4 食品スーパー
「今から食材の買い出しに行くけど、一緒にいく?」
昴にいきなり誘われて、初日に書いたノートの内容を思い返す。
僕は記憶を失う前、食べ物をあまり頻繁に購入していなかったらしい。しかし、それにしたって何かしらのものを口にして生活していたはずだ。見覚えのある食材があればそこから何かを思い出せるかもしれない。
「昴がいいなら、行きたい」
控え目な言葉を選んで返事をすると、彼女はさっさと玄関へ向かう。
「あ、でもこの格好で大丈夫かな」
僕は、人に戻っているときは常に浴衣姿でいる。昴いわく、これは亡くなった彼女の祖父のもので、今はもう着る人がいないが風呂敷などに仕立て直せば使える、ということで持っていたらしい。
「ばあちゃんが送ってくれる野菜の中に、一緒に入ってた。仕立てるのが面倒で時間もなかったから、そのままにしてたけど。本来の用途で使えてよかった」
昴はそういって笑っていた。
色は黒に近い紺色で、祖父のものというだけあってデザインも今風とはいえないが、部屋着には十分だし、帯をゆるめておけば猫になるときも苦しくない。わずか1日で、僕は浴衣での生活がすっかり気に入っていた。ただしこれで外出するとなると、周囲から浮くことが容易に想像できた。
「いや、多少は見られるかもしれないけど。地元の人しか来ないスーパーだし、上下ジャージのおじさんとか普通にいるよ。それに比べたら浴衣は全然、外を歩いてもおかしくない格好だと思う。夏だし」
反論しづらい根拠を並べられて、僕はようやく浴衣で外出する覚悟を決めた。いずれにせよ、昴の家には浴衣のほかに着られる服が無いので、買い物に行くならそれ以外の選択肢はないのだが。
「わかった。一緒に行こう」
・・・
昴が地元の人ばかりのスーパーというので、平屋のこぢんまりとした商店を勝手に想像していたが、その店は案外大きかった。
地下が丸々食品スーパーで、1Fがチェーンのコーヒー店やクリーニング屋さん。さらに2Fから上は衣料品やキッズコーナーなどがある。
平日の夕方ゆえに、1Fはお客さんの姿を見かけなかったが、エスカレーターで地下に降りると大勢の人が行き交っている。
「ちょうど夕飯の仕込みをする前の時間帯だから、いつも主婦っぽい人たちで混んでるんだよね」
僕にそう耳打ちすると、昴はエスカレーター横からカゴを手に取った。
「建物が古いからさ、外から見たら大きそうだけど中の通路は狭いんだよ。だからカートは使わない」
「ちょっとした知恵だね」
ゆっくりと進む昴のあとを歩きながら、僕は店内商品を見回した。パスタやらソースやらの棚を見ても、あまりぴんとくるものごとはない。袋詰めで売られているパスタがどんな料理になるのかはわかっても、値札を見て高いか安いかは全く判断がつかない。商品から記憶をたどるのは早くもあきらめたほうがいい気がしてきた。少なくとも昴の買い物の役には立ちたいと思い、彼女の進む先に意識を向ける。
「今日は、何を買うの?」
「色々」
短く答えると、彼女はさらに細い陳列棚のほうへと向かう。
「日持ちする野菜……じゃがいもとかはばあちゃんが送ってきてくれるから、まだいらない。もやしも冷凍庫にあったかな。それ以外の諸々がいる。ツナ缶とか、おかずになる系の缶詰が安かったら欲しい……どうかした?」
ツナ缶と聞いて、一方的な敗北を喫した鳩との戦いを思い出し、顔をしかめてしまった。公共の場で猫の時の話をするのははばかられるので慌てて表情を戻す。
「なんでも。ツナはあんまり好きじゃないかもしれない」
「そうなんだ」
彼女は缶詰の棚をちらりと見やり、踵を返す。
「あんまり安くないからいいや。棚の商品から、特に何かを思い出したりはしない?」
サバやアジといった魚類に加え、桃やらパインやらの果物類がずらりとならぶ。大体が丸い缶なのに対し、四角くて平べったい缶があるのが気になった。手に取ると細身の魚のイラストが描かれている。
「ん? オイルサーディン?」
昴の言葉で、ピザがひと切れ乗ったお皿のイメージがぼんやりと浮かび上がってきた。白くて丸いお皿に、緑色のソースとトマトと、イワシ……オイルサーディンが乗っている。いつどこの風景かはわからないが、確かに僕は、この缶詰を食べたことがある。
頭に残る映像を昴に伝えると、彼女はわずかに目を細めた。
「商品名で思い出したの?」
「なんとなく、缶の記憶もあったかもしれない。名前を聞いて、ピザのイメージがはっきりした。味は覚えてないけど、たぶんすごく気に入ったかそうじゃないかのどっちかで、印象に残ってるんだろうな」
好きなものはずっと覚えているし、その逆もしかりだ。記憶が無くなる……あらゆることを忘れるというのは、どちらでもない状態ではないだろうか。ふとそんな思いが浮かんだ。
「確かに、名前が印象に残るかもね。大体なんでも“○○の缶詰”って言い方するのに、イワシだけオイルサーディンだもんね。高いから買ったことないけど、私も商品のイメージはある。食べてみる?」
意識が別のことに向いていた僕は、彼女の提案に少し考える。確かに、食べたらさらに記憶が戻るかもしれない。が“高いから買ったことがない”というのが気になった。確かに、他の缶詰に比べ量のわりに値が張る気がする。居候の身で、そんな食材をリクエストするのは如何なものだろうか。
「……今はやめておこうかな。嫌なほうの思い出だったら、食べられないかもしれないし。よその人の家で食べ物を残したくないから」
ストレートに懐事情を気にするのは不躾だと思い、遠まわしに断ると彼女はにっこりと笑った。彼女の家に着いてから、目もとまで和らげた笑顔を見るのは初めてだとおもう。
「わかった」
昴は手に取っていたオイルサーディンを棚に戻した。
「そういう考え方、好きだな。私も人からもらったものは残したくない派。ばあちゃんからもらう野菜も、ダメになる前に全部使い切りたいから、けっこう考えて調理してる」
「おばあちゃんから、そんなにたくさん野菜届くの?」
「一回に、段ボールひと箱ぶん。季節ごとに旬のものを送ってくれるから、だいたい中身が偏ってる。冬は大根とごぼうで埋まってたし、最近だとひと箱丸々じゃがいもだった」
僕は段ボールひと箱分のじゃがいもを想像して、途方に暮れた。何の料理にどれくらいの量を使えるのか、さっぱり予想がつかない。
「じゃがいもは、主食でもおかずでもいけるから使いやすいほうだよ。ネットで調べれば色々料理も出てくるし。保管さえ気を付ければ、そのままでも結構日持ちもするからね」
彼女は食材の解説をしてくれながらも、野菜コーナーで手際よく値段を確認し、かごに入れていく。僕は頷きながら、後ろをついて歩くしかない。
「豆苗も買おうか。普段はお腹にたまらないから買わないけど。一日中家にいるあなたが暇になるだろうし」
「?」
首をかしげると、昴は豆苗の袋を手に取った。茎がやたらと長い、根っこ付きの三つ葉にしか見えない。
「ほら、こんなふうに根っこがついてるから、下の方を残して切って水につけておくと、また生えてくるんだ。料理に使えるのは多くて2~3回ってところだけど、毎日水を換えればいいだけだから簡単。まめに様子を見てくれる人が家にいるなら、育ててもいいと思ってたんだ」
「どうやって食べるの?」
「炒めておつまみにしたり、肉料理の付け合わせとかにするかな。におい消しにはちょっと弱い気がするけど。これだけだと寂しいから、一品にするならきゅうりとかと和える」
「なるほど」
「私はひとつの食材で一品作れるほうが楽でいいから、こういう“華を添える”系の食材はあんまり買わないな。でもプラスアルファで楽しめそうなときは、あってもいいと思う」
確かに、ひょろひょろとして量も多くない豆苗は、しっかりご飯を食べたいときに選ぼうとはおもわなさそうだ。単体で自立は難しいけど、他の人に世話を焼いてもらえば何とか少しは役に立てる。
「なんか、今の僕に似てる気がする」
「豆苗が?」
「うん」
昴はくすりと笑った。
「一人じゃ生きていけないって思った?」
我ながら発想に飛躍があると思っていたので、彼女に図星をつかれて言葉に詰まった。
「べつに、一人じゃ生きていけないのはあなただけじゃない。野菜を作ってくれる人がいなくなれば、私も生きていけないし。必要に駆られたときにしかモノを覚えられないから、あなたが食べ物や料理があまりわからないなら、前はそれが必要じゃなかっただけだと思う……豆苗から発想するのは面白いけど」
僕の後ろ向きな反応を受けてか、真面目に答えてくれた昴は最後にまた、くすりと笑った。
「きっと、記憶をなくす前も面白い人だったんだろうね」
「そうかな」
そこまでツボに入る話をしたつもりはなかったので、彼女のリアクションは解せないが愉快な気分になってくれたならよかった。
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