ。

『ふん。やっぱり人間を辞める気が無かったんだね。拒絶して意識を飛ばしたかい。まあその方が都合がいいね。簡単に放り出せる』

 駄目だ。

『ウサギは身体が弱いらしいからね。外に放り出したら、すぐに弱っちまうかね。おい』

 駄目だ。

『お呼びでいらっしゃいますか』

『このウサギを、適当に放り出しときな。荷物も捨てておいて』

「昴ッ!」

 何としても止めなければならない。その思いが限界に達した。

 沸騰して、とっさに叫んだ僕の頭は、電話越しに届けられた声で急速に冷却した。

『いま、聞き覚えのある声がしたねぇ。あんた、かつての客だね』

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