11 とら猫とたい焼き
「化粧品、はさすがにぴんとこないかな。観葉植物とかから行ってみようか」
店に入るなりすぐに視界に飛び込んできたグリーンの区画で、僕は小さなサボテンの鉢を手に取った。
「これ、生きてるんだよね」
上の棚に並ぶ大きな植物を眺めていた昴は、手前のこぶりな鉢たちに目を向ける。
「たぶん。サボテン系は生きてるものが多い気がする。本物の植物なら、だいたい“トゲに注意”って書いてあるよ」
「あ、ほんとだ」
まさしく鉢に貼られたシールにその表記があることを確認して、そっと棚に戻した。興味津々で触っていたら、そのうちケガをしそうだ。
「意外と、生きてる植物が多いんだね」
「うん。植物にとってモールの中は、あまりいい環境じゃないかもしれないけど。あ、でも乾燥してるから、サボテンとかには合ってるのかな。むしろショッピングモールで育ちやすい品種もあるかもね」
「確かに。明らかに南国育ちっぽいのも売っているけど、アパートだと難しそう」
元気な植物を買って帰ると、しばらくしたら弱ってしまったというケースはよくある気がする。でも、それは必ずしも育て方が悪いわけではないのかもしれない。
「うちのアパートもベランダ小さいし、北西向きだから日当たりが良くないから。植物は好きなんだけど、うちの環境だとかわいそうだから育てられない」
言われてみれば、昴のアパートには鉢植えの類が置かれていない。緑色の布が入った額縁はあるが、ベランダも大抵“ばあちゃん”からの差し入れの野菜入り段ボールがおかれているし、そもそも置く場所が無いのだと思っていた。
「豆苗育てたくらいだね、確かに」
ふと、そんな環境下でもちゃんと成長した野菜があることを思い出し言うと、彼女はふっと笑った。
「そうだった。普段やらないし、ハチに任せてたから忘れてた。豆苗はどこでも育つからね。日当たりがいい方が葉っぱが元気かもしれないけど」
「昴家産のでも、十分おいしかったです」
「それはよかった」
いつもの控えめな表情の変化だ。しかし、少しはにかんでいるように見える彼女の笑顔を正面から直視できず、思わず目線をそらす。
「あ、向こう側にも色々ありそうだね」
僕がそらした目線の先には、ストラップやキャラクターグッズが並ぶ、文字通り“雑貨”のコーナーが広がっていた。昴もつられるようにそちらに視線を向ける。
「いいね。来るたびに商品変わってるから面白いんだよね、この辺り」
我ながら不自然な振りだったと思うが、彼女は気にする様子を見せずに雑貨が並ぶ区画へすたすたと歩いていく。
「あ、たい焼きだ」
「たい焼き?」
棚に陳列されたそれがあまりにもリアルだったので思わず声にだすと、先を行く昴が振り返った。
「ああ、これスクイーズだ。柔らかくて、むにむに握っても大丈夫なおもちゃ」
「むにむに……」
言葉の響きが面白くて、口に出しながらたい焼きを触ると確かに柔らかい。食べ物を握りつぶすようで多少の罪悪感はあるが、本当にむにむにという感触で癖になりそうだ。
「もうちょっと小さいのもあるね。こっちの方が固いけど」
「ほんとだ」
手放すのが名残惜しかったが、昴が指さすストラップ型のほうを握る。彼女の言うとおり少し硬い分、たい焼きの凹凸がしっかりと反発してくれる。ちょっとした握力強化アイテムにもなり得そうだ。
「ハチ、自分がどんな猫になってるか知ってる?」
無心でむにむにしていると、昴が唐突に口を開いた。
「うーん、赤茶っぽい色で、特に名のついた品種じゃないと思っているけど」
猫の時にまじまじと鏡を見たことがないので、水たまりに映った身体を思い出しながらいうと彼女は表情を変えずに頷いた。
「一応毛並みで調べたら、トラネコっていうらしいよ。赤茶のしましま模様。もしかしたら、品種もハチとなにか関係性があるかもしれないね」
とら猫といわれてもあまりぴんと来ないが、手がかりがあれば確かめておくのが吉だ。
「うん。帰ったら、僕も調べてみる。ちなみにその話って今、思い出したの?」
その前に猫の話をしていたわけではないので、いきなり過ぎる質問だったとおもう。文脈がわからずに思わず聞くと、昴は僕の手元のたい焼きストラップに目線を落とした。
「いや、たい焼きと戯れるハチを見てたら、某有名な曲を思い出して。お魚をくわえた猫を追いかけて、財布を忘れる」
「ああ……」
昴には、
「これ、買おう。なんかすごくしっくりきた」
「え」
僕の記憶が戻りそうだったら買い物をする、という話だった気がするが、たい焼きは全く関係無いのではないか。しかし彼女は上機嫌で、小声で替え歌を歌いながらそのままレジに向かってしまう。
「♪たい焼きくわえたトラ猫~追っかけて~」
ちょっと引っ掛かるが、昴が楽しそうだからまあいいか。
雑貨屋から出るなり、「これはハチの」とストラップを手渡されたので言われるがまま渉さんにもらったスマホにつける。スマホにつけるには大きすぎる気がするが、ほかにさげられる場所がないのでやむを得ない。もう少しいいところが見つかったら、そちらに付けかえよう。
来た道を戻っていると突然くい、と彼女が袖を引っ張った。重心が動くまま体を傾けると、左耳に手が当てられた。
「なんか、つけられてる気がする」
小さなささやきに、びくりと肩を震わせる。まったく気づいていなかった。
「いつから?」
「ハチと、合流したくらいから。私たちを見てくる人、何人かいたから最初はわからなかったけど。さすがにここまで来たら、追いかけられてると思う」
突然降ってわいた尋常ならざる状況に、頭がうまく回らない。
「ど、どうしようか」
「いったん、お手洗いで別れよう。入口で待ってるふりをして渉にチャットしてみる。ハチと二人でいたときに何か気づいてたかもしれないし」
「わかった」
今なお追跡者の存在に気づけていない僕は、おとなしく昴の指示に従うことにした。
細い通路の出口にもたれていた昴と目が合うと、彼女は小さく苦笑いを浮かべた。
「渉さんから、返事きた?」
「うん」
言葉少なに差し出されたスマホの画面には、「ハチくんがイケメンだから目で追われてるんだよ! 昴は嫉妬されてるのかもしれないけど、絡んでこない限り気にしないこと!」と書かれていた。
「気にしすぎか。肩の力抜けた。帰ろうか」
あっさりと意識を切り替えた昴に、僕は逆に心配になった。
「本当に大丈夫かな。その……家までつけられたりとか」
「アパートまで来たら、松葉さんがとっちめてくれるんじゃない」
「それもそうか」
やたらと目ざといお隣さんの存在を思い出し、僕も肩の力を抜いた。
「隠し事には向かないけど、ああいうお隣さんがいると助かることも多いよ」
「本当にそうだね」
どちらかといえば前半部分に共感をおぼえて、僕は深くうなずいた。
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