10 黒い猫と銀の猫

「渉、ほんとに帰ったんだ」

「うん。僕が着てきた服と下駄は、あとで郵送してくれるって」

「またお金の無駄づかいを……」

「あはは……」


 待ち合わせの雑貨屋さんで渉さんの言伝を報告するなり、昴は軽く悪態をついた。彼が昴びいきなのはあの短時間でもわかったので、この程度の愚痴は微笑ましく思えてしまう。

「渉の服だよね、それ」

「うん。ちょっとアンダーシャツはきつめだけど、靴まで問題なく履けてびっくりした」

「柔軟性ある衣類が多いからね。渉のは。でも靴が履けたのはすごい。足の大きさが一緒の人は、めったにいないと思う」

「そうだよね」

 僕はその場で何度か足踏みしてみせた。若干指先がきついので、何時間も歩き回ったら痛みが出るかもしれないが、初対面の人に貰ったお下がりとしては充分すぎるフィット感だった。

「それにしても、全身真っ黒だね……察してはいたけど」

「渉さんって、黒い服が多いの?」

「というよりも、原色かつ無地の服しか持ってない。赤とか青とか。今日もそうだったし」

「あ、確かに」

 白シャツに青いジャケットという彼のいで立ちを思い浮かべて、僕は頷いた。

「さすがに見知らぬ人に、派手めな色のを渡すことはないと思ったから。必然的に白か黒になるよ」

「はは、そっか」

「でも似合うから良かった」

 さらりと褒められて、言葉に詰まる。

 今の僕は、白紐の黒スニーカーに黒いチノパン、黒いアンダーシャツに黒カーディガンという、「全身真っ黒」ないでたちだ。サングラスとマスクをしたら職質まっしぐらの不審者になる自覚がある。伊達眼鏡が黒ぶちじゃなくてよかった。

「ハチは顔立ちが怖くないから、全然威圧感ないよ」

 僕の沈黙を疑念と受け取ったのか、昴はさらりとフォローを入れてくれる。

「それに、黒い服に合いそうなものを買えたからよかった」

「うん?」

 首を傾げる僕は、無言で袖を引っ張る昴にモールの中央部へと連れていかれた。示されるまま吹き抜けに沿って置かれたソファに腰掛け振り返ろうとすると、

「そのまま、前向いてて」

 と制されてしまった。

 首元に彼女の細い手が回される。ひんやりした感触に思わず首をすくめると、

「ごめん」

 と小さいつぶやきが聞こえた。

「いや、いいけどこれは……?」

「もうちょっと待って」

「はい」

 間髪入れずに指示されれば、おとなしく待つしかない。少しだけ首の後ろでもぞもぞと手が動く気配がして、

「できた。もう振り返ってもいいよ」

 彼女の方に顔を向けるよりも首元のわずかな重みが気になった僕は、あごを引いて胸元で銀色に光るチャームを見つけた。

「ペンダント……僕に?」

「うん。そのまんま過ぎるかなと思ったけど、目に入ったときハチにしかみえなくて。正面から見る?」

 彼女から受け取った小さな鏡で映すと、ペンダントトップにはふっくらとした猫が座っていた。

「……かわいい」

 僕よりむしろ、女性が好んでつけそうなデザインだ。思わず呟くと、後ろでくすりと笑う気配がした。

「一応、男物だよ。チェーン太めだし。ハチが猫の時は、本当にそんな感じ」

 楽しそうにいわれて、猫の顔をまじまじと見る。銀一色の猫からは表情がうかがえないが、やや大柄で目がぱっちり開いているようだった。昴からすれば、自画像を胸元に飾っているように見えるのかもしれない。鏡と胸元を見比べる僕を、時折ふふっと息をこぼしながら鑑賞している気配がした。

 眺めているうちにだんだん自分の分身に見えてきたので、これくらいにしておこうと立ち上がった。

 ――この姿になる前に、きちんと外して保存しておこう――

 彼女に貰ったペンダントは失くすまい、と心に決めた。

 

「もともとは服を買いに行こうって話だったけど、その分だといらないかな。渉、何着か持ってきてそうだよね」

「うん。何種類かバリエーションがあるから、家で見比べればいいんじゃないかって言われた。あとで、ゆっくり見させてもらおうかな」

 昴は頷くと、遊歩道モールの奥へと目線を向ける。

「じゃあ、あっちに行こう」

 彼女の視線の先には、大規模雑貨チェーンの看板があった。

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