8 いとこの渉さん・上

 お店に入るなり、奥の席に座っていた白シャツの男性が立ち上がった。

「やあ昴、久しぶり! それで、お隣の人が」

「ひさしぶり。うん、ハチって呼んでる人」

「初めまして。昴からは、ハチと呼ばれています」

 矢継ぎ早に挨拶を交わすと、男性は肩を震わせた。

「昴、ほんとにハチって名付けたのか。猫なのにハチって……っふくく」

「とっさに、それしかでてこなかったし」

「いやだとしても、ハチは犬の名前だろ、っふふ」

 笑いが止まらない男性に、昴はふいとそっぽを向いてしまう。僕はあわててフォローに入った。

「僕はすぐに名乗れなかったですし、昴には感謝してます。自分の本名がわからないので、今の呼び名は分かりやすいほうがいいですし」

「っふ、それもそうか。猫っぽくない呼び名のほうが、カモフラージュになるかもしれないしな」


 なんとか笑いを押さえたらしい男性は、未だ目元がゆるんでいたが背を伸ばして僕たちに向き直る。

「改めて、昴のいとこの安東あんどう わたるといいます」

「ハチ、と呼ばれています」

 その一言でまた彼……渉さんの肩が上がりかけたが、昴の鋭い目線を受けて堪えたようだった。机の端に置いていた名刺を渡される。カタカナの会社名と、渉さんの氏名、連絡先が書いてある。

「ハチくんに名刺が無いのは知ってるけどさ。社名とか、住所とかみて思い出すことがあるかもしれないと思って、一応持ってきた。連絡手段の携帯電話も準備したし」

「えっ、携帯?」

 横文字が羅列された長い社名には見覚えがなかったが、僕は渉さんに、昴と同じ細やかな気遣いを早くも感じていた。一方で、当の昴は彼の発言が気になったらしい。

「うん。回線契約するわけにはいかないから、俺のお古の機体とプリペイドSIMな。電話も、まぁ一応できる」

 そう言って、彼は鞄の中から黒いスマートフォンを取り出した。

「使い方はわかるか?」

「大体は、わかると思います」

 今のところ、日常的に使う物品は問題なく扱えているので、スマホの操作も大丈夫だろう。ロックのかかっていないホーム画面を開くと、昴から疑り深い声が飛んできた。

「ほんとに? なんか変な改造してない?」

「大丈夫。俺のほうで通話履歴とか位置情報とか確認できるようにはしてるけど、ハチくんに普段使いしてもらう分には問題ない。ごくごく普通のスマホだよ」

「いや、それ大丈夫じゃないでしょ」

「ハチくんと昴の身の安全のためにね」

 真顔になった渉さんは、着席を促そうとして僕たちが何も注文していないことに今更気づいたようだった。

「ちょっと真面目な話をしようか。……その前に、昴とハチくんはなんか買ってきたほうがいい。一杯は俺がおごるから」

「いや、私が払う」

「社会人が学生の話を聞くんだから、学生に払わせるわけにはいかないの。俺のちっぽけなプライドだから気にしない」

 断りかけた昴にICカードを押し付けて、渉さんはさっさと席に戻っていった。


 僕と昴がコーヒーカップをもって椅子に座ると、渉さんは小さく頷く。

「んじゃとりあえず、今までの経緯を教えて欲しいな。昴からメールでかんたんに事情は聞いてるけど、ハチくんの口から直接確認したい」

「はい」

「はじめに言っておくけど、俺は昴の味方だ。昴がハチくんを助けたいと言っている以上、きみの味方でもある。だから、なるべくわかっていることは全部教えてくれるとありがたい」

 渉さんは真剣な表情をしていた。僕の横に座る昴をちらりと見ると、彼女も頷いてくれる。渉さんを信じることにして、僕は猫として目覚めた時のことから順を追って説明し始めた。


 ・・・


「うーん。なるほどねぇ」

 大体の話がおわると、渉さんは顎に手を当てて考え込むしぐさをみせた。

「状況が非科学的っていうのは置いておいて。君だけじゃなくて昴まで”ハチは猫になる”って言ってるんだから、信じるしかないよね。俺的な問題はハチくんがこのまま、昴と同居すべきか否かってところかな」

「そこ、ですか」

「まあ当然。昴の親族としてはな」

 我ながら、突っ込むべきところは色々ある気がする。しかし渉さんは昴の身の安全を真っ先に考えているようだった。

「ハチは夜の間猫の姿だから、私と家にいるときは大体猫だよ」

「それでもだな。年頃の女子と男子がひとつ屋根の下で暮らしているのは事実だろう。昴、一応聞くがなんでハチくんをかくまおうと思ったんだ?」

「ケガしてるのを見たから」

 即答。しかも、僕が問うた時と同じ答えだ。怪我しているとはいえ、見知らぬ人――その時は猫だが――を家に連れ帰ってまで助けようと思えるのかが、わからない。釈然としない僕の前で、渉さんがはぁーと大きく息をついた。


「昴、これもってハチくんに合いそうな小物類買ってきて。ICカードに入ってる額までなら使ってよし」

 渉さんは唐突にポケットからカードを取り出し、昴に差し出した。彼女はちらりとカードを見てから、鋭い視線を渉さんに向ける。

「え、ハチも直接見た方がいいでしょ。そのつもりでモールまで来たんだけど」

「いや、昴が選んできて。この服に合うショルダーバッグ。なければ帽子とかサングラスとか、アクセサリーでもいいや。二人でハチくんをトータルコーディネートしようよ。一通り揃えておけば、あとで二人で買い物するときに色々比較ができるだろう?」

 渉さんは、自分の脇に置いた大きな紙袋の中から衣服らしきものを少しだけ引っ張り出して見せた。どうやら彼は、昴の予想通り僕のために服まで持ってきてくれたらしい。

「……わかった」

 彼女が返事をするまでには短くない間があったが、了承の意を示すなりすぐにカードを受け取り、モール遊歩道へと繰りだしていった。

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