6 肉じゃがづくり

 部屋に戻った昴は、ひたすらバッグから調味料を取り出す僕の横でさっさと梱包を解き、あちこちにしまい始めた。僕が荷物を全部出し終え、手を洗って台所に向かう頃には、すでに流しで野菜を洗っていた。

「早いね」

「早くしないと、またハチが猫に戻っちゃうからね。まぁ7時にはできるだろうけど。それより遅くなったら、せわしないから」

「ご迷惑を、おかけします」

 手際のよさを言ったつもりだったが、僕のせいで急かしていると気づき申し訳なくなった。足元に視線を落とすと、横から彼女の声がかけられる。

「気にしなくていいよ。私がいていいよって言ってるんだから。それより、ほら調理始めるよ」

 包丁を手に取り、ためらうことなくじゃがいものふちに滑らせていくのを見て、僕の意識はそちらに向いた。

「皮むきって、それ専用の器具使うんじゃないの?」

 料理の記憶が無くとも、皮むきの道具があるのは知っている。しかし昴はそれを使う気配がない。

「ああ。ピーラーのこと? 安全ではあるけど、慣れればこっちのほうが効率いいよ。いろいろ道具をそろえなくても、良い包丁がひとつあれば大体の料理はできるから」

 確かに流しの周りを見渡しても、包丁以外に刃物系の調理器具は見当たらない。

「見ての通り、うちの台所狭いから。あんまり物を増やしたくなくて」

「それにしても、上手いね」

「……ありがとう。久しぶりに褒められた」


 手際よく包丁でじゃがいもの皮をむいていくのを見ながら、先ほどの松葉さんとのやり取りを反芻する。あの人が言っていた通り、本当に昴は料理に慣れているのだろう。僕がやったら指を切りそうな動きで、するすると野菜の皮だけが剝がれていく。初めてここに来た日は猫だったから食べていないし、そのあとの食事も自分の身体の変化を受け入れるのでいっぱいいっぱいで、あまり覚えていなかった。今更ながらもったいないことをしたと思う。

 松葉さんといえば、僕の存在および昴との関係性をかなり疑っていたが、その割に第一声で僕のことをイケメン呼びしてきたのが不思議だ。いや彼の中では、昴の周りにいるイケメン=不審者なのかもしれないが。

「久しぶりといえば……イケメンって言葉、久しぶりに聞いた気がする」

 そんなどうでもいいつぶやきに、昴はああ、と苦笑いする。

「松葉さんは何に対しても、イケメンっていうからね」

? じゃなくて?」

「うん。この前、その辺にいる鳩にもイケメンっていってた」

 鳩に嫌な思い出がある僕は思わず顔をしかめた。そうでなくても、鳩と並び称されていい気はしない。

「もしかしてあの人、ちょっと感性が独特?」

「ちょっとどころじゃなく独特だと思うよ。はい、このあと鍋で煮たらおしまい」


 あっという間に食材を切り終えた昴は、もう鍋に火をかけていた。まな板の上にはじゃがいも、にんじん、こんにゃく。それから白いトレイに入った豚肉。

「今作ってるのって、肉じゃが?」

 肉じゃがの話も松葉さんがしていたなと思いつつ聞くと、昴は鍋の具材を混ぜながら頷く。

「そう。じゃがいもいっぱいあるし、さっきの松葉さんが言ってて思い出したから。前、にんじんを消費することに意識を向けてたら作りすぎて、隣に持って行ったんだ。逆に、今ふたり分作るのにちょうどいいかとおもって」

「確かに、これだけあったら何日か食べられそうだね」

「一度に作った方が楽だし、煮物系は時間を置いたほうが味が染みて、私は好きだから。元々多めには作るんだけどね」


 ぐつぐつと、小さな音を立てる鍋を見ながら昴はぱん、と手をたたいた。

「いったん、煮えるまで料理はおしまい。大したことしなかったけど、何かわかったことある?」

 急に本題――料理風景を見るのは僕の記憶を取り戻すヒントを探す目的もあった――に戻り、僕は鍋を見ながら首を傾げる。

「うーん。包丁とかピーラー? とかどんな調理器具があるのかはなんとなくわかるから、全く料理を知らないわけじゃないと思う。でも、調理方法は新鮮だった」

 思ったままを口にすると、彼女は包丁とまな板を洗いながら頷く。

「包丁とかは、家庭科の調理実習でも使うからね。もし自炊してなくても、有名どころは大体の人が使ったことがあるんじゃない?」

「そっか。なら、今のはあんまり手がかりにならないかな」

「そうでもないんじゃない? 少なくとも、家庭科の授業に出てたってことと、家ではあんまり料理してなかったってことはわかるよ。不登校だったり、学校に行けない家庭だった可能性は低いよね」

 その予測はかなり範囲が広い気がするが、絞れたか否かという二択でいえば彼女のいうとおりなのだろう。

「そもそもそんなにガリガリじゃないから、ちゃんと食べてたんだろうし」

「えっ」

 体格のことを言われたのだと気づき、改めて初日に裸体をさらしたことを思い出した。

「もしかして、身体、見えた?」

 昴の顔を直視するのが怖くて顔を上げられず、鍋を注視していると、彼女はあっさり答えた。

「うん。そこまでまじまじ見てないけど、骨が浮いてなかったことぐらいはわかる。そもそも極端に痩せてたら、浴衣似合わないし」

 遠まわしに浴衣が似合うといわれて、更にどういう顔をすればいいかわからなくなる。

 ――なんかちょっと、僕の心のなかに入り込まれている気がする――

 その感覚が嫌ではなくて、じわじわと顔に熱が集まってくる。

 鍋の火が充分巡り、昴作の少し甘くておいしい肉じゃがをいただくまで、僕はずっと気恥ずかしさを抱えたままだった。

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