2章 猫と魔女

12 通達とビラ

 「僕、まだここにいていいのかな」

 朝の着替えが終わり、椅子にもたれてスマホをいじる昴の背中に声をかける。


 僕たちがショッピングモールに行ってから一週間弱が経つ。この家に初めて来た翌朝に、居候させてもらえる期間制限を課されていたのを、ふいに思い出したのだ。

「出ていきたいの?」

 顔だけこちらを向いた昴は無表情で、僕は慌てて手を横に振った。

「いや、そうじゃなくて。最初、昴が“3日間は家にいていい”って言ってたから。僕たちが会ってから3日後って、ショッピングモールに行った日だけど、そのあと何もなかったから。今思い出して」

「ああ」

 頷いた昴は椅子を動かして、身体ごとこちらに向き直る。

「あれは、渉と会うまでは一旦判断を保留するって意味だった。モールで渉に、このまま一緒に住んでいいって判断されたから。当日に追いだすつもりだったら、そもそも服とかプリペイドSIMとか渡さないよ」

「そっ、か」

「そうだよ」

 強く言い切る彼女に気おされて、僕も大きく首を縦に振った。すくなくとも、昴は僕がここにいてもいいと思っているようだった。


「そういえば、朝からスマホを見てるの珍しいけど。どうしたの」

 話題を変えるために、卓上に置かれたスマホに目線を向ける。昴も僕の動きを追って、身体はこちらを向いたまま再び薄い端末を手に取った。

「大学から通達が来てて。なんか、怪しいサークルが校内で勧誘してるみたいだから、注意するようにって」

「勧誘? この時期に?」

 いまは7月だ。普通、サークルの勧誘は新入生が多い春にするだろうから、今そんなことをしていたら怪しいサークルじゃなくても浮きそうだ。しかし昴はあっさりと肯定する。

「そう。勧誘って言っても学食で隣に座って話を聞いたり、図書館の入口でたむろしてると声かけられたりするらしいよ」

「ナンパみたいだね」

「確かに。まぁでも意中の人を誘うのが目的だから、実際ナンパなんじゃない」

「それもそうか」

 僕がちょっと笑うと、彼女もつられるように口角を上げた。そして、思い出したように立ちあがる。

「この通達見て、なんか意識に引っかかるサークルがあって。以前、ビラ貰った気がするんだよね。帰ってきたら、一緒に確認しよう。大学で話が聞けそうだったら、確かめたいこともあるし」

「聞けそうだったらって、怪しいサークルに声かけたりはしない、よね」

「いまのところは」

 含みがある言い方が気になったが、とりあえず今晩の予定は決まった。ただし。

「今日、昴は帰り遅いんだよね」

 昴の帰宅時間には、僕はおそらく猫になっている。

「でも猫でいるときも、人としての意識と記憶は残るんだよね? だったら問題ないよ。会話するっていうより、調べものを一緒に見る感じだから」

「わかった。無茶なことしないでね」

「大丈夫。家にハチもいるし、ちゃんと帰ってくるよ」

 彼女は僕の肩をぽん、とたたいてリビングから出ていった。

 その場に残された僕が、肩に残った軽い感触にすこし戸惑っている間に、昴はあっというまに支度を済ませて大学に行ってしまった。


 ・・・


「ただいま。……やっぱり猫になってるね」

 お隣さん松葉さんの襲撃を警戒して部屋の奥で丸まっていた僕は、昴がリビングの扉を開けたのを見て足元に近づいた。彼女は頭をするりと撫でてから、洗面所に引っ込む。

「ちょっと待って。確かこの辺に……」

 諸々の整理が終わったらしい彼女は、テーブル下の棚をごそごそと漁る。

「あった」

 中央がふくらんだ青いクリアブックを手に、床に座った昴の隣に、僕も腰を下ろす。座高が30cmくらいしかない僕のために、クリアブックを地面においてめくってくれる。

「みゃー?(これは何?)」

 鳴きながら(自分の言葉が猫の鳴き声になることは、もう諦めた)首を横に傾けると、昴は僕が聞きたいことを察してくれたらしい。

「去年の、入学式の直後にもらったサークルの勧誘ビラ。それ以外にも色々、同じ時期に貰った書類とか入ってるけど。きょう立ち話でサークルの名前聞いたから、ビラを見つけられるんじゃないかと思って」

「みゃあ(物持ちいいね)」

「じゃあ探すわ」

 さすがにこれは伝わらなかったようで、相槌ととらえられたのかスルーされてしまった。


 もくもくとめくられるページには、いずれもきれいな状態のチラシが入っている。

 ――本当に、物持ちいいなぁ――

 路上でもらうぺらぺらのちらしなど、すぐにクリアファイルにはさみでもしない限り折れ曲がるのが常だろう。自分が入る見込みのないサークルのビラならなおさらだ。しかし、めくられるページの中に、折れ線が入っているチラシは見ていない。……それにしても量が多い。

「他の人が一生懸命作ったものは、捨てられないんだ。やっつけ仕事みたいなビラは整理してるけど、それでもファイル1つぶんある。たぶんあのサークルのは残してると思うんだよね」

 言い訳するようにそういうと、彼女の手が止まった。紺色の、宇宙のような背景に浮かぶ白い光。光の中央に「変幻自在」とかかれている。

「これだ。変幻自在って言ってた」

「みゃ?(朝言ってた怪しいサークル?)」

「なんか、人が望んだ姿に変われるっていうのをうたうサークルらしい。ビラにどこまで書いてあるかはわからないけど」

 天体観測系のサークルではないなら、このスピリチュアルな表紙は怪しさ満点だ。昴はクリアブックからビラを引き抜き、裏返した。

「あ、びっちり書いてある」

 裏面は打って変わって、虹色のシャボン玉が3つほど重なったデザインだ。それぞれの球の中にサークルの効能とメンバーの雰囲気、連絡先が書かれている。

 ――この連絡先って、大丈夫じゃない、よな――

 もしかしたら昴の大学の学事から手が回されていて、使えなくなっているのかもしれないが。もし使えるのだとしても、きっと連絡を取ったらだめなやつだ。


『人間以外に生まれたら、と思ったことはありませんか? 人は本来、様々な生き物が転生した姿だといわれています……』

 昴は、一番上のシャボン玉から読み始めたらしい。冒頭だけ音読してくれたが、途中から顔をしかめて目を走らせた。

「これ、仏教の輪廻転生と怪しい変身願望をごちゃまぜにした内容だ。サークルの内部? か関係者に“召喚士”がいて、悩みがある人の心の中にある望みの姿に変えてくれるらしい。イケメンにするとかスタイルをよくするとかじゃなくて、まるきり違う生き物に変えるみたい」

 それは、まるで、今の僕じゃないか。

「ハチ、しっぽが立ってる」

 緊張がしっぽに出ていたらしい。どうも、人の身体に無い部分をコントロールするのは難しい。

「あなたに会う前だったら、学事のいうとおり怪しい系サークルっていうことで、記憶にも残らなかったと思うんだけどね。……ハチ、このチラシを見て何か思い出すことはある?」

 昴に聞かれる前から、考えていた。確かに彼女のいうとおり、このサークルがうたっている内容が本当にできるなら、今の僕が完成するような気がする。ビラでは完全に別の動物になるような書き方をしているのに対し、僕は半日は人間でいるから、その違いはあるが。

 もし僕の変化にこの組織が関わっているなら、僕はかつて怪しいサークルに片足を突っ込んでしまったのか、巻き込まれたのかということになる。具体的に何をされたのかを考えるのは怖いし、そもそもそういったものに関わった記憶は全く残っていないのだが。

「何も言わない、ってことは“心当たりはないけど、気になる点が無いか探してる”のかな」

 昴のエスパーっぷりには恐れ入る。思わず勢いよく顔を上げると、びっくりした顔の彼女と目が合った。その表情は珍しい。

「ん、思い出した?」

 今度は誤解させてしまったらしい。首を横に振る。

「違ったか。まあいいや。その辺は明日ノートに書いておいて。明日は8時前に家を出ちゃうから、話ができないし」

 そうなのか、と頭のなかでひとりごちる。やはり言葉を交わせないのは不便だ。

「今、ひとつだけ教えてほしい。首を縦に振るか横に振るかで。……このサークル名と活動内容を聞いても、ハチには心当たりが無い、ってことでいいの?」

 その問いに、僕ははっきりと縦に、頷いた。

「オッケー。そしたら、私もそのつもりでいく」

「みゃみゃっ(行くって、サークルに乗り込むの?)」

「っと、危ない」

 思わず身を乗り出した僕を、彼女は両手で抑える。頭と顎の下に強い圧がかかってグェッ、と変な声が出た。

「あ、ごめん」

 すぐに下あごの方を抑えていた手は離される。バツが悪そうに目をそらした昴は、そのまま頭に置いた手をゆっくりと動かした。感触をかすかに感じる程度のやわらかい感覚に、だんだん眠くなってくる。

「サークルに乗り込むかまでは、まだわからない。とりあえず、書いてある連絡先にコンタクトをとってみるよ。明らかに話が通じなさそうだったら学事に通報する。無理はしないよ。ハチのことを知るためではあるけど、今ここにいるハチ自身の方が大事だから」

「ゴロゴロゴロ……」

「眠そうだね。うん。今日は早めに休もうか。明日は長い一日になりそうだし」

 気持ちよくて喉を鳴らしていた僕の身体がゆっくり持ちあがる。

「寝るのはこの上で。おやすみ、ハチ」

 昴の両手がそっと離され、僕はいつものバスタオルの上におりた。目を開けるのも面倒になってきたので、その場で丸くなり顔をうずめる。

 ――おやすみ、昴――

 心の中でそう言うことは、忘れなかった。

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