2-4


 翌日は朝から営業先に直行だった。小林も同じだったので僕はラインにメッセージを入れておいた。訊きたいこと――というか、話したいことがあったのだ。


「なに食う?」


 せんであおぎながら小林はかんばんながめてる。僕たちは新宿三丁目の飲食店が建ち並ぶにいた。


「ムカつくことがあったから俺は思い切り食って発散したい気分なんだ。そうだな、米がいい。米を思いっきり食いたい。それに肉っぽいのがいいな。――おっ、ここにしないか? 『実家のカレー』って書いてあんぞ。お袋の味っぽいカレーってことだろ? いいねぇ。そういうのが食いたかったんだ」


「いや、カレーはなしだ」


「ん、そうか。――じゃ、こっちにしよう。シェフご自慢のハンバーグだとよ。ビーフ百パーセント、つなぎ無し。その割にゃ安い。うん、ここにしようぜ。食いたいもんばかりがそろってる。こりゃ待ちかまえてたんだろうな。あのくそジジイに嫌味言われたのも織りこみ済みってわけだ。今日はこの店でやくはらいするようにできてたんだ。な、ここでいいだろ?」


「駄目だね。ハンバーグもきゃっだ。名前も聞きたくない」


「なんでだよ?」


 僕はしばし考えた。ただ、それも面倒になってきた。


「トラウマになってんだよ。カレーとハンバーグは俺のトラウマなんだ」


「カレーとハンバーグがトラウマになってる? なんだそりゃ。ちょっと前まではがつがつ食ってたじゃねえか」


「ちょっと前まではそうだった。でも、いまは違う。とにかく他を探すぞ」


「ふうん」


 ごりしそうにしていたものの小林は「待てよ」とばかりに顔をあげた。ほほはゆるみきっている。


「なるほど」


「なにがなるほどなんだよ」


「ま、それを言ったらお前が傷つくってもんだ。そうなんだろ?」


 ニヤついた顔をしばらく見つめ、僕は「ふんっ」と鼻を鳴らした。





 けっきょく僕たちは中華料理屋に入った。ごうのように中国語のおうしゅうが聞こえてくる店内は混みあっていた。小林は〈青椒肉絲チンジャオロース定食〉にし、僕は〈牛肉のはっかくいため定食〉にした。料理は驚くほどのスピードで提供された。


「で、話したいことってなんだ?」


「ん、この前、エレベーターで会った子のことなんだけどさ」


「ああ、お前を見つめてた地味な子な。でも、あんなのはタイプじゃねえだろ?」


「まあね」


 肉をみながら僕はこたえた。味は悪くないけどういきょうの香りがきつ過ぎる。とはいえカレーやハンバーグよりかは断然こっちがいい。


「だけど、そういう話じゃないんだよ。それにあれは俺を見つめてたんじゃない。なにか違うもんを見てたんだ。実際、あの子の視線は――」


 僕は左肩を指した。


「この辺に向けられてた」


「なんだそりゃ。なんでそんなとこ見るんだよ」


「知るかよ。でも、とにかくあれは俺を見てたんじゃない。昨日はエレベーターで二人きりになったんだ。そんときも肩を見てた。しかも、なぜか俺の名前を知ってた」


「そりゃ、お前に興味があるってことじゃねえのか? だって、うちの会社にゃアホかってくらい社員がいるだろ。ま、ほとんど使えない連中だけど、とりあえず頭数だけはそろってるもんな。そん中で名前を知ってるのは興味があるってことだろ? ――うん、ありゃ、お前のうるわしい顔を見つめてたんだよ。肩じゃない。だいいち肩を見つめる理由が思いつかない。違うか?」


 一息にそう言い、小林ははしさきを向けてきた。


「で、なに話したんだ? 話しただけじゃなく食っちまったんじゃねえのか? お前は意外に手が早いからな。そのくせ長続きしねえんだ。――ん? お前、セックスがありえないくらい下手なんじゃねえか? それか持ち物がシメジくらいしかないかだな」


 水を注ぎにきた女の子はあごを引き、目を下へ向けていった。僕は激しくうんざりした。


「手なんか出さないよ。ああいうのはタイプじゃない。――いや、そういう話じゃないんだって」


「じゃ、どういう話なんだよ」


 僕は腕を組んだ。これはどういう話なんだ? 全体的になにかがおかしいのだ。突然消える街灯、なぜか見つめてくる犬、それにみょうな女まで出てきた。しかもその女は「重要なこと」を伝えたいと言ってきた。僕になにが起こったか、そしてなにが起こるのか知ってると。


「なんなんだよ、その顔は。パッとしねえぞ。まったくパッとしねえ。――で、お前も名前くらいは訊いたんだろ?」


「ん? ああ、篠崎カミラっていってたな」


「カミラ? ハーフか?」


「いや、クォーターらしい。お祖母さんがアゼルバイジャン人なんだってさ」


 まゆをひそめ、小林は首を振った。唇はゆがみまくってる。


「その辺のことはもういいや。なんだか疲れた。よくわからないけどむちゃくちゃ疲れた。それでなにを言われたんだ?」


 話してるうちに僕も疲れてしまった。妙な疲れ方だ。経験したことの内側に理解しがたいことが存在してるように思えたのだ。自分をふくめたあらゆるものがようはそのままにかたを変えてしまったような感じだ。


「なに固まってるんだよ。ほれ、なに言われたんだ? そのカミラちゃんに」


「よくわからないんだけど重要なことを伝えたいって言われた。面倒だから聞かなかったけどね」


「ふむ。重要な話っていったら、そりゃ愛の告白だろ? それ以外になにがあるってんだ?」


 僕はいろんなことをあきらめた。人選を誤ったのだ。そう思ってるのを察してか、小林は顔を突き出してきた。


「うん、その、なんだ、まとめるとだな、アゼルバイジャン系クォーターのカミラちゃんはなぜかお前の名前を知ってた。で、重要な話ってのをしようとした。お前はそれを聞かなかった。ま、なんとなく気持ちはわかるけどな。それで、その不思議なカミラちゃんは俺たちよりも上の住人ってことだよな? 十三階か十四階っていうと総務か秘書だろ? ああいうのは秘書にいねえから、つまりは総務ってことになるな。――よし、同期会をきゅうきょおこなおう。そうなりゃ、清水も来るだろ? そんとき訊こうぜ。カミラちゃんがどういう子かってのと、どうしてお前をつけねらうかってのをな。それでいいんだろ?」

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