さよならの茜雲
「げっ……」
「やっほー☆」
そこには、かつての彼女がいた。
「ねぇ、顔見て話そうよ?」
「なぁ、俺帰っていいか?」
「おうどんまい」「殺すぞ」
「なに?帰るの?」
意味のない問答、周りは事の顛末を知らない。知る人こそケラケラ笑っているものの、知らない人はさも気まずそうだ。
「コイツがねぇ。隣の娘フッたの」
「そーフラレたー☆」
「…………」
地獄というのはまさにここの事だろう。かつて俺がフッたのは紛うことなき事実だし、それから顔は見かけるものの双方わざわざ話す機会などなかった。いや、敢えて作らなかったのだ。
勿論、今回のことだって俺が避けようと思えば問題なく避けれた。嫌だと言ったら俺は居なかった。それほどまでに俺自身、頭がどうかしていたのだ。
行かなければいいし、行く気もなかった。
タダメシが食らえればいいだけだったし、単なる話し相手が見つかればそれで良いことだったのに。
よりにもよってコイツかよ、と。
オーディエンスがうるさい。やかましい。今考えてるんだよ黙ってろ。貴様もにこにこしながら話しかけてくるな。鬱陶しい。邪魔くさい。こんなことになるなら本当来なければ良かった。
生き地獄を見て、高校からの共通の友人は渋面を作る。数秒後には「まあコイツが悪いし」と開き直った。
―――――俺は彼女をフッた。彼女が悪かったのではない。逆だ。俺が悪すぎたのだ。彼女はとても正しく、とても綺麗で、引く手数多の善人だった。
善人すぎた。俺が隣に立っていようものなら、俺は非難の指を刺され、隣に立つ相手を曇らせ、悪くさせる。だからフッた。表現の上ではそんな眉目秀麗を掲げれば当人の気が済むだろうか。
少なくとも俺は俺を騙せている。つもりだ。
そして、そのためのそれまでの幾度か、口論があった。そのたびに相手は曇り、汚れ、病み、悲しんだ。別に俺じゃなくたっていずれ癒える傷だ。実際今目の当たりにした彼女は、とても穏やかで、言葉の含みは感じさせるものの当人からはそんな気概は一切ない。端から見ればそんなことわかりはしないが、腐っても俺は彼氏だったから、そんなことくらいは分かる。
そんなことはどうでもいい。…………実際何が言いたいか、だ。
『俺が関わることで、また彼女が曇るのは見たくない』
というのが結論だ。いや、それすらも表現では綺麗になってしまう。まるで未練があるみたいに。
今の彼女は別の彼氏と仲良くやっていると小耳に挟んだ。ならもうどうでもいいじゃないか。なんでむしろ彼女は俺に関わろうとするのか。
俺は一度縁を切った身だというのに。
深く長考する。オーディエンスはじっと見つめる。
目を見るのが怖い、ということを友人に目で訴える。周りも気づいているというのに一切関与しない。したくないだろうけどさ。
俺が悪者だし、悪者のままで終われば良い。善意なんて一切ないし、顔を見るのが怖いという臆病者の表現で済ませれば見なくて良かった。
のに、意を決して彼女の目を見た。澄んだ目で、澄んだ瞳で俺を見つめる。昔から変わらない。
嫌な目つきだ。
『なぁ、俺帰っていいか?』
再度同じことを聞く。無論誰も反応しない。彼女だけは追従しようとしてくる。
兎にも角にも込み入った話をするにはオーディエンスが邪魔だ。こんな地獄を見せられてケラケラしてる悪魔どもの興にも乗ってやりたくない。
小言を弾幕のように浴びせる彼女に、俺は意を決して頷いた。
『場所変える』
その言葉にオーディエンスは黙る。
彼女は喜んで周りに了承し他に伝え、俺と二人で歩き出した。
隣を歩く。コイツには彼氏がいる。あれから2年だ。双方の生活もガラリと変わった。嫌なくらいに変わった。なんということもない会話を繕った。
『演劇部は? 』
『最近〇〇ちゃんが誕生日で祝ったよ〜。他のコとは連絡取ってないかなぁ』
さっきも聞いたよ
『アイツ――――は?』
『あぁお兄さん? さっき会ったくない?』
お兄さんて誰だよ……あぁ、あいつか。
『最近の反応は?』
『反応とは……』
相変わらず察しが悪い。
『まぁいいか』『あ、私図書館寄るから待ってて!』
『ん、』
図書館へ走っていく。
このまま一人で帰ったって良かった。むしろその選択肢こそ一番に浮かんできたほど。だというのに、心が乖離している感覚に苛まれる。馬鹿かよ。馬鹿だよ。積もる話はあるというのに、自分のことは一切口に出さない。相手はちゃんと話してくれている。
自分のことを話したら、どの口が。なんて返ってくるの、当然わかってるからな。
言えないし、言わない。言及もしないし、できないし、したくない。
『おまたせー』
『ん、』
また隣で歩き出す。どうしてこいつはこんな平気なんだ?平気なように見せかけるのは嫌なほどに上手くて下手だ。
『そいや家庭環境は大丈夫なのか?』
『あー…………ははは』
目を泳がせる。こういうところが、嫌いだった。なんとなく思い出してきた。忘れていた。
自分が傷つけばいいから他人のことに深く関わる。自分を犠牲にして他人を助けようとする。劣悪な環境なのは分かってるのに、それを敢えて言わない。
聞きたいときに言ってくれないし、いきなり投げてくるし。『不幸自慢』と一蹴した時は流石に自分でもタカが外れてた気がした。
後悔はしてないし、する気もないけど。
二人でキャンパスを歩く。2年前なら笑いながら歩いていた景色だろう。俺は乾いた笑みでコイツを見つめる。コイツは相も変わらず貼り付けた笑みで幸福を感じている。
かける言葉はない。かけられる謂れもないだろうよ。コイツはコイツで割り切って、もう次の道を歩んでいるのだから。
『てかこんな男と歩いてて彼氏は何も……いや、昔からこうだったか』
『あはは〜……』
『で、新しい彼氏はどうなんだ?』
『?いい人だよ?』
『そりゃ良かった。次は俺みたいなクズに引っかかるなよ』
『あはははは!』
皮肉を皮肉と感じない豪胆さはいつものことだった。効かないのは分かっていたのに。つい無意識で。自分のことは悪く感じていない。感じていたらこんな場なんてない。駅のホームに着いた。
『カフェでもいくか?』
『?なにかはなすの?』
『なんもないけど』
『うーん………………奢り?』
『奢り』
『じゃあい………………いや、やっぱり辞めとく』
『?』
『「成長した」からね!』
『――――――そうか』
ドヤ顔で言ってくる。元気だよな。まるで変わってないように見えていたのだが、やはりどことなく変わっているのだろう。化粧や姿容の話ではない。
『因みに別れてからどうだった?』
『私?うーん…………最初は怒ったけど、悲しくなって、あぁ私も悪かったなって。で、今はもう直った!』
『…………強いな』
『へへ♪ そっちは?』
『俺?』
無感情。なんて言えば、駅のホームで殴られても文句は言えない。こんなときにも取り繕っていたのか、と今更ながら思う。
『どうだったかな……忘れた』
『えー』
二年も前のことだ。記憶に薄い。自分の悪さも自覚していて、偽善とわかり正当化し、結局のところこうしてツラを合わせているのだから。どれほど厚顔無恥なことなのだろうか。
実際のところ、別れようと覚悟を決めた辺りから本当に何も考えてはいなかった。人生の中で削除したことなんて掘り起こさないと知る機会もない。
ほつれた言葉をかけていると、やはり彼女は覚えていた。
まぁぶっちゃけて言う所、付き合うことも別れることも後悔はしていない。
「まぁ……間違って居なかったよ」
『またそれ…………。「そうやって相手が汲み取ってくれると思うな」』
『!』
その言葉に、酷く既視感を覚えた。それは以前、俺がコイツに言われたことだ。
いつ言われたろう。いつ言っていたろう。そんなことすら記憶の外にあるのに、馬鹿だよ。馬鹿なんだよ。わかってんだようるせえな。
分かってくれないから言わないのに、言えとさんざ喚いて……理解できない癖に。やはり嫌いだ。
コイツは俺がなぜ別れようとしたか知らない。
コイツがどんな気でどんな覚悟を持って決心したかも俺は知らない。ただ、2年ぶりに話してわかったのは……コイツはもう俺が居なくても生きていける。
綺麗事も程々にしろ、と怒られるだろうか。
ただ、2年前を見ていれば本当に考えたことだ。《コイツはいずれ、俺を失ったら死ぬ》と。
早めに別れて、こんなクズとは付き合わないでくれ。こんな他人の厄介事を平気で攫うような馬鹿に、他人を相談なしに離別する人と関わらないでくれ。もっと大事にされてくれ。
美辞麗句を並べて、分かれた人間に――――。
俺が居なくて清々してるし、俺が関わることももうない。俺が苛まれることももうない。
電車が来る。隣に座ってくる。
最後に一つだけ、意地悪をすることにした。
『そいや、何で俺が別れようとしたか、言ってないよな 』
『聞いてないね。なんで?』
『言わないけど』
『…………ねぇ。言うだけ言って逃げるなんて真似させないから。家までついてくよ?』
『前かってに来ようとしたろ』
『前……?ハンカチ返そうとしたときかな。あの時留守で居なかったから帰ったけど』
『あの時部屋にいたけどな』
『…………殴って良い?』
『殴られても文句は言えないタチだが……電車の中は辞めてくれ』
『もしかしてカフェに連れていけると思ってる?』
『別に』
考えもしなかった。少しは回るじゃん。まぁ、俺は言うだけ言って去るつもりだ。最大限の意地悪で。
『まぁ、付き合ったことも別れたことも正しかったと思ってるよ』
『また話そらす』
『ははは』
『家行くよ?』
『怖いからやめてくれ、それに、もう合うこともないんだから』
ばかみたいな話をしていると、俺の最寄り駅に到着する。
相手も分かっている。分かったうえで、不服そうな顔をしている。またいつか合う時に不平不満は聞いてやるさ。君が割り切ったのだから。俺もやっと枷が外れるというものだ。
もう大学で会うこともない。連絡を取る仲でもない。まぁ、君も俺が嫌いじゃないし、俺も君は嫌いじゃない。どこかで合うことがあるのなら、呼んでくれ。君は俺を呼ばないと思うが。
ドアが開く。
『最後だよ? 言っておくことはないの?』
『ねぇよ♪ じゃあ、また合うことがあるのなら』
『ん…………また合ったら、ね』
なぜ分かれたかなんて、いっそ俺でも本当のことはわからない。今も付き合っていた時も、分かれた時も、本当に好きだったのか怪しい。けど、俺は言っておいた。
『好きだったよ。じゃあな』
パッとしない終わり方だよ。分かってる。
顔も見ない。俺は最大限の笑みで、煽ってやった。
ホームから出て、どんよりとした茜雲を見上げる。
このくらいの雨雲のほうが、いっそ今の気持ちにあっている気がした。
「雨でも降れば良いのに」
ごめんな。
それすら言えない俺は、やはり恋愛に向いていないだろう。
夜の殴り書き 上海X @alphaK
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