9 いとこの渉さん・下

「よし、これで男同士の積もる話ができる」

 伸びをした渉さんは、ずい、と僕のほうににじり寄った。

「ハチくんから昴について、本人の前じゃ聞きにくいこととかある?」

 僕に話をさせるために、昴に席を外させたのか。今の文脈からして、聞きたいことはひとつだ。

「傷ついてる生き物を見かけることは、ここまで熱心に面倒を見て“助けたい”と思う動機になるんでしょうか? 昴は、何でここまでしてくれるのかって思うくらい、手助けしてくれます。でもその動機として、ケガをしているのを見ただけっていうのは弱すぎるような気がして」

「弱い動機じゃないよ。昴にとっては、ね」

 渉さんは椅子に浅く腰かけ、身を乗り出すように僕を見上げる。納得できる“動機”に触れられる予感がして、僕は居住まいを正した。


「昴は、子どものときから他の生き物の痛みに敏感なんだ」

「痛み、ですか」

「そう。まだ小さいとき……小学生に入る前かな。昴の実家のそばに、遊びに行く時必ず通る田舎道があった。太い木がみっちり並んでて、野鳥がいっぱいいるんだ。野鳥って言ってもカラスとかムクドリとかだけど。でたまに、そこの鳥同士がけんかしてることがあって。くちばしでつついたり、羽をむしりあったり、けっこう激しいんだよ。鳥のけんかって」

 確かに、鳩一羽でさえ威力なのだ。カラスの太いくちばしでつつかれなどしたら、かすり傷どころではないだろう。無意識に右手の治りかけの傷をさすっていることに気づき、慌てて手を離す。渉さんは挙動不審な僕を気に留めず話を続ける。

「鳥同士のけんかを見つけるたびに、昴は間に入って止めようとするんだ。無言で鳥のところに突っ込んでいくから、俺が慌てて腕引っ張って離してたんだけど。だってそんなところに小さい女の子が行ったら、大けがするかもしれないじゃないか」

 大けが、という部分に思い当たる節があり大きく頷いた。それにしても、子どものときの昴、わんぱくすぎやしないか。

「当然、何でそんなことするのか気になるだろう? だからあとで話を聞いたら、昴、“あのままだと、どっちも飛べなくなっちゃうから”って言ったんだ」

 渉さんは、懐かしそうに目を細める。

「そのとき俺は、“当人同士がどういう思いでけんかしているかなんて、赤の他人は分からない。首を突っ込むのは、相談されたときだけでいい”っていったんだけどさ。結局そのあとも、さすがに物理的に割って入ることは無くなったけど、動物同士のけんかを見つけると立ち止まってじっと見ているんだ。人間同士のけんかも例外じゃない。友だちと和気あいあいと盛り上がるタイプじゃない。でも、“痛み”を感じている人を見つけたら黙ってそばにいるんだ。身内びいきだけど、それで救われた子もいるんじゃないかと思うよ」

「僕も、そのうちのひとりかもしれません」

 とっさに、声をあげる。

「僕は、目覚めた時猫でしたけど、何故か人間だという自覚はありました。だけどそこからどうすればいいかわからなくて、人に……昴に声をかけられて、何とか一晩を無事に過ごすことができました。あのとき、誰にも会わなかったら、とか、声をかけてきたのが昴じゃなかったら、とか考えるとぞっとします。昴にあのタイミングで会って、助けてもらった。そうでなかったら、僕は無事ではなかったと思います」

「下手したら路上で全裸だった、てこともあり得るもんな」

 背中がぞくっとする感覚に震えながら、僕は頷く。

「はい。それもですし、家に招かれてから通報されていたら、もっといろいろな人に迷惑をかけるところでした。実際に、昴にも通報されかけましたし」

「さすがの昴も、全裸の男を助けた覚えはないだろうからな」

 昴といい渉さんといい、全裸にやたらとこだわる気がする。事実なので突っ込むに突っ込めないが。


「実はあの時、昴は通報してたんだぞ? 俺に」

「えっ」

 通報というワードに飛び上がり、次の言葉で再び椅子に腰を下ろした。渉さんはにやりと口角をあげて、あたふたする僕を眺めていた。

「ハチくん、けっこうびびりだね。そういうところは猫っぽいかもな。……昴には、何かあったらスタンプを送るように言ってあるんだ。ほら、急いで連絡したい時って、スマホで文字打つの大変だろう?」

 確かに、焦ると誤タップを繰り返し、ますますいらない作業が増えるイメージがある。

「だからほら、これ」

 いつの間にか差し出されたスマホの画面には、漫画の吹き出しのように強調された“HELP!”という文字が映し出されていた。

「本当に僕、ピンチだったんですね」

「いや、そうでもないぞ? 俺は第一報がこれだったのもあって、切羽詰まった状況じゃないと判断した」

「え、でも助けてってことですよね」

「実はこのほかにスタンプが2種類あってな。この上が“SOS!”で、一番やばいのが“DANGER”。このどっちかだったら、俺はすぐに昴の所に向かったと思う。でもHELPっていうのは、昴が即断・即決できなくて困ってるときに送ってくるやつだ。だからまぁ、昴自身の身に差し迫って危険が訪れてるわけじゃないってことだ」

 見知らぬ男が目の前に現れる状況は、わりと差し迫った危険だと思うが。

「まぁ危険か否かっていうのは、あくまでも昴の主観だから、俺たちとは感覚が違う部分はあるけどさ。でも昴も大人だし、身内が自分の考えだけでいろいろ言うもんでもないと思うからさ。本当に命の危険が迫っているとかでもない限り、俺は昴の意向を尊重したいと思ってる」

 僕の思いを見透かしたかのようにそういうと、渉さんは身体を起こして僕に向き直った。

「話がだいぶ逸れた気がするけど。ハチくんは今の話で納得した?」

 昴が僕を助けた理由。それを確かめられたかという問いに、僕はもう一度、いま聞いた話を思い返す。

「正直なところ、他者を自分のテリトリーに入れてまでおもんぱかれるというのが、その考え方が未だに信じがたいです。なぜ、赤の他人をそこまで大切にできるのかは、わかりません」

「まぁ、普通ではないかもな」

 軽く相槌を打つ渉さんだが、目つきは真剣だ。

「はい。しかし、昴がそういう性格なんだ、ということはわかります。彼女がとても真摯に、赤の他人である僕に向き合ってくれているのは、いつも感じています。どうしてそこまで、と思うことはありますが、渉さんに教えていただいた過去の昴の姿は、僕が接している昴のイメージと重なりました。元々昴はそういう性格なんだ、というのは納得できました」

「それはよかった」

 少々ぶっきらぼうに言う渉さんの目元は和らいでいた。

「昴だって、ハチくんに貰っているものがあると思うよ。物理的にじゃなくて、気持ち的にね」

「そう、でしょうか」

「そうだよ。俺は、今日ハチくんと話していて確信した。だから大丈夫だ。君になら任せられる」

 彼女に対して何かしてあげた意識が無いので、まったく自信がもてない。しかし、渉さんは力強く言い切った。

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